
性欲は本能である。
そうしないと子孫は繁栄しない。
その当たり前が今は当たり前ではなくなっている。
アニメを見てみると、顔は童顔だが体は成人という不思議なキャラクターが多い。よくある感じ過ぎて違和感も覚えないが、それが今の社会の一端を表現した存在だと思う。
アニメはイメージの存在であるから、見るものの願望を実際の俳優よりもダイレクトに求められた結果、ストレートな欲望の具現化のような姿に変化していった。
そしてそこで大切になってくるのは「可愛い」ことにある。
男女問わずアニメキャラクターを性欲の対象としている人たちは別段珍しくもないし、その気持ちはよくわかる。
似た存在に、アイドルという存在がある。
昨今ではアイドルの意味合いも変わってきて、より細分化された意味になってきた。わかりやすく言えば、職業と言ってしまってもよいかもしれない。
アイドルのなかには「恋愛禁止」というルールが存在し、一部のファンからは反感を買う。
恋愛は性欲の詩的表現とも言われていて、やはり本能だと思う。それを禁止しているのは、実に興味深い。ある人は(アイドルの後ろにいる人たちの)商売上の戦略と言うだろうけど、だとしたらかなり巧妙な手法だと思う。
アニメキャラクターにしろ、アイドルにしろ、その大事なセールスポイントは「可愛い」ことだと思う。
可愛さは、究極は花が蜜蜂を誘うように、異性を惹き付けるためのものだと思う。
こう言ってよければ、絵に描いた花。蜜蜂が蜜を吸おうと近付いても絵の花には近付けない。アニメもアイドルも似たように思える。蜜蜂と人が違う点は、そのことを既に承知しているというところだろう。
言い換えれば、表層の可愛さのみが消費されていっている。
もちろん、裏もある。大人向けアニメではセックスするアニメキャラクターが描かれているし、AVの世界にもアイドルはいる。しかしそれはあくまでアウトサイダーとしての存在だと思う。
それが裏側でしか存在できないのは、やはりPTAなどの大人の事情があり、「性的なモノ、ダメ絶対」という社会が、エロはダメだけ、けど可愛いはオッケーというシステムを作ったのだと思う。
ほんの100年前まで当たり前だった文化も文明開化や戦後社会の欧米化で法律も変われば価値観も変わり、そうなったら本能も歪ませるしかなくなる。
っていうか、それが当たり前になれば常識としてフツーになってしまうのだ。
その本能の歪みの捌け口として、アニメやアイドルが人気になっていっているのかもしれない。
アイドルは企業にとっては商品として扱われている。
アイドルを見る人たちのなかにも、人と思って扱ってない人も多い。
SNSで平気で悪口や憶測からくる噂などを語っても、本人は見ない気付かないと思っている。
けど、ちゃんと彼女たちも傷付き、悩み、疲れ、歳をとり、感情もあるし、トイレにも行く。
アイドルだけではない。
似たようなことがネットやSNSのなかで起こっている。
フツーの女の子も、Twitterやインスタグラムで自身の“可愛い”を表現している。
けれども彼女らの“ファン”には表層的な可愛さだけを見ている人も多い。
相馬は、今年のテーマとして、「消費される表層的可愛さ」として、その裏、アンチテーゼ、もしくは反面教師的な演出で表現していきたいと考えています。