メンデルスゾーン(タレガ編)のカンツォネッタは、名曲だと思うのですが、なぜかセゴビア以外の演奏を聞いたことがありません。
中間部の早い部分の展開がかっこよく、なんとかレパートリーに加えたいと思っていました。先生ご自身のレパートリーではなかったようで、楽譜も私が持っていた近藤敏明さんの70選にあったものをベースに手を加えていきました。
話しは少しそれますが、近藤さんの70選、50選、30選の3冊には随分とお世話になりました。ギターを初めてしばらくは輸入譜を手にいれるなんていうことは頭には無く、手に入るギター譜といえば教則本を除いてこの3冊と全音、好楽社、ギタルラのギターピースくらいでした。30選はどうやら大学の部室に置いてきてしまったらしく手元には無いのですが、70選、50選の2冊は今でも重宝しています。また、この中から数曲選んで先生にレッスンをしていただきました。
先生のレッスンは、その曲がセゴビアのレパートリーであれば、セゴビア編の楽譜を使うのが基本です。仮に作曲者自身の書いたオリジナルの出版譜を持っていったとしてもそれがセゴビアの演奏と違えば「その楽譜はウソ」と言うくらい徹底していました。
セゴビア編ということで出版されている楽譜でも、セゴビアの録音と違えば、やっぱりその楽譜は「ウソ」なのです。そんなわけで、はじめのうちは、新しい曲をレッスンしていただく時にはできるだけ暗譜していったのですが、結局1回目のレッスンで「そこウソ」「それ違う」というように楽譜に相当な修正が加わる上に、弦のとり方も楽譜の指定と変わってくるので、その事がわかってからはレッスンの初回に暗譜していくことはやめました。初回のレッスンは、大抵は楽譜を修正して、ゆっくり全体をなぞって変更個所を確認していくという作業でした。
さてカンツォネッタですが、先生も耳コピー譜を持っていなかったため、私が耳コピーをすることになりました。70選の楽譜とセゴビアの演奏は異なる部分が結構あり、コピーには苦労しました。早い部分でどうしても聞き取れない部分があり、オリジナルの弦楽4重奏の演奏も参考にしてコピー譜を作っていきました。それをもとに、先生がセゴビアならではの運指をつけていき、ひとまず楽譜ができあがりました。
運指についてはこの曲に限らず、セゴビアの録音を何度も聞きながら「この音は4弦かなあ。いや3弦だな」なんていう会話を何度もしたものです。こういったこだわりはすさまじく、時々夜の11時過ぎに先生から電話がかかってきて「ひろぶみくん(これ私の本名)、わかったよ。この間のあれ、4弦だよ」と弾んだ声が受話器から聞こえてきました。このこだわりに惹かれるのです。
楽譜の変更点は多くて書ききれないのですが、ベース音を変え、和音の音を抜き、軽快感が出るような変更がほとんどです。セゴビアのコピーではあるのですが、結果的にはオリジナルにより近い雰囲気になったと思います。もともとメンデルスゾーンの曲ですから、悲しい曲も深刻にならず、どこか明るさや楽天的な雰囲気を出すような編曲や演奏が必要だと思います。
中間部はかなり早く、テクニックのある人はその腕の見せどころなのですが、運指を工夫すると聞こえてくる印象よりずっと簡単なことがわかりました。それでも到底セゴビアのスピードをだせるわけもなく、手元にあった弦楽四重奏の演奏がそれほど早くないことをたよりにテンポを設定し、なんとか発表会で弾ききりました。
(記:2002年9月14日)
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