「築炉(ちくろ)」という言葉はあまりなじみが無いと思います。

 

私も建築分野の「特定技能1号」の教材制作に関わるまでは知らない言葉でした。

 

漢字を見ればそれがなんだかは想像できます。

 

炉をつくることです。

 

身近な所では、ピザ窯は炉のひとつですし、焼却炉や鉄をつくる溶鉱炉、原子力発電の原子炉も炉の仲間です。

 

築炉に関する教材を作ることになったため、色々と調べ始めました。

 

その中で出会ったものの一つに「たたら製鉄」がありました。

 

古くから日本で行われてきた製鉄方法の一つです。

 

「たたら」というのは足で踏んで空気を送る大きなふいごのことです。

 

「永代たたら」という仕組みで鉄を作るときに、空気を送る装置が「たたら」です。

 

よろめいて空(から)足を踏むことを「たたらを踏む」と言いますが、ここからきている言葉です。

 

鉄の材料としては「鉄鉱石」が知られていいますが、日本では「砂鉄」が多く使われていました。

 

この砂鉄を取るために、山を切り崩して土砂を川に流し、比重の差で砂鉄を分けるということが行われていました。

 

これを「鉄穴(かんな)流し」と言い、中国山地、特に出雲地方で盛んに行われていました。

 

出雲平野、安来平野、そして倉敷市の一部は、鉄穴流しで運ばれてきた土砂が平野形成に寄与したと言われます。

 

中国山地で「たたら製鉄」のために切り崩された土砂の量は15億立方メートルにもなります。

 

出雲平野を流れる斐伊(ひい)川に流れ出した土砂の量は約2.2億㎥(東京ドーム約177杯分)という事ですから、すさまじい量です。

 

鉄穴流しが行われ始めたのは16世紀末以降とみられています。

 

700年代から1600年代までの間の900年間に斐伊(ひい)川によって拡大した平野面積と、鉄穴流しが盛んに行われることによって縮小した宍道湖の面積は、ほぼ等しいと言われています。

 

当然、「鉄穴流し」は、水による自然災害を引き起こす原因にもなっています。

 

中国山地で最も多く鉄穴場があった髙梁側流域では、1600年代から1900年くらいまでの間に、大きな水害が9回も発生しています。

 

「たたら製鉄」のためには、大量の薪が必要となります。

 

12㎞の圏内の木炭用の木を伐りつくすと、次の場所に移るということを繰り返し、木が成長した30年後くらいに元の場所に戻って「たたら製鉄」を再開していました。

 

自然環境の破壊や下流域への安全などは考えられなかった時代なので、「たたら製鉄」が原因で地形が変化し、災害につながったということがたくさんあったわけです。

 

長い間に樹木で覆われた鉄穴流しの跡が、何の対策も行われずに放置されている状況は、豪雨の時の災害の原因になる可能性もあります。

 

「たたら製鉄」は、東北地方でも盛んに行われていたようで、北上山地にはそのあとが300くらい残っているようです。

 

「たたら製鉄」は、そこで働く労働者や農民との間にトタブルを発生させ、「鬼」の伝説や「ヤマタノオロチ」、「妖怪」などの伝説にもつながっていきます。

 

調べるには、とても面白いテーマです。


一方で、こういった事を知らずに生きてきた自分にも驚いています。