向山文庫【光市立野】 | SOLUNAR

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日記のように日々をつづる



皆さんは、難波大助という人物を知ってる?


時は大正時代にさかのぼり、おそれ多くも

当時皇太子であった昭和天皇の暗殺を企て(もちろん未遂に終わる)-【虎ノ門事件】

とんでもない大逆罪で極刑となった人物です。

そしてこの難波大助が起こした大事件は、歴史を大きく動かす引き金になったらしい・・・

厳密に言うと、昭和日本の政治に台頭する松岡洋右外務大臣(この方は光市室積出身)、

さらに光市のお隣、田布施町から佐藤栄作・岸信介両総理大臣を輩出した遠因なんだって。


実はその難波大助は、光市立野(たての)宮河内出身で、

備中清水氏の後裔であり、当時名家だった難波家の生まれ。


大助の生家、当時の難波邸



大助のお父さんの難波作之進さんは、村長さんや県会議員をするほどの人だったのに、

息子が起こした大事件のせいで自宅謹慎のちに餓死するという運命を辿ったんと。


さて、前置きが長くなったとこでそろそろ本題に移りましょう。

そもそも難波邸とは、作之進さんたちの祖先である難波覃庵(またの名を難波伝兵衛)が

住まいとしていたもの。彼は幕末の武士で、長門萩藩のご家老・清水親知

(こちらも備中清水氏(清水宗治)の子孫)に仕えてたそうな。

ちなみに親知さんはあの有名な高杉晋作と時代を共にして、

長州藩と会津藩の京都における武力衝突事件-【禁門の変】の責任を問われ切腹自害した人。

その親知さんのコレクションの蔵書を覃庵がもらい受け、自分とこの蔵書も一緒にして

一般人にも閲覧OKの蔵を建てた・・・それが『向山文庫』。

光市立図書館の前身とされるこの建物が立野に現存しているというので行ってみた!


旧難波邸。なんか山の一部になってるような・・・?

上の白黒写真と見比べると随分印象が違う。



車を手前の広場に駐車して、ざっと周りを見渡してみると・・・


敷地の側に墓群が。近づいて見ると、難波一族のお墓でした。作之進さんのお墓もあったよ。

彼の無念に想いを馳せ、手を合わせる私。

案内板は立ってるんだけど、とても中までは入れない雰囲気。

蔵の中の蔵書は、山口県立図書館が一括保管してるんだって。中はもぬけの空、ってことね。

荒廃もかなり進んでる様子。管理人もいない。


敷地のすぐ横には束荷川に架かる古い橋へと続く小道があって、

わんこの散歩してる人もいたよ。




束荷川はやがて島田川に合流する小川。


・・・現代に生きる私がこののどかな場所に立つと、大昔にそんなことがあったなんて

とても信じられないけど、ほんとにあったんだよなぁって不思議な気持ちになるよ。

光市は歴史をひも解くと、なかなか面白いんよね~。


お次は近くの『正義霊社』のレポートをする予定♪お楽しみに!