大好きが
好きが分からないから
不幸なんだ。。。
僕は
好奇心旺盛な
子供でした。
見るもの
見るもの
興味がありました。
毎日が
発見と
出会いの連続で
めちゃくちゃ楽しかった。
その感覚だけは
覚えてるんです。
でも
ある時
好きなものが
浮かばなく
なっていることに
気づきました。
出てこない
「今日は、なにが食べたい?」
「。。。。。」
「今、なにしたい?」
「。。。。。」
出てこない
自分を
大人
だと
思うようになってから
今
なにがしたいのか
出てこなくなりました。
守らなきゃいけない
ルール
気にしなきゃいけない
人の目
社会で生きていく上で
大切、、、。
いろんなことがあって
いろんなものを
手に入れて
いろんなものを
失くして
動けなくなって
いろんな人に
甘えることしか
出来なくなって
甘えて良い
という許可
が
無理矢理
自分に
降りはじめました。
そしたら
子供の頃のことを
思い出しはじめました。
子供の頃
全てに
興味がありました。
毎日が楽しくて
仕方がなくて
好奇心が
とどまることを
知りませんでした。
物心がつきはじめて
親に叱られるように
なりました。
何度も
何度も
何度も
何度も
叱られました。
楽しいことをする度に
叱られました。
したいことをする度に
叱られました。
だから
いつしか
したいことは
してはいけないと
思うようになりました。
自分が楽しむと
親が悲しむんだ
大切な人が悲しむんだ
という
思い込みが
大きく
大きく
なっていき
心の底の底に
溜まっていきました。
大人になっても
好きなこと
興味があることを
楽しんでいると
この
感覚が現れ
大きくなって
感じます。
罪悪感
大好き
と
罪悪感
私の心の
表と裏
ずっとずっと
昔から
私の心の
奥底の
深い深いところにある
その
エネルギー。
これを
無くそう。
無くならないと
幸せになれない。
そう思って、
沢山の
ヒーリング
カウンセリング
コンサルティング
セミナー
ワークショップ
参加して
参加して
向き合いました。
無くそうとして。
そして
どんどん
苦しくなりました。
なにも
出来なくなりました。
出来なくなって
気づいたこと。
そのまま
生きる
しかない。
出来ることは
それだけ。
そのことが
心の底の底に
落ちていったとき
全てが
そのままで良いことを
理解できました。
だから
大好きが
分からなくてよい。
「大好きが分からない」ってのも
そのままで良いんだ。
ありの
ままで
その
ままで