どれだけ長い付き合いで、どれだけ 話し合ったとしても、
噛みあわない人というのは、いるものである。
一方で、知り合ってまだ日も浅いのに
なんとなく通じ合う人というのも、いるものである。
楽しいとか、嬉しいとか、そういう以前に
「あぁ、通じ合った」という感覚。
両方とも、大切。
前者は、お互いの差に触れて、かえって、お互いを知ることができる。
何よりも、その差によって、自分の独自性を知ることができる。
後者は、自分はこういうことを大切に思う人間なのだ、
ということを、他者との共感において、ますます強く感じることができる。
こちらも、自分を知る、ということにつながる。
結局、自分ひとりでは、自分のことはよく分からない。
他者と交流するから、自分が見えてくるのだ。
そう思うと、他者は「自分にとっての鏡」であり
どんな人であっても、その存在がありがたく思えてくる。
--- y.
噛みあわない人というのは、いるものである。
一方で、知り合ってまだ日も浅いのに
なんとなく通じ合う人というのも、いるものである。
楽しいとか、嬉しいとか、そういう以前に
「あぁ、通じ合った」という感覚。
両方とも、大切。
前者は、お互いの差に触れて、かえって、お互いを知ることができる。
何よりも、その差によって、自分の独自性を知ることができる。
後者は、自分はこういうことを大切に思う人間なのだ、
ということを、他者との共感において、ますます強く感じることができる。
こちらも、自分を知る、ということにつながる。
結局、自分ひとりでは、自分のことはよく分からない。
他者と交流するから、自分が見えてくるのだ。
そう思うと、他者は「自分にとっての鏡」であり
どんな人であっても、その存在がありがたく思えてくる。
--- y.