やあ〜しばらくだね。

12月に記事を書いて以来。

実は、今の今まで、記事を書くなんて思ってもみなかった。


2019年の1月と2月は、

目まぐるしく身体環境が変化して行って、、、

あっ!

これは良い意味です。

自分の身体に、リズムに、身体言語に、

ついていくのがやっとでした。

身体感覚が更にセンシティブになり、

ものの聞こえ方、見え方、味、匂いの感覚や、

触れる感覚が変わってくる毎日は、

とてもエキサイティングで、

それを文字にしたり、シェアしたりどころではありませんでした。

自分の中の「こうあるべき」や「たぶんこうだよね」が、

全て、ことごとく壊れていくんですから。。。。


でも、クタクタになりながらも、

鏡の中の自分の顔は、「あれ?変わってきた?」

でした。

面白いですね。


さあ。

そんな毎日で、そういった体験の結果は?

そう。

サロンにいらっしゃる方々の髪に反映されている。

自分に対して「愛おしい」と思うでしょ。

そうすると、「手は伝える」んですね。

その波動をね。

みなさんの髪が、「気持ちいい」って言ってくれているようで、

嬉しいです。


ありがとう。






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大自然の摂理に身を委ねる。



これって、体は教わらなくてもやっていること。

体=大自然だから。

体って偉いね。まるで、何億年も生きて来た「賢者」のよう。



だから、未来も予知できるんだよね。

からださんは、、、生きることを、、、常に謳歌してる。


細胞の一つ一つに宿った「聖なる意志」と気持ちを一つにすれば、

私たちの想像をはるかに超えた「未来」が待っているに違いない。


そう思える今日この頃です。




うふふ。(笑)

もっとも鈍感なのは、私たちの「頭」(おつむ)。

知識をいっぱい詰め込んで、

「不思議」や「奇跡」が起こることを拒んでいる「メンタル状態」です。



常に執着したり、いつも心配していて、(思考と感情の癒着でもあるよ)

体力や気力を消耗している頭を整理するには、

身辺整理が一番。

サイキックコード(しがらみや悪縁)を外すって以外と簡単!

片付けでへとへとになれば、

心配する気力もなくなる。


最初は、片付けが不得意でも、

何回もやっているうちに、

何かを悩むんだったら、いらないものを整理するのが一番手っ取り早いって、

思えてきますよ。やってみてね。





さてと、、、、

いつも自分に正直であると、

起こることはすべて、最高のタイミングでやってくるって、

思えるんですが、

それはいいことばかりではありません。


いろんなこと。辛いこと。不条理だと思うこと。

誤解。などなど、、、いっぱいあります。


でもね。いちいち、それぞれに心を奪われる必要はありません。


誠実であること。そのことは、自分自身が知っていればいいことです。

たっくさんのネガティブなエネルギーがあるってことは、

その対極には、ポジティブな大きなエネルギーが存在するってことです。


肉体は、それを知っていて、

背骨を通して、バランスを取っています。


このところ、少しからだがなんとなく「バランス」を欠いている気がしていました。

これは、大きなシフト(変化)が起こる前触れで、

からだが勝手に「肉体改造」を始めたせいだとわかりました。


今までの私のからだ(肉体)が、「小さな小船」のようだとすれば、

これからのからだは、まるで「豪華客船」かも。。。。




これからの進路(航路)の選択が終わり、

目的地が定まったところで、

乗組員がたっくさん乗船してきた感覚です。


今までは、1人力だったけれど、これからはそれが数百倍になった気分です。


私が「意図」したことに賛同してくださった、

多くの人や力が一堂に会して応援、遂行してくれるんです。


こんなありがたい体制はないよね。




今年、大きな変化の波がザブーンってやってきました。


さてさて、その波、どうのってみるかね〜って、

その度に試行錯誤して、

まずは、自分の浄化及び肉体改造を行いました。


そして、

「問題」は常に見事な結末を見せてくれてきたことを、

振り返ってみました。(問題は起こった時点で解決している)


あなたが変わるチャンスだよって示してくれていることが、

「問題」の本質です。




今年の冬は、家族構成も変わり、

大きな出来事は、

来年に向けてどのような進路をとったら良いのか、

私に「その意味」をはっきりと指し示してきました。


今日は、その始めの「一歩」です。


さあ。始まるよ〜♪







井沢慶紅でした。

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介護のお話は、あまり書いていないけれど、

 

今日は、介護を通して感じたことを、

 

まとめてみました。ほんの少しですが、

 

どなたかのお役に立てば幸いです。




 

自宅介護の日々は、知らず知らずに、

 

自分のパーソナリティが失われていく。




 

介護をしている自分が「自分」になってしまうと、

 

本当の自分は、どこか片隅に追いやられてしまうのです。


 

じんわり、じんわりと、侵食されて、

 

「自分」が奪われてしまう。




 

私のからだは、そんな危険を察知していて、

 

未来予測していたことが、過去を振り返るとわかります。





 

「自分を知る」をテーマに、サロンで定期的にアストロロジーの講座を始めたのが、

 

2014年の春。

 

これは、自分の人生に何が起こって、それがどんなタイミングで、

 

どんな理由で起きていたのか、理解する良いチャンスでした。

 

私をはじめ、この講座に参加された皆さんが、

 

自分のことを客観的に捉えて、洞察力を磨くチャンスとなりました。

 

どんな波がやってきても「対処」する冷静さや忍耐、

 

準備ができるようになるんです。


 

またご要望が多ければ、開催しましょうね。



 

次に、私のからだが引き寄せたのは、

 

「ソマティクス」(西洋で発達してきた『からだの学問』)でした。

 

2015年の6月に、ダンスサイエンスに関する自宅書棚で、

 

何気なく買っていて眠っていた本を発見。

 

すぐに著者に会いに行きました。

 

私が出会ったのは、正式には、「シン・ソマティクス®」というもの。


 

見た目のボディでなく、

 

内側から、自分だけが感じ取れる身体感覚を発達させていく方法及び学問。



 

ニューヨーク州立大学の一つ、ブロックポート校の名誉教授、

 

Fraleigh氏の30年以上のダンス教育で培われた指導経験に、

 

フェルデンクライス、クレニオセイクラルセラピーなどの様々なボディワークの要素をを取り入れ、

 

哲学や瞑想、ヨガや暗黒舞踏、禅を通して得られた経験や研究を統合して確立されたもの。




 

基本的には、何をするかって?

 

まず、現在の自分のからだを受け入れるところから始まるの。


 

じっくりと向き合う。

 

(日常生活ではありえないゆっくりのスピードでからだを動かしてみる)

 

そこで何を発見するか。

 

様々な感覚や機能が、自分の中に眠っていることに気づいていくプロセスで、

 

後付けされた「動きの癖」が取り除かれていき、

 

本来あるべき状態へと、戻っていく。



 

そう。

 

本来の「自分のあるべき存在」を発見するのです。

 

神経と筋肉の絶妙なコンビネーションが芽生えていき、

 

からだがもっと楽に、効率よく使えていきます。

 

ソフトに、できるだけ力を入れずに動くことで、

 

無駄な力が抜け、神経がとてもリラックスします。



 

(ストレスフルな筋力を硬直させる生活は、神経組織にダメージを与えています)



 

ゆっくりゆったりの状況を自分に与えることで、

 

エネルギーの無駄遣いがなくなり、

 

燃費の良い、コスパが高いからだへと変化していくのです。

 

このプロセスには、大きな喜びや発見が伴うので、

 

「自分の真の姿を創生」する「人生の大革命」でもあります。



 

私は、このメソッドを始めて「自分の開花」(自分への回帰)を体験しました。

 

それまで自分を守っていたと思っていた「黒服」が、

 

着れなくなったのです。(2017年5月)、、、シン・ソマティクス始めて2年。



 

考えてみると、○○クロの黒の上下で。

 

壮絶な毎日を過ごしていた私です。

 

寝ている時だけが天国の日々。(恐ろしいね♪)


 

それまでの人生を様々な「緊張」が支配していたなんて、

 

夢にも思わなかったです。




 

ありとあらゆるところの「こわばり」を、

 

一つ一つ丁寧に、ゆっくりと、

 

まず認識して受け入れることから始め、

 

自分のからだの内側に意識を持っていきます。

 

そして、そこで起きる「小さな変化」に、

 

からだ全身の神経を向けて、

 

(神経ネットワークを一箇所に集中するってからだの眼でその状況を観ているとも言えると思う)

 

からだの変化や感覚の変化に寄り添う作業。

 

それは、新たな神経ネットワークを再構築し、

 

脳で知覚する「新しいからだへの目覚め」でもあります。


 

決して、「良い」「悪い」「間違った」「正しい」なんて言葉が、

 

出てこないワーク。

 

 

「強制」「矯正」から「共生」へ。


 

ただあるべき姿へと戻っていくプロセスです。


 

本当にシンプルな工程。


 

やっていることは、「優しく触れる」「ゆっくりゆっくりゆっくり」

 

「内側の感覚の変化にからだの内なる耳や内なる眼を向ける」

 

それだけ。


 

二年間で、膨大な数のワークを「自分」に施しました。



 

私のお洋服が、突然変わってびっくりした方も、

 

たくさんいらっしゃると思います。


 

突然、黒が着れなくなって、

 

からだは、もっと優しいものを求めました。


 

これは、衝動ではなく。

 

私の本来のからだの声が常に発信していたものに、

 

やっと気がついた瞬間でした。



 

寝ている時も、どんな時も、

 

その服に包まれていると、

 

「なんて気持ちがいいんでしょう」って、

 

からだが喜んでいるんです。


 

深い喜びなのでしょうか。

 

一旦それを味わうと、もう後戻りができない。

 

そして、からだに嘘をつくこともできなくなりました。


 

これが、「自分を愛する」こと。なんだね。

 

からださん。

 

えらいよね。あなたは何でも知っているし、

 

私の未来も予測しているんだもん。



 

この体験により、介護に対する姿勢も一変したのです。


 

ヨロイカブトで万全装備していた「私」から、

 

「どんな状況も受け入れるよ〜」と言ってる、

 

「ノーテンキな私」へと、シフト。



 

あははは〜。


 

「ストレスフル」から「ストレスレス」へ。


 

いいよ!ねっ♪


 

自分に対して優しくなるってことは、

 

自分以外のものやひとにも、

 

同じくそういう状態で関係性を築くことができるんだなあ。


 

発見は、いろいろ。

 

そんなことを目的や手段にしていなかったのに、

 

なんだか山盛りのご褒美がもらえちゃった感覚。



 

認知症に対しても、違う側面が見えてきた。


 

両親はもちろんのこと、

 

状況そのものを受け入れる姿勢が変わったな。


 

相手から、私がどう見られているのかは、わからないけれど、

 

あ〜そういえば、面白いこと言われたっけ。


 

母が入っている施設の、比較的認知が軽い方が、

 

「あのお姉さん、派手になったね。面白い洋服着てるよ」

 

って言っていたっけ。




 

うふふふ♪



 

認知症にも、人それぞれいろんなタイプがあります。

 

ケア施設の認知フロアに1日いると、100人100色。

 

どれとして同じ症状などない。


 

これは、医学的に「認知症」などと病名をつけてはいけないのだと思うな。

 

ひとくくりにしちゃうから、

 

対処法や改善法が見当たらないんだよね。


 

一人、一人、対応を変えて接しているワーカーさんもいて、

 

彼女は素晴らしいなあって、

 

最近働き始めた方ですが、感心しています。


 

働く人も、長年続いている人は、わずかで、

 

あとは、めまぐるしく職員が退職就職を繰り返しています。

 

それだけ、大変なんでしょうね。


 

母の初入所で訪れた時は、

 

こんなところありえない!

 

「まるで地獄」のように感じました。(2年前)


 

唸り声をあげながらタオルを食べている人(実際には噛み切れないので食べてないけど)、

 

過去の出来事に執着して、今まさにその出来事が起こっているかのように、

 

フラッシュバックを繰り返し、怯え叫び、「もうしませんからごめんなさい」と謝り続ける人。

 

仕事で細かい確認作業をしている幻想に囚われている人(相当なストレスを抱えて仕事してたんだね)、

 

家に電話をかけたいから「10円してください」「貸してくれたら20円にして返すから」

 

「お願いです」ともう何ヶ月も言い続けているおじいちゃん。(今日は200円にしてくれるって、、、毎日途方に暮れている)


 

胃瘻をしているあるおばあちゃんは、他の胃瘻患者さんと違って体力があって、

 

車椅子で座位を撮る時間が長くて、日中は食堂にいて、

 

みんながご飯を食べている時もなぜ自分はご飯をもらえないのか、

 

説明されてもわからなくて、「ご飯をください」って言っていて、

 

「お口からじゃなくて胃袋で食べているのよ」って説明されても、

 

「????」で、娘さんの名前を呼んで「助けて!」「お願いです」叫びながら、

 

懇願し続けています。



 

これって?病気?ですか?





 

認知症の母に対するケアも、

 

私自身の中で大きく変化しています。


 

まずは、「認知症」なんて言葉を捨てて、

 

母の全人格を受け入れるところから始めます。


 

ほとんど寝たきり状態であることも、受け入れます。


 

今は、母と会うと、

 

「笑顔」や「怒った顔」「ぼやけた意識」

 

いろんな状態のそのものを、

 

全て優しく受け止めて「ただ一緒にいようね」って、

 

ゆっくりと優しく声をかけ、

 

ふれあいを楽しんでいます。


 

母の中から、何かが芽生えるのを、

 

一人ひそかに待ち、ワクワクが、

 

ひそやかに高まってきているのを感じています。



 

人生の終焉へと向かっていく人々を、

 

毎日目の当たりにしていると、

 

私自身、

 

「最後まで人間でいられるかな?」という不安がよぎります。



 

私が、自分の中で体感した「本当の自分」「素の自分」は、

 

これからも成長発展を遂げて、

 

きっとそんな不安も払拭してくれると、

 

信じています。




 

さて、介護を通して、

 

私が体験できたことは、

 

自分という存在の在りかです。



 

黒服で鎧をつけて、頑張っていたあの頃。

 

もう少しで、「自分」を失うところでした。

 

でも、反対に、失いそうになったから、

 

「自分」が見えてきた(感じられた)という体験ができたとも言えます。


 

そういったプロセスにずっと立ち会ってくださった先生に、

 

心から感謝しております。


 

私を信じてくださって、

 

慈愛『compassion』を示して、傍にあり続けていただいたことで、

 

私は、自力で開花することを、強く信じて(信念の基盤)、

 

変化を体感することができました。



 

今は、大きな変換期。



 

父を見送ったあの日に、

 

私自身も見送った気がします。




 

一つの時代は終わりました。(私の歴史の中の一ページが終了)





 

これから、「新たな人生の本」の一ページの冒頭を、

 

書いていくんだという気分です。


 

今まで培った全てを、

 

待っている方々に届けたいと願っています。


 

サポートしてくださる方々、私に力を貸してください。

 

どうぞよろしくお願いします。(今までより以上にね♪)



 

メンタルな時代は、「人間て何だろう」と、

 

答えを求めているのですが、

 

(アメリカからやってきた『ポジティブシンキング』が、うつを劣悪な状況へと押しやっていて、爆発的に増加させたとも言われています)、、、でもこのことはどうでもよし、注視しなくていいの。


 

認知症の治療、あらゆるメンタルケアは、

 

功を奏することはない(治癒に至らない)という結論が私の中にあります。


 

なぜならそれらは「病気」ではないからです。

 

原因がそこにはないのに、

 

結果が得られるわけはないですね。



 

答えは、からだの意識の中にあります。

 

心と神経ネットワーク、

 

脳と心を繋いでいくことで、

 

未来に光が見えてくる。


 

その確信をしっかりと携えて、

 

これから歩んでいきます。







 

井沢慶紅でした。

 

 

 

 

 

image by Oiluj Samall Zeid







真夜中に起こされた。

なんだろう。

こんなに早く私を起こして、何が始まるのかな?

どんな展開になるのか、軽く瞑想状態で、

現れてくる「言葉」を、

映像化しながら楽しんでいました。


額に意識を集中すると、

ヴァイオリンを楽しんでいる父の姿。

イメージの中に浮かび上がった姿は、

ぼんやりとしていて、輪郭はないけれど、

絶対にお父さん。


あ〜よかった。

もう、自在にヴァイオリンを奏でるまでになったのね。


小学校の頃、よくヴァイオリンを弾いてくれていたっけ。

私がピアノが弾けるようになると、合奏したっけね。


何を一緒に演奏したか忘れちゃったけれど、

あの幸せなひと時は、強く浮かび上がってきます。


それから間もなく父の人生には、次々「不幸な嵐」が吹き荒れて、

「楽しみ」や「喜び」は、かき消されてしまったのです。



父の人生をちょっとさかのぼりましょう。

大学を出て、就職難の中、

ある化学研究所に勤めた父は、

そこの顧問であった芸大の教授と親しくなり、

中野のお家に居候させてもらって、

教授のお子さんの家庭教師をしながら、

職場では、合唱部を作りました。


そして、結婚。子供ができ、マイホームパパを。


奥さんがお仕事で忙しいから、

いつも休みのたんびに、私たちをいろんなところに連れて行ってくれましたっけ。


ところがです。「いい話?」が父に舞い込んできます。

全く畑違いの建築関係の新しい仕事の話。

母の反対を押し切って、男のロマンをとったんだね。

母は、現実がわかっていたんだと思う。


父は新しい会社の専務となって、神奈川県下の営業を一手に引き受け、

毎日200キロ以上、タクシー運転手並みに車を運転する生活になりました。

夜は、接待でお酒を飲む毎日。


がんばりは、会社の成長を右肩上がりに押し上げ、

県下でも有数な会社になりましたが、

体は、次第に蝕まれていきました。

思うように動けなくなっていった父。

ある日、綺麗さっぱりと仕事を辞めてしまいました。


いろんな思いを溜め込んでいた父は、

昼間は寝て、夜中にお酒を飲んで、

狂人となる日々が続きました。


昼間は、母や私が自宅の下にある美容室で、

働いていたから、

我慢していてくれたのだと思いますが、

怖かったです。


家具を投げつける音や、

壁を叩く音が、

深夜になると始まるのです。


その音からは、

一生懸命頑張ったのに、

なんで自分はこんな目にあわなきゃいけないんだという「怒り」や、

「悲しみ」が伝わってきました。

そして、ある晩、自分の命をも、、、、



幸い、命は取り留めましたが、

それからは、抜け殻のようになってしまった父は、

いったい何を思って生きていたのでしょう。


つい3年ちょっと前まで、

父の人生には、「不幸」の嵐が、

吹き荒れていたのかも。




そんな父に、再び「天上の音楽」が舞い降りてきたのは、

お世話になっていた老健施設での、

ある日曜日の朝でした。

人気のない日曜日のデイサービスのフロアから、

ピアノの音が聞こえてきました。


父と母の車椅子を同時に押して、

その美しい音色に導かれて広い廊下を歩いていくと、

明るい光に満たされた片隅で、

小柄な女性が「車椅子」のご主人のために、

ピアノを弾きながら「ふるさと」を歌っていたのです。


私たちの姿に気づくと、「一緒に歌いましょう」と、

いくつか曲を弾いてくださいました。


父がクラシックが大好きだとわかると、

では、お父様に。この曲をプレゼントと言って、

ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 「月光」

を弾いてくださったのです。


美しい音色に、父も母も私も涙しました。


それからしばらくして、

ある日のこと。



ベッドに横たわった父の元を訪れると、

私にこう言ったのです。

「お父さんの財産をあげるよ」

「?????」

(父は、常にウィットとユーモアに満ちていたと、父の悪友から先日話を聞きました)

「何くれるの?」(隠し財産?)

「。。。。。。。」「お父さんの財産はヴァイオリンなんだ」

「それをやるよ!」

なあんだ期待しちゃったけれど、違った。

だけど、その言葉はズシンと胸に響きました。

憎たらしいこと言うじゃん。お父さん。


何十年って見たことのなかったヴァイオリンは、

埃だらけになって、押入れの天袋のずっと奥に、

仮死状態で眠っていました。


完全防備をして、その天袋に飛び込み、

ヴァイオリンを救出。

恐る恐る蓋を開けると、弓に使ってある毛は、粉々になって、

なんとも悲惨な状態でした。

これは、このまま見せられないと思ったので、

「思い出のヴァイオリンを修復」でネット検索して、

修理をお願いしに横浜に飛んで行きました。


生まれ変わったヴァイオリンを父の元に届けて、

さぞ喜んでくれるかと思ったら、

少し触れただけで、「もう弾けない」ですって。


何も言ってくれない父は、

私にヴァイオリンを託すことで、

もう自分の人生の幕を閉じようとしていたのかもしれません。



毎週日曜日の朝、あれからずっと、

音楽を楽しむ「20分」は続いています。(元気な時だけね)

今年の1月(2018年)、インフルエンザの流行で、

施設が閉鎖されてしまった時に、ピアノの友人は、

お家にいてもたってもいられなくなって、

楽器店に飛び込み、ある楽譜を手に入れました。


それが「ダニーボーイ」

お父さんたちと会えるようになったら、

これを歌いましょうと、手書きの楽譜をくださったのです。


それが、まさか、父の「ラストソング」になると思わなかった。
何を思っているのか、何をしたいのか、

それを表現することさえもできない状態で、

生きているって、どんななんでしょう。

わかってあげられない苦しさは、

多くの家族の方が感じられていることだと思うのです。



今になって思うことがあります。


「苦しんでいる」目の前の人の、

「苦しみ」に焦点を当ててしまうと何も見えないんだって。


「音楽」「ソマティクス(ハンズオンによるボディコンディショニング)」は、

「生きている細胞」に直接語りかけてくれるんだね。


その世界は、「苦しみ」がなくて、

「幸せ」に満たされた世界です。


それから、「父の幸せな細胞さんたち」に、

語りけることを続けました。


肺炎と熱で苦しみながらも、

私の歌う「ダニーボーイ」を聞いて涙した父。

10月28日の日曜日の朝でした。

目がキラキラ、少年のような瞳で、大きな声で私の名前を呼んで、

出迎えてくれたね。

一番を歌い終わると、

動かないはずの手首をパタパタ大きく動かして、

全身で喜びを表現してくれた父。


「胸から響く音のない喝采と大拍手」



思えば、これが、最後の曲。


そして、父を送る「葬送曲」となりました。


ご住職の読経が終わり、

私の心に寄り添ってくれている父と一緒に考えた弔辞を読み終えると、

私の体の中を、地面からずっしりとした大木が生えてきて、

どんどん太く太くなるような感覚をおぼえました。


そして、参列した皆さんに、

「ラストソング」を歌った10月28日の日曜日のお話をしました。


その瞬間、みなさんの心に「父の姿」が見えるようでした。

「今日は、この曲で父を送りたいと思います」

「よろしかったらご一緒に歌ってください」


熱い熱い涙が、

参列してくださった皆さんの頬を濡らしました。


そして、歌いきった後の「大拍手」


きっとみんなお父さんと一緒に歌って、

幸せになれたのかも。。。。



結果、仏式のおきまりの葬儀だったはずのお見送りは、

音楽葬になったのでした。


出棺の儀式を待つ間、

「ブラボー」って言われちゃった。

泣いて、笑って、ハグし合いました。


すっごい明るい葬儀に、

たくさんの想いが込められて、

さぞ喜んでいることでしょう。


その日、何十年ぶりかで会った「父の悪友」は、

スピーチの仕方や語り口調が、

父にそっくりで、父を見ているようだったと、

火葬場で語ってくれました。


お父さんと一つになっていたのかもね。



貴重な体験でした。

さあ、今日はこの辺で失礼します。




井沢慶紅でした。


image by Jim Choate

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人が亡くなるって、とっても悲しい話だと、

無意識のところで、そう思い込まされてしまう「慣習」があります。

「失う」イコール「悲壮感」ですか?


そして、果たして「失っている?」のでしょうか。

「失う」ことの後ろ盾には、「恐怖」がいます。

そして、「執着」、、、そこから離れられない!

捨てられない!などなど。

あって当たり前のような関係、、、はどうかな?

「家族」「パートナー」「恋人」の関係をこじらせてしまうのは、

「期待」や「執着」です。






実は、元っから、

「自分のもの」というものは、

この世には、そんな物質存在しないと思っていたらどうでしょうね。

だから、「失う」ものもないでしょ。




父を先日見送って、両親二人の介護を振り返ってみました。

2年2カ月施設に通い詰めの毎日。


車椅子(歩行不能)で施設暮らしの二人。

施設の中では、車椅子2台を同時に操っていた私です。


毎日少しでもよくなるように、できる限りの事をして、

毎日毎日、通いました。




もっとさかのぼってみると、


その前は、2008年から、両親の住む家での介護。

歩ける人や自分のことができる人は、なるべく在宅で、、、と言われ、

お家での介護になります。

ケアマネージャーさんに相談して、

そのお家に最適な「支援」を選べるようになっていますね。



私が、在宅の父母をみていた時は、

父が母を介護する形を、サポートする介護。

これは、非常に気を使いました。

常に父にエールを送って、「母の面倒を見ているんだ」って、

実感してもらえるように、影の存在としての役わりに、徹していました。



毎日、母を早朝風呂に連れて行き、(4年近く続いたの)

そのあとカフェで、父と待ち合わせをさせて、

デートしてもらいました。

スーパーでも人気者の二人になりました。



介護を通して学んだのは、「人間ってなんだ」ってことです。

答えはひとつじゃない。

毎日毎日、小さな答えはやってきます。

でも、一つあげてと言われれば、

「幸せになる」ことかな。人間て幸せになるために生きている動物。

そうかもね。

でもさ。

実際は、苦悩の連続だよ。

それでも、「小さな幸せ」は、いたるところに散りばめられているのが、

ちらほらとわかってくるもんなんだね。


お金がいっぱいあってなんでも買える人。

文句ばかり言っている人。

こういう人には、「小さな幸せ」やってきませんから悪しからず。






介護の話の続き。。。。

お家に居られるうちは、まだまだ状態は軽いですが、

家族の負担は、神経的に落ち着かないというところです。


施設に入らなければならない状況になってくると、

また別の心配やストレスがやってきます。

どんどん生活機能レベルが低下していくからです。





「奪われていく自由」


こう書くと、悲壮感漂いますよね。


でもでも〜〜。。。。

肢体不自由でも、心は解き放たれる。

私は、これを目のあたりにしました。

すご〜〜く根気はいるよ。


頑張れば、がんばり甲斐があるからね。試してほしいな。


これは、何かをしてあげるよりも、


じっと寄り添うという「そこに居続ける」がんばりです。


もっと言えば、どういう状況を見ていても、


常に「自分であり続ける」こと。




父と母を抱きしめて、

「大丈夫だよ」「私がいつもついているからね」

「安心してね」「守っているから」

「なんでも私に言ってね」

年がら年中同じことを囁いていました。



だからなのか、

亡くなった父は、肺炎で2カ月間辛かったはずなのに、


最後のお顔には、

その苦しみが全くなかったのです。



安置されていた場所は、葬祭ホールでしたが、

毎日の仮通夜には、

入れ替わり立ち代り、父とお話しする方が現れ、

なかなか人気者の父でした。


毎日盛り上がってました。


父も参加してね。


するとどんどんお顔が変わってきたのです。


若い女性が、「お父さんと会えて幸せ」なんて言うと、


お顔を赤らめたりするんですよ。


こんなことありえないでしょ。


私の錯覚じゃなくて、その場にいた方は、


みんなそう見えたんです。


亡くなってから7日後のお顔は、

なんと安らかな、まるで赤ちゃんのような雰囲気を醸し出していました。


亡くなってからもずっとスキンシップしてもらえるなんて、

幸せですよね。




前回の「梅干し」の話が、

ちょっと悲しげだったかな?

まだまだエピソードは、続きます。



今日はこんなところで。



井沢慶紅でした。




image by John

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私に残されたのは「感謝」の2文字だけ。






お父さん


ありがとう。



最後の2年と2ヶ月。


私のできる限りの心を受け取ってくれてありがとう。



最後の2年は、徐々に「自分でできること」を、

奪われていった時間だったね。

絶対に口には出さなかったけれど、「死にたい」って思ってたんだよね。

辛かったもんね。



お父さんが「自分の漬けた梅干し」を「食べたい!」って言ってくれた時。


嬉しかったよ。


そこから、ご飯を完食するようになってくれたから。

もしかしたら、あのままだったら、、、、

2年前にすでに「お別れ」が来ていたのかも。


あの時。「お父さんの梅干し」は、

「それでも生きる」を教えてくれたんだね。



これからも、「お父さんの梅干し」大切にするよ。

必要な方に配りながらね。



息を引き取ったお父さん。

誰もいないところ、時を選んだお父さん。


1時間後に駆けつけた時には、

すでに帰らぬ人。



肉体から離れたお父さんを呼んでみたけれど、

なんの返答もなかった。


送迎車が病院に迎えに来て、安置される場所に辿り着いた時も、

その間じゅう呼びかけたけれど、

そこには、もぬけの殻のお身体があるのみ。


会えたのは、四日後の日曜。

姿かたちは見えないけれど、「雰囲気」でわかったよ。

ほんの数分間。


そう。みんなにおにぎり作ってって言われたんだよね。

大好きだった白いお米を炊いて、

お父さんの梅干しを入れて、チイちゃなおにぎり作ったね。


みなさんに配って。って。


お父さん。粋なことするじゃないの。


ユーモアとセンスの良さ。

これを教えに来てくれたのかな?



亡くなったそうそう、あの世の修行があるって聞いているけれど、

お忙しい中、ありがとうね。


残された人のことが気がかりだったのかも。



私もこうやって、やっと書けるようになったよ。


まだまだ大丈夫とは言えないけれど、

前に向かって進んでいくからね。


安心してね。





今日は、父のこと書かせていただきました。

どんな亡くなり方をしても、

故人は「悲しんでなんかないよ」という本を読んだことがあります。

家族にも「安心してね」って言いに来てくれるんですって。

この世の「痛み」「苦しみ」からすぐに解放されると言うくだりを読んだ時に、

安堵感を覚えました。

素敵な本だったなあ。


そうそう。これだった。
よかったらお手に取ってみてね。



井沢慶紅でした。


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新しいからだづくり。



今、刻々と変化を遂げている「からだ」さん。

病気を通して、

いろんなこと学べせてくれたね。

ありがとう。



もっともっと、あなたと仲良くしたいんだけど、、、、、




私が変化するごとに、

「からだ」さんは、よりしなやかになってくれている。

それは、私があなたを理解している証拠だよね。



未来を熟知しているであろう「からだ」さん。

もっとあなたのことを知りたいんです。


私だけでなく、この記事を読んでくださる方々のためにも、

やさしく教えて下さらないかなぁ。


未来がわかる?ちょっと語弊があるね〜わかるというより、作っているんだよ。細胞をね。

それには、設計図が必要だろ!僕たち「細胞」は、摂理を基盤に「発生」をしていく。

摂理の中には、様々な情報が組み込まれていく。もともとは、本当にシンプルなものだったんだ。

それが、人間の進化とともに複雑化した。遺伝子情報も膨大なプログラミングになってしまったよ。

複雑化してしまったプログラムをリセットするために、僕らは自ら意図したんだ。

それが、病気や痛みやアクシデントを発生させる。わかってもらえるかな。

自らを浄化するプログラムを作ったんだよ。



ありがとう。「からだ」さん。

さらに、仲良くなれた気がする。

浄化プログラムのこと、もっと聞きたいんですけれど。どうかな。




細胞たちは、それぞれ「目的を達成」して、そのサイクルを閉じる。

生物(細胞の集合体)は、「生きる」ために存在し続ける。「閉じる」まで。

がん細胞も同様。君たちから、がん細胞は悪者のように取り扱われているが、

実は、生命を一番に思っているのは、彼らだということを、

わかっているかね。

身体中にまき散らされた「ゴミ」「誤った指示」を回収して、

ヒーリングが必要な場所に集合する。そして、体外へ排出する。

排出の際、「病気」「がんになった」と言っているが、

これが「ヒーリングクライシス」である。



そうなんですね。ありがとう。「からだ」さん。

私たちにできることは、すべてやりたいです。

間違った生活習慣を改めて、ストレスや環境を見直します。


それは、「痛みを消す」「症状を抑える」ことではないし、

がんを殺すことではないですね。


これから、生活習慣をどのように見直すか、

いろいろお話の会など設けて、

「からだ」のメッセージをお伝えできたらと、

願っています。



井沢慶紅でした。



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もう限界をとうに超えている。

お手上げです。

どうにでもしてよ!


こんな風に思ったことってありませんか?

こういう状況を作り出しているのは、

もちろん自分自身なんですけれども、

全て自分の力を出し尽くしているとしたら、

「運を天に任せる」

こんな心境になりますよね。


結果は、もちろん自分にとって良いことが望ましいのだけれど、

厳しい鬼軍曹のような「冥王星」のエネルギーは、

お構い無しです。


「冥王星」のエネルギー?

そう、いきなり言われてもね。

これは占星術用語ですが、

「知らない」で済ませていた頃は、

占星術(アストロロジー)は、なんて複雑なんだろう、

難しいと思いました。



それも、食わず嫌いだったことがわかり、

サロン(ママキッチン)で、2014年からスクールが始まりました。


なんてシンプルなんだろうと思ったものです。

占い?ではなく、データを読み解く分析学でした。

占星術をからだで学ぶところが、きもです。


この三次元と、からだを通じて融合しないと、

全ての学問は、机上の空論に成り下がります。


さて、

私たちの三次元の世界では、

「周期」という概念があります。

それは、「時間」と「空間」が生み出した世界です。


肉体を得て、この物質界に生きているんなら、

その決まり切った「周期」「リズム」を心得たうえで、

どんなメロディー(自分の人生)を乗せていくのか、

デザインする方が、効率がいいですよね。


ですから、簡単な占星術の本、一冊読んでみることをお勧めします。


時空をどう泳ぐか。

それと自分の人生を重ねていきます。



10の星が示す領域のそれぞれのエネルギーが、

12の星座のそれぞれのステージで、

どんな演劇(大いなるプログラム)が繰り広げられるのか、

そんな風に想像すると、

それは、占いをはるかに超えた「永遠の叡智」を紐解くような、

とても興味深い世界がやってくるのです。


まだ、占星術に足を踏み込んでない人にも、

わかるようにお話を進めていきますから、安心してくださいね。



「冥王星」のエネルギー、

これを平易な言葉で置き換えました。

「非情な鬼軍曹」(私にはそう思えるんだなあ〜)


この軍曹には、抗えないんです。

この人、、、悪い奴ではなく、

むしろ「世界一、いや宇宙一(いち)」私たちのことを、

愛してくれる人です。


これでもか、これでもかと、

試練の矢を放ってきます。


「痛っ!!!」


一瞬痛いんだけど、大きく息を吸って、

肩甲骨を緩めて「安心」を胸いっぱいにしてあげると、

その痛みはなくなり、

刺された場所の「意味」がわかると、

その矢は溶けて自分の体の一部となります。


鬼軍曹は、社会の基盤やシステムをも、

一掃してゼロにしてしまえとばかりに、

大きな大きなふるいにかけて、

ユッサユッサと揺らしています。


そうした大波の中を、私たちは泳いでいく。

これが、現在の状態です。

どんな波が来ようと、「自分」という「いのち綱」を持っていれば、

大丈夫だよと、軍曹は告げています。



でもね。

「自分」ってなによ〜

これが重要だよね。



そして、難解な質問でしょ。


こんな風に考えたらいいかも。


それは、自分を自分で見れないという現実。

人間は、「鏡」を発明しましたね。

これで、自分を見ている気になっています。

本当は、淡々と見て欲しいんです。

ジャッジメントなしで。。。。



でも「人間の歴史」は、

様々な「社会通念」や「感情のプログラム」というフィルターを、

作ってしまい、

偏ったフィルターを通して、

情報を受け取っています。


知らず識らずのうちに、組み込まれてしまったフィルター。

それを外す作業が、

歴史を通して、社会通念や宗教概念、信念体系が、

どのように変わってきたのか学ぶ作業です。


歴史が、私たちのからだを作っている事実に遭遇すると、

大嫌いだった歴史も面白くなりました。


そして、何をするか。

社会通念や概念をぶち壊す「勇気」を、

そこからもらうことです。


私たちの「潜在意識」の中の「変わることへの恐怖」は、

そこからきているからです。


一枚ずつ丁寧に、フィルターを外していくと、

自分の前に現れる「いつもの景色」が、

違って見えるではないですか。



いつも見ている景色が、「今の自分」

それを表しています。


「全ては自分の鏡」だと説明する本もありますから、

それも読んでみると良いかもですね。


フィルターがどんどん剥がれてくると、

「現実」の見え方にも変化が起き、

そして、「過去」や「未来」も、

そこに集約されてきます。


本当の自分とは、

過去、現在、未来が同時に存在する、

自分の中の「軸」のことだと、

軍曹はおっしゃっています。




さあ、私に刺さった「矢」は、

この記事を仕上げることで、

フィルターをまた一枚はがした後、

細胞に溶け込んでいっているかな。



井沢慶紅でした。




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美しい声。

 
それは個性。
 
声は、個性そのものを表す「目に見える音」
 
 
 
以前、パーソナリティと声というテーマで、
 
記事を書こうとして、ネットで検索していたら、
 
今通っているヴォイススタジオを見つけました。
 
 
 
そして、その記事を書くのに、
 
3年かかった?(3年経っちゃった〜)
 
 
 
空に投げた質問「パーソナリティと声ってなんだろう?」に対して、
 
「ここへ行ってごらん」って、
 
答えが返ってきたんだね。
 
そして、ヴォイストレーニングに通うことになった。
 
 
 
調べていたことはどこかにすっ飛んでしまい、
 
記事を書こうとして、スタジオにつながったということを、
 
最近まですっかり忘れていたのです。
 
 
日常でもよくありませんか?
 
「あれ、ここにきたけれど、何を取りに来たんだっけ。」
 
っていうことが、、、
 
 
3年間、すっかり忘れていたことを、
 

このタイミングで思い出したのです。

 
 
 
 

*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー

 
ペルセウスはゼウスの血を引く半神であり、
 
神々から授かった魔術的な武具を駆使してメドゥーサ殺しを成し遂げ、
 
その後も多くの困難を乗り越えた。
 
ギリシア神話に登場する英雄である。
 
 *ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
 
 
 
いきなりですが、3年前の調べ物の続きが始まったのです。
 
 
 
この神話のペルセウスは、
 

まさに、「本当のあなた」「あなたの真実」「本当の声」のこと。

 

神聖な、神性のなどと通じていて、清い、品のある「あなたの声」を表す。

 
 
その人そのもの。
 
それが、ペルセウス。
 
私たちの中に、ペルセウス(本当の声)が眠っているんです。
 
 
 
本当の自分ってなんだろうという問いかけを、
 
ずっとずっとしてきた。
 

「パーソナルライ」(自分のこと誤解してる自分)

 

「トラウマ」「罪の意識」や「被害者意識」が性格に化けていることもたくさん。

 
 

難しいことを考えず、目の前に起こることを、認めて、


淡々と「からだの声を響かせる」

 

これでいいの。これだけでいい。

 
 

これ認識するのに3年かかったけれど、

 

もっとも楽チンに「自分を探せる」ツールを、


発見していたんですね。

 
 
 
「自分備わった」「本当の声」を見つけ、
 
そしてそれを活用することが、
 
一番手っ取り早いのかも。
 
 
 

言葉主体で言葉を見事に操っても、ゴールが見えるわけではなく、

 

ともすれば、脇道や迷路へも引っ張り込まれる。

 

「音」

目に見えない部分と現実の架け橋となっている。

 

美しい「音」を自分のからだで響かせれば、自分自身が癒される。 

 
 
「音」これが、無意識と顕在意識の両方に、
 
しっかりと訴えかける。
 
音に表される。「そのもの」を感じる(聴く)だけでいい。
 

その人の真正が。現れているんだもんね。

 
 
 
 

Aさんの声。

 

大きくて、自分の存在を強調する声。

 

聞いていると、頭にクラクラくる声。


これが地声じゃなかったんですよ。驚き。


 
柔らかくなった肩甲骨、肋骨、胸骨がある、
 
「胸」の部分を意識してみると、
 
まるで別人のような声が響いてきた。
 
 
 
ゆったりとした呼気とともに出てきた音は、
 
気品があり、優雅、を醸し出していた。
 
 
 
その方に、
 
「清貧の誓いを立てていた過去生を断ち切る」という文章を、
 
読んでもらいました。
  
読んでいる間も、どんどん変化していく音色。
 

すごく面白い!また実験が始まっちゃう。

 
 

 今回読んでいただいたのは、あるカードの一文です。


それによると、


豊かになることを自分に許せば、自信を持ち、
 
「ティーチング」「スピーキング」をライフパーパスとして、
 

活動していく「新しい道」が開けるということでした。

 

試してみる価値あるよね。

 
「自分の声」がその道案内をして、
 
しっかりとした基盤を築き、
 
「お金」も潤う未来を引き寄せているんだという構図が、
 
見て取れました。
 
 
 
思っていた以上にすごいなあ。
 
感心しちゃった。
 
 
 
 
私の中の何かが、ストンと胸に落ちた1日でした。
 
ありがとう。

互いの進化、変化を、

共に喜び称え合う交流の場をいただいたようです。今回は。。

 
 
 
さあ、これから、さらに楽しみが倍増するなあ。
 
 
 

 ママキッチン

井沢慶紅でした。
 
image by rawpixel.com.
大神ゼウスとダナエーとの間に生まれたペルセウスは、セリーポス島の領主ポリュデクテースから怪物メドゥーサの首を持ってくるように命ぜられた。アテーナーやヘルメース、ヘスペリデスらから助力を受けたペルセウスは、見事メドゥーサを倒し、また海の怪物ケートスの生贄にされようとしていたアンドロメダー姫を救った。天上のペルセウスは、右手に剣、左手にはメドゥーサの首を持っている。メドゥーサの首はあまりに恐ろしく、見たものは石になってしまうという。以上ペルセウスより。

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美しい声。

 
それは個性。
 
声は、個性そのものを表す「目に見える音」
 
 
 
以前、パーソナリティと声というテーマで、
 
記事を書こうとして、ネットで検索していたら、
 
今通っているヴォイススタジオを見つけました。
 
 
 
そして、その記事を書くのに、
 
3年かかった?(3年経っちゃった〜)
 
 
 
空に投げた質問「パーソナリティと声ってなんだろう?」に対して、
 
「ここへ行ってごらん」って、
 
答えが返ってきたんだね。
 
そして、ヴォイストレーニングに通うことになった。
 
 
 
調べていたことはどこかにすっ飛んでしまい、
 
記事を書こうとして、スタジオにつながったということを、
 
最近まですっかり忘れていたのです。
 
 
日常でもよくありませんか?
 
「あれ、ここにきたけれど、何を取りに来たんだっけ。」
 
っていうことが、、、
 
 
3年間、すっかり忘れていたことを、
 

このタイミングで思い出したのです。

 
 
 
 

*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー

 
ペルセウスはゼウスの血を引く半神であり、
 
神々から授かった魔術的な武具を駆使してメドゥーサ殺しを成し遂げ、
 
その後も多くの困難を乗り越えた。
 
ギリシア神話に登場する英雄である。
 
 *ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
 
 
 
いきなりですが、3年前の調べ物の続きが始まったのです。
 
 
 
この神話のペルセウスは、
 

まさに、「本当のあなた」「あなたの真実」「本当の声」のこと。

 

神聖な、神性のなどと通じていて、清い、品のある「あなたの声」を表す。

 
 
その人そのもの。
 
それが、ペルセウス。
 
私たちの中に、ペルセウス(本当の声)が眠っているんです。
 
 
 
本当の自分ってなんだろうという問いかけを、
 
ずっとずっとしてきた。
 

「パーソナルライ」(自分のこと誤解してる自分)

 

「トラウマ」「罪の意識」や「被害者意識」が性格に化けていることもたくさん。

 
 

難しいことを考えず、目の前に起こることを、認めて、


淡々と「からだの声を響かせる」

 

これでいいの。これだけでいい。

 
 

これ認識するのに3年かかったけれど、

 

もっとも楽チンに「自分を探せる」ツールを、


発見していたんですね。

 
 
 
「自分備わった」「本当の声」を見つけ、
 
そしてそれを活用することが、
 
一番手っ取り早いのかも。
 
 
 

言葉主体で言葉を見事に操っても、ゴールが見えるわけではなく、

 

ともすれば、脇道や迷路へも引っ張り込まれる。

 

「音」

目に見えない部分と現実の架け橋となっている。

 

美しい「音」を自分のからだで響かせれば、自分自身が癒される。 

 
 
「音」これが、無意識と顕在意識の両方に、
 
しっかりと訴えかける。
 
音に表される。「そのもの」を感じる(聴く)だけでいい。
 

その人の真正が。現れているんだもんね。

 
 
 
 

Aさんの声。

 

大きくて、自分の存在を強調する声。

 

聞いていると、頭にクラクラくる声。


これが地声じゃなかったんですよ。驚き。


 
柔らかくなった肩甲骨、肋骨、胸骨がある、
 
「胸」の部分を意識してみると、
 
まるで別人のような声が響いてきた。
 
 
 
ゆったりとした呼気とともに出てきた音は、
 
気品があり、優雅、を醸し出していた。
 
 
 
その方に、
 
「清貧の誓いを立てていた過去生を断ち切る」という文章を、
 
読んでもらいました。
  
読んでいる間も、どんどん変化していく音色。
 

すごく面白い!また実験が始まっちゃう。

 
 

 今回読んでいただいたのは、あるカードの一文です。


それによると、


豊かになることを自分に許せば、自信を持ち、
 
「ティーチング」「スピーキング」をライフパーパスとして、
 

活動していく「新しい道」が開けるということでした。

 

試してみる価値あるよね。

 
「自分の声」がその道案内をして、
 
しっかりとした基盤を築き、
 
「お金」も潤う未来を引き寄せているんだという構図が、
 
見て取れました。
 
 
 
思っていた以上にすごいなあ。
 
感心しちゃった。
 
 
 
 
私の中の何かが、ストンと胸に落ちた1日でした。
 
ありがとう。

互いの進化、変化を、

共に喜び称え合う交流の場をいただいたようです。今回は。。

 
 
 
さあ、これから、さらに楽しみが倍増するなあ。
 
 
 
 
井沢慶紅でした。
 
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大神ゼウスとダナエーとの間に生まれたペルセウスは、セリーポス島の領主ポリュデクテースから怪物メドゥーサの首を持ってくるように命ぜられた。アテーナーやヘルメース、ヘスペリデスらから助力を受けたペルセウスは、見事メドゥーサを倒し、また海の怪物ケートスの生贄にされようとしていたアンドロメダー姫を救った。天上のペルセウスは、右手に剣、左手にはメドゥーサの首を持っている。メドゥーサの首はあまりに恐ろしく、見たものは石になってしまうという。以上ペルセウスより。

via ☆ Body knows the future ☆
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