昨日病院から退院して、リハビリの為にケアーハウスに入った義母に呼び出されて夫が出掛けた。
思えばこの数年は夫の生活は義母に振り回されつづけの日々である。
私情を交えたいのは山々だけれど、客観的に昨日の退院顛末記を出来るだけ書き記しておきたい。
息が苦しく気持ちが悪いと行って連れて行った掛かりつけの町医者からの紹介で、大学病院ほど大きくはない、けれど入院設備の無い町医者ほどは小さくない駅前の中央病院に入院したのは七月の八日であった。
病院に入った時にはこんなところに居たくないと看護師の静止を振り切って出ようとしたり、点滴の管を抜こうとしたり、ベッドで安静にと言われる指示を聞かなかったりで、夫は一日の内に三回も病院から呼び出された。
その晩には今夜が山だと医師から言われ、夫は一晩傍らに泊まった。
しかし朝には意識が戻り、嘘の様に元気になった。
結局今までの経験から考えると、急に入院させられたため気分が高まり、死への恐怖で意識がなくなったと推測する。
実際肺炎を引き起こしており、更に肺炎だけでは説明がつかない疾患もあるらしいのだが、高齢なので辛い検査はしないということであった。
夫は毎日欠かさず見舞いに行き、その度に「ここは年寄りだからと、誰も親切にしてくれない。」「ここにいると死んじゃうから、早く出たい。」と言い通しである。
実際には肺炎を起こしているため、呼吸が苦しく鼻腔に繋いだチューブから弱い酸素を絶えず送っている。
しかし抗生物質のお陰で、三週間で病状は好転し、肺炎ではない疾患を抱えてはいるがすこぶる元気であるし、本人の希望を叶えて退院して、取り敢えず萎えてしまった足をリハビリするためにショートステイに一週間行くことになった。
これは今迄の自立型の施設と違い、四六時中目が行き届くので、義母にとっては必要な期間であるが、自分の知らないところで決められていくのが不満で、初めはすこぶる機嫌が悪かった。
しかしケアーマネージャー、ショートステイの職員、掛かりつけの病院からは介護の認定をする人、今迄の老人ホームの職員が部屋に集まると、自分の為にこんなにも大勢の人が心配してくれていると、またまた気持ちがハイになり、長いベッド上の生活だったから一人で歩いてはいけないと言う制止を聞かずに一人で歩いて三歩もしない内に転び、右手を打撲してしまった。
大事には至らなかったが、次の日は施設からの要請で整形外科で湿布をしてもらった。
元の住まいであるホームに帰りたいと言うのが口癖だったが、リハビリに一時的に入ったこの施設が気に入った様子で、今は元のホームに戻りたくないと言っているが、ショートステイだけの施設なのでそれは叶わない。
なにはともあれ、恐るべきは驚異的な義母の快復力である。
それもこれも96歳にもなっても衰えぬ生への執着の賜物であろう。
足の弱った老人が杖の代わりに押して歩くシルバーカーも、初めは「あれは普通の年寄りが押して歩く物だから、私は普通の老人にはなりたくないから。」と抵抗していたが、転んだことが幸いしてか、今ではケアーマネージャーやコーディネーターなどに「素敵
、素敵。」と言われて、すっかり使いこなしているようである。
掛かりつけの医院から来てくれた看護師には「わたしは病気ではないのに、中央病院に入院させて、恨んでいたのよ。」などと、失言とも言える言動をして失笑を買っているが、以前から自分の思い込みをすぐに口に出してしまう性癖があるので、これは頭が呆けているのではないと思う。
超高齢社会であるが、この度の義母の顛末記を記していると高齢者に対するこの国の福祉はなかなか行き届いているように思える。
義母は「年寄りだとちっとも診てくれないし、看護師は冷たい。」と言うが、医師は威圧感を与えず丁寧に病状を説明してくれるし、看護師も個人の差はあるものの、戦場のような厳しい
職場で命を守る働きをキビキビとこなしている。
施設の職員、介護保険に関わる役員の人々も要求ばかり強い老人たちに概ね優しい。
受け手の我々の感謝の気持ちが、少しでも伝われば幸いである。
