電気と水道

 北軽井沢に建てた小屋には、『自転舎』と名前をつけた。何でも自分で動いて進めたいということと、当時のめりこんでいた自転車をかけたものだ。今から思えば名前をつける必要はなかったかなとも思うのだが、当時は個人的に悩みを抱え、そこから脱しようという願いと決心のようなものをこめてつけたのである。

 『自転舎』の広さは四坪一間に二坪のロフトだけ。電気と水道は引いていない。口の悪い友人は、私のことを縄文人などと言うが、それでは私と一緒にされた縄文人が気の毒だ。彼らは遊びではないし、私よりもっと豊かな暮らしをしていたのだから。

 私は主義主張があって電気と水道を引かないのではない。そのほうが面白いことがたくさん待っているような気がしただけである。そしてその予想は外れていなかったようだ。

 今のところ自転舎は完全に一つの遊び場として考えている。ちょうど子供の頃夢中になって作った隠れ家や秘密基地の大人版である。また『十五少年漂流記』や、昔テレビでやっていた『冒険ガボテン島』の世界である。何もない島に漂流し、まずそこにある樹木で小屋を作り、飲み水を得るためにろ過装置を考え、食器を作り、畑を耕し、少しずつ生活できる環境をつくっていく。わくわくする状況設定である。そこまで極端にはできないが電気と水道を引かないことで、それに似た気分が味わえる。そんな気がしたのである。

 電気について考えてみよう。天気が気になるなら携帯ラジオがある。自然の中で音楽が聞きたければラジカセを置いておけばいいだろう。音楽家に言わせれば自然の中には作曲するのが嫌になるくらい美しい音楽があふれているということだから、それに耳をかたむけてみるのもいいかもしれない。これを機会に自分で楽器を始めてもいいだろう。そこで確実に一つ世界が広がる。

 灯りはランプという雰囲気たっぷりのものがある。灯油ランプは燃料もランプ自体もとても安い。ランプの光りは、人をせわしない日常の世界から遠ざけ、ゆったりとした優しい気持ちにさせてくれる。暗いという欠点は、小屋では利点に変わるのである。

 本が読みたければ、灯油を気化させるタイプがいいだろう。私はスウェーデン製の『オプティマス1551』というランプを使用しているが、このランプからは約400ワットの明るさが得られる。燃料も一度の補給で約11時間持つ。使う前にポンピングと言ってタンク内の圧力を高める作業がある。夜遅くに小屋について、懐中電灯の明かりの中でポンピングをしていると、小屋に来たんだという実感がじわじわとわいてくる。そしてオプティマス1551に明かりがともり、まわりが浮かび上がってくると、心は完全に小屋に移る。わくわくする一時だ。

 そんな生活をしばらく続け、そのうち発電器を使うのもいいだろう。川があれば水力発電、風が吹く場所なら風力発電に挑むのも面白い。電気を引くのは、電力会社に電話一本かけるだけ。いつでもできるのである。

 水道はどうか。近くにきれいな流れがあれば、これも引かなくて済む。飲めるほどにきれいなら、まったく問題ない。不安ならば、飲み水だけ持ってくればよい。一日につき一人約1リットルあれば足りる。友人を招待するときは、自分の飲み水を持ってくるようにお願いしている。

 洗い物は川から汲んで来た水を使う。蛇口つきのタンクを使えば水道と同じである。保温タイプなら、冬が助かる。ストーブで沸かしたお湯を入れておくのである。こうすればいつでも温かいお湯を利用できる。

 こんなことをしていると、水のありがたみをひしひしと感じることができる。タンク一杯に水が満たされているときは豊かな気持ちになり、残りが少なくなるとそわそわしだし、落ち着かなくなる。こんなところにも楽しさを発見することができる。

 冷たい川の流れは、そのまま自然の冷蔵庫だ。川で冷やしたビールは文句無くうまい。朝早く目を覚まして手ぬぐい片手に川に行き、顔を洗う。こんなときも豊かさを実感できるだろう。

 風呂はどうか。一泊や二泊くらいなら風呂に入らなくても死にはしない。夏なら川で水浴びをしてもいい。日本は世界有数の温泉国だ。近くの温泉を利用するという方法もある。どうしても風呂が欲しい人は、これも作ればいい。ドラム缶風呂なら、楽しいだろう。

 世の中随分と便利になってきた。しかしちょっと考えてみると、なくても間に合う便利さにあふれている。そして私たちは、その便利さの押し売りに慣らされている。電気や水道は、今や無くてはならない生活の基本を支える重要なものである。まずその基本的な要素を遊び場である小屋ではシャットアウトしてみよう。供給されてくる便利さに節操を持つことによって、自分にとって本当に重要なものや必要なものが見えてくるだろう。

 そんな難しいことは抜きにしても、電気と水道が無い状態からスタートすることには、たくさんの楽しさや豊かさが待っている、そこを飛び越えて簡単に手を出せる楽しさに飛びつくのは、少しもったいない気がするのだが、どんなものであろうか。そんなに気張らず、ギブアップ覚悟でスタートすれば、気もらくである。