エッセイタイトル

 

【KEEP SWIMMING 3】

〜すべては魂の経験値の違い〜

 

ー無糖ソルトー

 

 

 

こうやって書くと、

 

 

 

母のことを毒親のように感じる人もいるかもしれないけれど、そうじゃないんだ。

 

 

彼女は魂の経験値幼いだけで、悪気はないんだと思う。そのことにもう、わたしはとっくに気がついている。

 

 

 

彼女は、人の気持ちを想像する力が乏しいだけなんだ。

 

自分の発言や行動が相手をどんな気持ちにさせるかがよくわからないだけなんだ。

 

 

相手をやっつけてやろうとか、悲しませてやろうとか苦しめてやろうとか、ぜんぜん、これっぽっちも思っていないはず。

 

 

ただ、自分が感じないこと、自分が思わないこと、自分が考えないことは、相手もそうだと信じているだけ。

 

 

 

いわゆる、【◯◯かもしれない】という発想がなくて、【◯◯だろう】で生きている人なんだ。

 

 

だから、相手を傷つけているだなんて思いもよらないことなんだろうし、理解できないことなんだろう。

 

 

 

至ってシンプル。

 

ただ、それだけ、なんだ。

 

 

 

 

しかも、彼女はありがとうがなかなか言えない人で、すみませんのほうを多用するタイプの人だ。

 

 

(かといって心底からの謝罪はなかなかしない人。自分の非は何があっても認めたくない傾向が強い。まぁ…。プライドが高いのだろう…。)

 

 

 

つまり、人の善意をなかなか信じない人で、その親切や善意には何か下心があるんじゃないかと考えて、決して借りを作りたくない人でもある。

 

 

 

たとえば、綺麗ですねと褒められたら普通は喜ぶ人が多いと思うけど、母は腹を立てる。

 

 

でも、肌が綺麗とか脚がスラリとして美しいと言われたら喜ぶ不思議な人だ。

 

 

つまり、自己認識の問題だろう。

 

 

母は周囲から、美人な実の姉(私からは伯母)と比較されて、お姉ちゃんは美人なのにあなたは残念だね…と言われて育ったのだそうだ。

 

(客観的にみて母は控え目系のそこそこの美人である。ただ派手顔で華のある伯母に戦後間もない当時に軍配が上がったのだろう)

 

 

だから、大人になってから他人から綺麗だと褒められても、見え透いた嘘を言っていると憤慨するのだ。

 

 

うーん。自分が比較されて育ったから自分の子供(姉と私)を比較するのも当たり前だと思っていたんだろうな。悪気なく。

 

 

比較されて悔しかったならそれを繰り返さないだろうが、母は比較されて刷り込まれてそれが当然のことだと受け入れてきたのかも知れない。

 

 

だから、容姿を褒められたら怒るし、自分の子供を比較することにも悪気がない。

 

 

善意を疑うのは何に由来しているのかまだ不明だけど、私が思うに、母は人に対して親切にするときには見返りを求めるんだろうと思う。

 

 

なので、他人から親切にされるとありがたいけれど、返さなくてはならないという負担を感じることが多いらしい。

 

 

身内に対してはそれはないようなので、身内には見返りを求めないのだろうと思う。

 

 

 

つまり、きっと、母は甘え下手なんだろうし、人を信じてもいないのだろう。愛想だけは良いんだけど心には鎧をきている。

 

 

 

人ってさ、自分の親切に対してただ「ありがとう」って喜んで貰えたら、それで十分嬉しくて幸せって人のほうが多いんだから(私の周りはそんな人が多い)

 

心から感謝して「ありがとう」って伝えるだけでいいのに。(もちろん何か気持ちを形にしたいのならすればいいとは思う)

 

でも、なにか対価を払わなければならないという強迫観念に襲われる母は、できれば自分には構わないで欲しいとすら思っているようだ。

 

 

そのくせ、友達も欲しいし、頼りたい自分もいるからややこしい。

 

 

仕方ない。人間は矛盾した生き物だから。

 

 

 

ただ、気の毒に思うのは、

 

まったく、これまでどんな世界線で生きてきたの?そしてどんな世界線を生きているの?

 

 

ってことで、

 

 

この世にはちゃんと優しい人で溢れた世界線があるんだから、そこにシフトして欲しいとも思う。

 

 

 

だけど、彼女の魂はそんなジレンマを学びたいとブループリントに刻んできたのかもしれないから、親子といえど、口出しはできない。

 

 

 

以前は口出しするのが親切だと勘違いしていて、散々いろいろとアドバイスしたりしたものだけど、それこそ余計なお世話で、ただのお節介で、もっと言えばその人のためにならない行為だと今の私は知っている。

 

 

 

なぜなら、自分の人生は自分だけのものだからだ。自分で気づいて、自分でコントロールして、自分で開いていくしかない。

 

 

彼女の魂は来来来世くらいで、諸々理解するのかもしれない…と最近、私は思っている。

 

 

 

そもそも。そんな母から愛情が貰えなかったと拗ねている私の子供心の傷はきっと、母ではなく、もっともっともっと過去世からのインナーチャイルドなのかも知れない。

 

 

だから根深いのだ。

 

 

そう思えば、私より魂の幼い母が、自分より大人の魂である私の親になって手本を見せるだなんて、到底無理な話なのだ。

 

 

 

そう考えると、母は母なりによくがんばってきたと思うし、とても健気で愛しい存在とも思える。

 

 

 

それなら魂が大人のほうが折れて歩み寄るほうがベターだ。当然ながら……。

 

 

こんな考えでいる時間のほうが私だって多いんだけどね。

 

 

あのちっこい玉ねぎが……

 

存在を知らしめようとしてくると、途端に…。

 

 

 

あの頃の痛みが寂しさが極彩色で襲ってきて、こんな悟りなんて吹き飛ばしてしまうんだよ。

 

 

 

それが肉体(エゴ)をもっている証でもあるんだ。

 

 

 

 

でも、それで、いい。

 

 

なにも取り繕わず、なにも飾ることなく、不格好でも汚れていても、そのまま受け入れるだけだ。

 

 

これが私の現在地で、ありのままの自分だから。

 

 

 

だけど最近はちっこい玉ねぎに揺さぶられないワタシがいる。つまり、平安。

 

 

 

 

ヨーソロー

 

 

 

 

人生という海を航海しながら、こんな日は心のままに海原に飛び込んだって溺れはしないだろう。

 

 

 

恐れずに、前に進んでみようと思う。

 

 

 

 

 

続く…

 

 

 

 

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