大学生の頃、大手の会社を辞めてホームレスの道を選んだ人の体験記を読んだことがありました。
その作者が特別だったのか、そのライフスタイルは、不思議と魅力的でした。
そうなるしかなかった人たちとは違い、自らその道を選択する人もいる、ということが驚きでした。結局は本を書くぐらいの人ですから、飛びぬけた人だったのかもしれません。
その本にあった1文を、今でも覚えています。
「ホームレスになれるかなれないか。それは、ゴミ箱から食べ物を手に入れる代わりに、ゴミ箱に羞恥心を捨てられるかどうかにある」
その本に出会ってから、ホームレスさんを見ると、どんな選択をして、あるいはどんな選択をせまられて、今に至ったのだろうと考えてしまいます。
今はどうかわかりませんが、新宿のある公園は、ホームレスさんがたくさん住んでいる場所でした。ここは、大きく3つのグループに分けられているように見えました。
1)小屋を建てて住む人たち
2)複数の傘を持ち、それを組み合わせてスペースを確保している人たち
3)固定位置を持たずにベンチや木陰にいる人たち
1)の小屋は、構造体は細い角材で、どこから探してくるのか木のドアがついていました。
広さは3畳程度ですが、中にはカセットコンロもあり、手の届く範囲にすべてがある、という内装でした。
埼玉県の熊谷市に住んでいた頃、リヤカーを引いた家族をよく見かけました。
父親がどっかりと荷台にあぐらをかき、母親がリヤカーを引き、後ろから二人の子供が押すという姿でした。中学生だった私は、子供たちの姿を見るたびに胸が痛くなりました。
北千住から会社に通っていた頃は、駅までの道の途中にある陸橋の下に、30歳くらいの夫婦と、幼い子供が住んでいました。住んでいたというより、夜の間だけその場所に寝泊りしていたという感じでした。今はその子供も高校生くらいの年齢です。どんな暮らしをしているのでしょうか。
今のオフィスまで来る途中に、長いトンネルがあります。
去年の秋ごろから、トンネルの一角に、ダンボールを組み立てて住み始めた人がいました。ダンボールの脇には自転車が停められていました。
夜遅くになると必ず見かけるのですが、朝は6時過ぎには、もう姿が見えなくなります。
寝床に使っていたダンボールはきれいいたたまれ、傍らにはホウキが立てられています。たたまれたダンボールは、車からは見えにくく、意識しないと気がつきません。
規則正しい生活が感じられ、きっと朝早くからどこかで働いているのだろうな、と想像していました。
冬の夜にそこを通るたびに、がんばって冬を乗り越えてほしい、と応援していました。
そして、3月のある日。
ダンボールも、生活の小道具を入れた箱も、きれいになくなっていました。
きっと、安定した仕事と、温かい住む場所を手に入れたに違いありません。
そんなことを感じさせるホームレスさんでした。
そこを通るたびに思い出します。

ここで寒い冬を乗り切っていました。
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