すみだまち歩き博覧会 コース1
お江戸両国、小粋に定番ウォーキング(両国南コース)
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回向院の前の交差点で赤信号を待っていると、回向院の右手に、花火博物館の案内が見えました。
なんだか面白そうなので、回向院に向かう前に、まずこの博物館をのぞいてみることにしました。
案内の矢印に従って大きなビルの脇を抜けると、小さなドア。
え?ここが博物館?
おそるおそるドアを開けると、そこには花火の尺玉がドンと置いてありました。
それほど広いわけではありませんが、その空間には素人が花火を知るには十分な、そして興味深い展示物が並んでいました。
熱心に説明してくれる説明員の方からは、興味深い話をたくさん聞くことができました。
花火は夏の風物詩としてとても身近なものですが、よく考えてみると打ち上げられる前の花火についてはよく知りません。
私は大学に入るまでは、埼玉県の熊谷市で育ちました。
「暑いぞ!熊谷」のキャッチコピーで知られている、夏が暑い土地です。
熊谷の花火は、花火師のスターマインコンクールが行われるのが特徴です。
花火の翌日には荒川の河川敷に行って、まっぷたつに割れた花火の玉を探しに行った記憶があります。
今では珍しくありませんが、当時は10号玉が上げられる大きな大会だったので、熊谷住民の私としては、ちょっと自慢でした。
両国花火博物館には、その10号玉よりさらに大きい20号玉が展示されています。
重さはなんと60キログラム!
これを空高く打ち上げるわけですから、花火を入れた筒はちょっとした兵器です。
これより大きい30号玉と40号玉というのもあって、関東では、30号玉は鴻巣、40号玉は片貝の花火大会で見られるそうです。
ちなみに隅田川の花火大会では、尺玉はなくて、最大5号玉だということですから、40号玉が開いた様子は、想像の域を越えています。
空一面が花火で覆われるという感じでしょうか。
江戸時代には「玉屋」と「鍵屋」という花火業者が登場し、隅田川でも花火が楽しまれていました。
その打ち上げ方は時代とともに変わってきているようです。
「玉屋」と「鍵屋」は、花火が上がると叫ばれる「たーまやー!」「かーぎやー!」の掛け声のいわれとなっている花火業者ですね。
「橋の上、玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やといわぬ情(じょう)なし」なんていう歌も残っています。
「じょうなし」は「錠なし」にかけていて、「鍵屋」のことを指しています。
この歌からは「鍵屋」よりも「玉屋」のほうが人気があったことがわかります。
さて、花火の打ち上げ方ですが、今では花火職人とは別に、大会をプロデュースする専門の人がいたり、コンピュータ制御で打ち上げられたりしています。
花火職人の分業化です。
昔は、筒に火種を入れるタイミングを間違えると手を吹き飛ばされるという危険を冒しながら、花火職人自身がタイミングを計って打ち上げていたわけです。
タイミングがあわず、作品としては失敗、ということもあったかもしれませんが、終わったあとのお酒の味は格別だったでしょう。
説明員の方の話を聞きながら、そんなことを考えていました。
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