建設関係の仕事をやっていると「安全」と言う言葉は命に関わって来るので、常に意識する重みのある言葉です。

 

ユニボ先生とは別に、下町ロボットのメンバーとして自立走行型のロボットにも関わっているので、導入先や実証実験先のお客様とは「安心安全」をキーワードに、綿密なリスクアセスメントを行います。

 

 

例えば、髪の長い女の子が走行中のロボットの前で転んで、髪の毛が車輪に巻き込まれる事は起こり得るだろうか、というような事も想像して検討します。

 

四方にセンサーがあるので、人や障害物が目の前に現れると自動停止するようになっていても、停止しなかったらと仮定して色々なケースを考え、リスクに重みをつけて検討していきます。

 

こういう仕事に関わっていると「安心安全」は、サービスを提供する上でとても重要な言葉なのです。

 

最近、この言葉の重みが軽くなり、意味をなさない言葉になりつつある事を感じています。

 

オリンピックやパラリンピックの開催に関して小池都知事が話す文脈でしばしば使われる「安心安全」です。

 

いったいどれだけの人が、「安心」で「安全」だと思えるでしょうか?

 

「安全」を目指す事に努力していたとしても、それが「安心」の気持ちと直結しないのが、新型コロナの難しいところです。

 

お客様に「安心安全」と感じていただくために、あらゆる事を想定して結果を出す仕事をしている人は沢山いるので、「安心安全」が空虚に聞こえるような使い方はしてほしくないなと、都知事のスピーチを聞くたびに思っています。