児童相談所はいらない? | 子育て*自分育て*親子のこと〜公認心理師目指して勉強中です〜

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7歳の男の子と5歳の女の子を育ててます。




南青山での児童相談所を併設した施設の
建設反対のニュースを観て、
残念な気持ちになりました。


メディアでは一部の人の過激な意見を
クローズアップしすぎな面もあると
思いますが、


児童相談所に対して良くないイメージを
持つ人が一定数いることを、
今回改めて知りました。



そしてそうした人は
南青山に住む人々だけでなく、
全国にもある程度いるんじゃないかなと 
思います。




児童相談所を悪く言う人の
言葉を聞いて、
最初は腹が立ちました。




ただ、しばらく経って思い直しました。
この人たちはただ、知らないのだなと。



児童相談所を必要とする人々のことを、
必要になるかもしれない人々のことを、

たまたま知らないで
生きてこれたんだなと。

それを良い悪いで判断することも
難しいなと思います。

無知は誰にでもあって
気付きづらい。




児童相談所はなんのためにあるのか。



虐待の認知の増加に伴い
児童相談所での保護を
必要としている子どもが
年々増えていること。 



家族形態、育児体制の変化、

また虐待の世代間連鎖の観点からも
虐待の増加を食い止めることは
簡単ではないこと。

たとえ見ないふりしたって
虐待がなくなるわけではない。



児童相談所に保護される子たちは
犯罪者ではないこと。



また公的に子どもを保護できるのは
現在の日本では児童相談所しかないこと。
 
隣の子が虐待されてることに気づいても
自分の家で育ててあげることは
できないですよね?



さらに、たとえ児童相談所に行っても
保護の限界から家庭に戻されてしまったり、
現在の児童相談所には課題もたくさん
あることも。





自分の家の近くに児童相談所が
できることには反対する人たちも、


虐待されて死んでしまった子のことを
報道で知れば、


可哀想で涙が出る、
代わってあげたかった、
許せない、
忘れない、

とか言うのではないかな。




子どもを助けてあげたいと思う時に
必要なのは
同情することではなく、


虐待について知ること。


虐待は起こるという事実から
目を背けないこと。


虐待する親を責めるだけでは
何も変わらない。  


親もまた虐待という形で
言葉にできない保護を求めています。




子育てはきれいごとじゃないと 
思います。


私も今日まで子育てをしてきている中で

どうしたらいいかわからなくなること、
誰に助けを求めたらいいのかわからなく
なること、何度もありました。



だから児童相談所のことは
決して他人事ではない。



子どもを育てていると、

元、子どもとして
今、親として自分が試されて
壁にぶつかって苦しくなったり、

時に孤独で、
自分を責めてしまうことも
たくさん起きる。



親も子も相談できる場所、 
家庭以外の居場所、
もっともっと増えてほしい。



子どもは社会で育てるものという意識は
きれいごとではなく現実であってほしい。



泣いてる子どもを見て舌打ちするような
おじいさん、おばあさん、

その年まで何を学んで
生きてきたのかな?



どういう仕組みを整えれば
社会で子どもを守れるのか、
救えるのか。



すぐに答えは出せないけれど、
ずっと考え続けなければいけないことだと
思います。