薬漬け、検査漬け | 「薬」を持たない生活。

「薬」を持たない生活。

自宅に生えている雑草が美味しい♪

 

 

このところ急に暑くなりました。草むしりも出来ないくらい暑いです

今日は28℃の予報。午前中から日差しが強く、室内のほうが涼しい

 

特定健診は、いつも尿と血液検査だけです

今回はいいお塩を摂って何か変わったのかそれを確かめたかっただけ

 

姉からメールが届いたのですが、特定健診に癌健診がないから、

という理由だけで躊躇しているらしい

 

今回のコロナ騒動で集団検診が秋に延ばされ、予約制で開業医の

特定健診を受けられることになったらしい

 

明日はいつもの病院と旦那さんの高齢者肺炎球菌予防接種(有料)も

あるということで気が重いらしい

 

それならば、特定健診を休んでもいいのでは?と思うのだが

姉のように必ず受けないと気が済まない、という考え方も

わからないわけではない。私とは目的が違うのでなんともいえないが

 

「病院行き過ぎ、薬飲みすぎ、検査受けすぎ、かもよ~」と返した

検査を受けることで病を防げると思っている

検査漬け、薬漬けで体調崩していることに全く気付いていない

 

コレステロールが高いから薬で下げる?下げるために薬は必要なのか

そもそもコレステロールは下げなければならないのか

ご近所の方は、特別何も症状はなかったらしい

それでも「血管年齢90歳」と言われたことがかなりショックだったらしい

 

それ以降、薬で下げたい。けれど副作用は嫌。副作用のない、

あるいは少ない薬を処方してもらいたい。その為、いい病院はないか

そうした事情を察してくれる医者はいないか、そんな感じ

 

私に意見を求められても自分が決めることだから人に聞くよりも

自分の判断に任せてそれでいいのではないか

とにかく私はその時点で懲り懲りだった。異常に疲れてしまったからだ

 

 

昨日から片付けにスイッチが入ってしまい、炬燵も片づけました

炬燵に使っている毛布は姑からもらったもの

母親が持たせてくれたピンクの毛布がなくなってて、

それで代わりに持たせてくれた

 

私も母もその毛布のことははっきりと覚えていて、

その毛布がいつの間にかなくなっていたことに気づいた

姑は何も知らないの一点張り。毛布が忽然と消えたのか?

 

そもそも捨てるような毛布を持たされ、一体どういう気持ちで

その毛布を私に渡したのか?と思うのだが

安い毛布でもなんでも構わなかったが、それにしても

毛布がぞろぞろと切れかかり、捨てるような毛布だった

 

私は怒ってばかりの母親にだけはなりたくない

姑のようにプライバシーも守らない人にはなりたくない

そう思って暮らしてきたが、結局うちの息子に嫁さんも来ない

そんな寂しい環境で過ごして、愛犬だけが唯一うるさい笑

 

 

 

私はいつも探し物はあえて探さない。見つからないことが多いから

それでふと片づけようか、となったら、すぐにプリン容器が見つかり、

今朝はどこへやったかわからなくなったお塩も見つかりました

 

箱に入れておいて気づかなかったようです

雪塩が200円でそれ以外は100円でした

岩塩が多いですね。自分で作った塩も含めればかなりの数になります

 

今日は口内炎が出ています。お塩を舐めています

あと探し物がもう一つ見つかりました

 

 

 

 

 

 

ビニール袋に入れておいた、と思った待針が紙袋に入っていました

この紙袋に気づかなかったのです

 

食べるものもなく、今日も麻婆ナス。ナスを塩蒸し炒めにしておきます

お塩が大活躍します。これだと油もそれほど必要ありません

 

 

 

薬って一時的に飲むのならそれほど心配ないと思うのです

なのに、ずっと飲み続けるってどういうことなんだろう

わかりやすく言えば、抑えているだけなのだから薬は効いていない

そういう風に考えられませんか?

 

薬は合成物、だとしたら、異物そのものです

それを毎日何錠、何十錠も飲み続けることは、副作用以外にも

何らかの異物反応は起こっているはず

 

私は恐ろしくて飲めませんね。私は13年間降圧剤を飲み続けてきた

その為、さまざまな副作用に悩まされ、今もその後遺症で苦しんでいる

その怒りを誰にぶつけたらいいのか、そんな気持ちでいた

 

今は他人のことは考えず、自分に向き合うことに集中している

医師や看護師の役割、何のための薬なのか、それらを分けて考え

自分はどうあるべきなのか、それを考えてきました

 

特定健診は無駄な健診です。どこが基準値なのか定かではない

毎年血圧の基準値をコロコロと変えて、何が楽しいのか

頭でっかちな医師に患者が訴えても何も伝わらない

減薬でさえ叶わない。それこそ、寝られないくらい患者は伝えることに

エネルギーを使っている。私は単純なので飲まないという選択肢

 

選ぶのは自分。薬を飲むのも飲まないのも自分

家族があーだこーだと言っても私は飲まなかった、いえ飲めなかった

 

それで否定形歯痛もなんとかなっている

まだ歯に抑えられる感覚は残っているが痛みはない

薬を飲んだから治った、という例はほとんどないだろう

私のように飲まなかったから治ってきている、という例も少ないだろう

 

どっちが正しいのか自分だけがわかるはず

どの薬がどのワクチンがいいか、だなんて、ちゃんちゃらおかしくって

語る言葉も出ない。私たちをどうやって治すのか、ではなく

どうやって生かすか、なんて考えちゃいないだろうけど

 

薬って本当にクスリ?(私にはある意味毒としか考えられない)