オーディオは50年以上も続けているので、それなりにお金がかかっているのですが、詰まるところ、大編成のオーケストラ物を聴こうと思ったら、部屋に手を入れないと駄目だと思っています。
例えば、生のコンサート並みの音量でオーケストラ曲を鳴らすのは普通は無理で、それを実現するには完全防音の部屋が必要だし、仮に防音が出来ても、大音量に見合った空気量を動かすには、それなりの広さが必要になります。
広さがあると残響や反射音も考えなければならず、結局は小ホールでも作らないと駄目かと言う考えに行き着きます。
オーディオなんて趣味にしなければ、素直に音楽だけに集中出来たのだろうに、などと思ったりします。
ラジカセでベートーヴェンの『田園』を聴いて感動していた中学生の頃が懐かしいです。
そこで大編成の音楽は諦めて、室内楽や独奏曲、ジャズ、ボーカルにシフトして来ましたが、コンサートホールで味わう大迫力をスピーカーから再生したいと言うのが本音です。
チャイコフスキーの交響曲第6番『悲壮』の第3楽章をサントリーホールのバルコニー席で聴いた時の感動は忘れられません。
東京芸術劇場で聴いた大量の空気を震わすレスピーギの『ローマの松』と『ローマの祭り』の凄まじさを思い出すと、「こりゃあ無理だ」と諦めの気持ちになります。
ヘッドホンに「逃げる」と言う事もしていますが、ヘッドホンはどんなに音が良くても、空気を伝わった音を肌で感じる部分が無いのが物足りません。それを承知で楽しむのがヘッドホンの流儀でしょう。
ヘッドホンから聞こえる音は素晴らしく、この音がスピーカーから出たらどんなだろうと想像しながら音楽を聴いている事が多くなっています。
無尽蔵にお金があるわけではないので、出来る事をやるしかなく、その中で小さな変化を楽しんで行くことが必要なのでしょう。
そんなわけで、スピーカーの背面に少しだけ手を入れてみました。
歯科医をしている友人に教わった方法で、百均で売っている発泡スチロールをカーブ面を持つ2つの形に切りわけて、壁に両面テープで貼ると言う技です。
自分でも何個かカットしてみたのですが、数が少なくて貼らずにいたところ、友人が倍くらいの量をカットしてくれたので、試してみる事にしました。
少なくとも、貼った面は凸凹になるため、音の反射は改善出来そうです。
結果は、・・・。
再生音がスッキリしたような気がした程度で、良く分かりませんでした。
友人はもっと広い面に貼っていたせいか、なるほど音がスッキリしているなと感じていたので、面積が狭いのかもしれません。
それでも、オーディオ誌の評論家であれば、「劇的な変化に椅子から転げ落ちそうになった」くらいの表現はできるのでしょう。
何しろ30センチ四方にも満たないくらい小さなアクセサリーでも、劇的な変化として捉えられる方達なので。
そんな耳を持たない私でも、貼った状態と外した状態を瞬時に切り替えられれば、違いを感じられるかもしれません。
それでも「変わったような気がする」と感じることは重要で、この積み重ねで大きな差が出て来るのでしょう。