大切な人というのは、人生の場面場面で変わるようです。
その変化をざっくりと考えてみたいと思います。
私の場合、親に育てられている間は、特に「親や兄弟が大切な人である」と意識しませんでした。
「あなたにとって大切な人は誰ですか?」と質問されれば「両親です」と答えたかもしれませんが、意識するきっかけが無いと、当たり前の「日常」の中に紛れていました。
もちろん、自分を育てるために必死で働いてくれている親を日々目の当たりにしていれば、早いうちから大切な人として親を意識すると思いますが、ここではそれは考えないことにします。
思春期になり恋人ができ、結婚を意識するようになると、大抵の場合相手が大切な人になります。
親より恋人のほうが大切だ、と思う人も出てきます。
昔から親を捨てて一緒になる「駆け落ち」という行動がありますが、どんなにテクノロジーが発達した時代になっても、これは変わりません。
何故そうなるのでしょうか?
人を生き物ととらえるなら、「種の繁栄のためにそう感じるような仕組みになっている」と言えそうです。
結婚して子供ができると、大切な人は「子供」に変わります。
自分の連れ合いと、子供のどちらかしか助けられないという場面があったとしたら、助けるのは子供でしょう。
相手もそれを望むでしょう。
人間にはそうしてしまう仕組みがあるという考え方があって、私もそれに同感するタイプですが、これは別の機会に触れます。
子どもを持って親になると、初めて「自分を大切にしよう」という気持ちがわいてきます。
「自分を大切にする」というのは、「自分中心に考える」ということではありません。
自分の健康や、自分や家族が幸せになることを意識して生活するという事です。
自分の子供が健康でいてくれて、できれば幸せでいてくれることが何にも代えがたいことが、親になってやっとわかります。
親の最大の悲しみが何かは、言わずもがなです。
それが分かるので、自分を大切にしなくてはという気持ちがわいてきます。
「種の保存」という事で言うと、子供ができて既に役割を果たし、親としての最大の悲しみは何かがわかるようになったので、初めて心から親に心配をかけてはいけない気持ちがわいてくるのでしょう。
今の自分は最後の局面にいる事は確かです。