伺った家が今までに現実で見た家の中でも凄まじかった。
どう凄まじかったかは、
あまり思い出したくない。
失礼なので、気にもとめないふうに表情にも出さず、
玄関で家主と少々会話しただけ、
あまりよく見ずそそくさと帰ったのだが
荷物はそこらへんにごちゃごちゃあり、
壁は黒カビが生え、たまたま目に入った左側の小さな窓には白いカビがふわふわ出来ていた。
玄関のたたきにはペットのウサギのフードが倒れた袋から散らばり転がったままだった。
不在の時にも外玄関の有り様も恐ろしいものがあり、
相当忙しいのかもなんて思ってはいたのだが中も恐ろしいものであった。
そんなことはあえて書くつもりもなかったんだけど
先日の用件では自治会で集めたお金を会計であるそのお宅まで持っていったのだ。
私は持っていったが、相手からの受領証というものを作っていないしもらっていない。
もし、相手が預かっていないとなった場合、厄介だ。
そして集めきらなかったお金をいただけたので、また同じように持っていかねばならない。
こんなに思う必要はないのだが
家が汚いと、無意識にこんなふうに自分が思うんだと知って、
少々驚いた。
その人の悪意を疑うんじゃなくて、失くしそう、忘れそう、、。
私はそんなに綺麗にしてるわけではないので
人のことなんておこがましい、家なんて他人なんてどうでもよくてと
いう感じ。
の私が、無意識にそう思うのだ。
やっぱりある程度の綺麗さ清潔さ整然さは信用を得るためには必要なのだなぁと確認でき、客観的に感じることが出来た。
一定のこれ以上汚いと嫌だな気持ち悪いな
という基準は人それぞれあって
綺麗好きの基準と適当な人の基準では許容度が遥かに違い、
多分このおうちの場合、許容度がとても高いのだろう。
しかしとても綺麗にしている家だからといって、人格が良いのとはまた違う。
そこは全く別物だ。
ので、もっと張り切って綺麗にしようとは
あまり思わないんだな。
なんとなくちょうど良い感じを保ちたい。
だけど。
気は引き締めて許容度を上げないようにする努力は必要かもしれない。