ハワイに来て、
実績と経験と人望の有る、
スピリチュアル能力者で、
会社をいくつも経営してる方に、
『イエス、キリストと繋がっている。』
と、お伝えいただく。
そして、まだまだ、
いろんなことを、否定して来たことに気づく。
呑み込んでみようと、
今までに選択したことの無いことをしてみた。
カラダの至る所が痛くなる。
激痛と、悲しみ、苦しみ。
痛くて涙が出てくる。
なんなんだろう。。。
一番否定して来たこと。
それは、
一番、強く、大きく、存在していることかもしれない。
キリストの意識。
私たちは、
両親、二人居ないと、生まれてこない。
その両親も、
二人居ないと生まれてこない。
その両親も。
私が私になるためには、
どれだけの命が混ざり合って出来たのか?
私たちは、イエスキリストの子供であり、
私たちは、仏陀の子供であり、
私たちは、モーセの子供であり、
私たちは、
私たちは、
私たちは、
私たちは、先人、全ての子供である。。。
どこに意識を繋げるか。
どの意識と繋がりたいのか、
どの意識と繋がるのか、
それは、
個人の自由。
そして、
繋がることが出来る。
選択。
ただし、
その人と繋がるということは、
その人の全てを感じるということでもある。
誰かになりたい。
ならば、
なれば良い。
それは、
その人と体験、
経験の全てを、
感じることになるかもしれない。
でも、
この宇宙は、
同じ経験を、
別の人が繰り返すことを、
望んではいない。
だから、
同じ経験は、
絶対にしない。
私は、私の経験をしている。
人が人に寄り添う。
それは、
どこまでも、
違うから、
一緒になれないから、
だから、
寄り添える。
まだまだ、
先人たちに、
『寄り添う』ことが出来てなかった。
『寄り添う』とは、
一緒になれないことを知っていて、
それでも、一緒に居ることを選択すること。
私は、
誰とも一緒になれない。
だから、
一緒に居たい。
そして、それは、
痛い。
痛み。
苦しみ。
それは、
会い。
相。
アイ。
それが、
愛、
なんですかね。
ハワイ島で、
自分を解放出来る仲間と、
一緒に過ごせる。
この幸せ。
こんなことを書きたくなってしまった。
そんな、夜中。