お犬様と鹿肉 ①
からの続き。
たかだか一回、解体に立ち会っただけで賢しらにあれこれと言うのも本意ではないが、
そうは言っても、あまりする事がない経験故、
あれこれと考え思った事を、記録のために残しておこうと思う。
害獣駆除、という言葉が嫌いだ。
何を以て害とするのか、それはあくまでも人間の都合。
野生動物にしてみたら、人間以上の“害獣”はないに違いない。
解体現場にまで押しかけて肉を寄越せ!と喚く人間が何を言うか、と言われそうだが、
犬猫はもちろん、動物全般好きを自認している私にとって、
人間の都合で、食べるため以外の目的で殺される鹿を戴く事に、
何の抵抗も抱かない訳では決してない。
それは、昨年、鹿を戴くようになってからも、いつも心のどこかにわだかまっている。
鹿の出産は5-6月。
昨秋の繁殖期を経た冬の終わりのこの時期、多くの雌がお腹に子供を抱えている。
長野県はもちろんのこと、多くの県で害獣の一斉駆除がこの時期に行われるのはそのためだ。
猟期が終わるからだけではない。
逆に、なぜ猟期が3月までなのか。
それは4月以降、出産・子育てシーズンになるから。
日本以外の国でも、同様に野生動物保護&倫理的な背景から出産シーズン以降を禁猟としている。
この時期に行われる一斉駆除について、
長野県は明確に個体数増加抑制を目的として“雌を”主な対象としている。
即ち、規制が定められた理由に真っ向から反する理由で、この時期の駆除が奨励されている事になる。
(ちなみに戦後長らくは、ニホンジカの個体数増加のため、雌は通年禁猟だった)
今回も、仕留められた雌の何頭かはお腹に子供がいた。
四肢は出来ており、目もある。
記録のため…と役所の人は写真を撮っていた。
その横で、腹を裂かれた母鹿を解体している人間に、
感傷的になる資格も、目を逸らす資格も無い。
だから表面上は平静を装っていたけれど、
胸に広がるもやもやした感情を無視するのもまた違うような気がして、
黙々と手を動かしながら、あれこれ考えていた。
相手が畑を荒らす憎い害獣であっても、腹に子を抱えた母鹿を撃つ事に何も感じない訳ではない。
この時期の一斉駆除について、思う所があるハンターが多いというのも、至極当然だと思う。
害獣駆除という言葉を耳にするようになって久しいが、
なぜ鹿が増え過ぎたのか。
なぜ、本来の生息域を超えた高山帯にまで鹿が進出しているのか。
鹿の個体数を減らせという声は聞こえてきても、
何故増え過ぎたのか、真面目に論じている声を聞く機会はあまり無いように思う。
県のシンポジウム等でも、表に聞こえて来るのはいかにして個体数を減らすか、
今年の目標は何頭か、そんな話ばかりである。
鹿が本来適正とされるべき数を大幅に超え、
また増加のスピードが本来の野生動物としてもあまりに速いのは何故なのか。
その理由を考えなければ、狩猟、或いは罠でいくら個体数を減らそうとしても、
それは飽くまでも対症療法でしかなく、いたちごっこが続くのは、想像に難くない。
天敵であるオオカミを絶滅させたためだとか、
ハンター人口の減少により狩猟圧がかからなくなったためだとか、
一番耳にする理由はこの二つだと思うが、
個体数増加の大きな助長要因となっているのは、
日本の近代林業(特に戦後の)だと言われている。
(あまり知られていない?のかも知れないけれど、林野庁が出した文書に明確に記載されている)
オオカミは鹿だけを食べる訳ではないし、
狩猟圧と言うが元々日本人は欧米人のように鹿肉を常食する文化はないし、
同じく食べもしないものをただ狩るだけのゲームハンティングの文化もない。
戦中戦後に個体数が激減したのは、毛皮目的で乱獲されたからだとしても、
それではそれより前はどうなのだ、という話になる。
但し、動物愛“ゴ”系の主張である「日本人は元々殺生をしない文化!」はあまり正しくないと私は思う。
というのも、かの生類憐みの令さえも、鹿猪狼については、
(まずは追い払うための威嚇をするという前提付で)田畑を荒らす野生動物の殺害を認めているから。
ネット等を見ていて、元々農家でも狩猟が趣味でもないのに
「鹿の個体数が多過ぎるから減らさなきゃいけないんです」と、
あたかもそれが正義であるかのように言っている人間を見ると、私は猛烈な違和感を抱く。
恐らく、動物愛“ゴ”系の批判を避けるために(?)
理性的な理由を掲げているのだろうが
「猟が好きだから」
「農作物を荒らされるからだコンチクショー!」の方が
余程健全だと私は思う。
農作物を荒らされる農家の辛さ、苦しさはよく分かる。
部外者が「鹿さん可哀相」なんていう感情論を挟むのは論外だが、文字通り死活問題なのだ。
芽吹いたばかりの苗を食い散らかされたり、
苦労して育てた農作物を収穫間際で壊滅させられたりした農家が
「畜生めが舐めくさりよってーー!猟友会を呼べ!罠をしかけろ!ぶっ殺してやる!」
といきり立つのは、致し方ない事ではないだろうか。
もちろん、個人的には特にクマ等は、箱罠捕獲⇒山へ放逐。
それでも侵入してしまう場合のみ駆除にして欲しいが、
所詮農家でない私、感情論だけで口を挟んではいけないのだとも思う…
ニホンジカの個体数が増加に転じ、
。
ハンターにかかる負担も増え続け…
それは
」
何度か「止めようか、どうしようか」と考えた。
犬のためとは言え
態度を変えられる自分の日和見にも呆れ…
食育ってホント、一日あれば十分だと思いますよ。はい。
日本語のこの短い一文が、これまで以上に重く感じられる経験だった。
戴きます。
せめて考える事だけは忘れたくない。
例え犬のためであっても「鹿肉を下さい!」と言う資格は無いと思う。
それを当たり前だと達観するのなら、自分で撃つ訳でもない私に、
多分、それが命あるものを食べるという事。
多分、これだという正解は無いようにも思う。
多分、これからも悶々と考えるだろう。
せめて苦しませずに殺して下さい…?
山の中へ連れて行って放してあげて下さい…?
殺さないで下さい…?
何て言えるだろう?
もしその場にいたとしたら、私は何て言うだろう?
こういう人達も、畑で罠にかかった動物を、いたぶるのだろうか?
実際に会って話をした猟友会のおいちゃん達は皆、本当にとても親切だった。
けれど、わだかまりも含めて、考えなければいけないのだと思う。
これまでは嫌だと言っていたのに、
今回も、勢いとは言え現場まで押しかけるにあたって、
っていうレベルの浅はかさと、どこが違うのだろう。
「動物を殺して食べるなんて人間のエゴだ、野蛮だ!だから私、ビーガンになる♪」
「焼肉大好き、でもと殺は可哀相!
けれど、鹿肉は欲しい、でもハンターは嫌…って、
例え可愛い犬のためとは言え、猟友会に頭を下げるのは嫌だった。
増してや、学生時代に見聞きした、田畑で捕獲された動物の最期を思うと、
考え方自体は明らかに人間ではなく動物寄り…
私は都会育ち(?)で、人間よりも動物と自然が好きで、
「ハンターを紹介するよ」と言われても、全てやんわりと断り続けていた。
“絶対仲良くなれない”と思っていたから。
私が敢えてこれまで、地元の猟友会とコンタクトを取らなかったのは、
私もそう思う。
と、言われるのがオチだろう。
「現実を知らない連中が、机上で何か言ってるわ」
それでは、農家の理解は絶対に得られない。
学術機関の専門家だけが集まって話をしていたら、どうしたって動物寄りになるだろう。
癌の治療方法だって、20年もありゃ大いに進歩しとるわ。
いわば、行政共々、手を拱いている状況ではないのか?
現実にシカの個体数は増え続け、駆除される個体数も増え続け、
調査の名目で、これまでに大量の資金が投入されているにもかかわらず、
学術機関、調査機関も、責めはあると思う。
日本の戦後の林業政策を、抜本的に見直しているとはとても思えない
そもそもニホンジカが爆発的に増える温床となった、
その期間、行政がやった事は猟銃・罠による捕獲⇒駆除奨励。
問題になり始めてから一体何年経つだろうか。
戦後、保護政策下において、