コメントなどで時々やり取りさせていただいているブロガーさんから教えていただいたブログを、最近毎日拝読させていただくのが習慣になりました。
そのブログでも、上の子より少し若いお子さんが、うちより一年ほど前に旅立たれており、その後の日々を綴っておられます。
その時々の心情などしっかり綴っておられ、下の子への接し方の参考にさせていただく事もあります。
うちの下の子は自分の気持ちをほとんど外に出しませんので、そのブログで語られる、ご遺族となる3人のお子様たちの気持ちは本当に参考になります。
例えば、私にどうあって欲しいかなど。
彼女のお子さんは彼女に笑っていて欲しいと感じています。
割と直接的にそう伝えてもらっていて、彼女もそうあろうと努めておられます。
私も下の子の合宿以降、そうする様に努めました。合宿先から突然現実に戻される下の子の心理状態を慮ったからです。
朝、笑顔で挨拶して、ちらっと下の子の顔を見ると下の子が私の表情を窺っていることに気がつきました。
そして、私の笑顔を見て安心した様な表情を見せました。
私は余裕がなく、それまで下の子が私の顔色を見ていたことなど気がつきもしませんでした。
それ以来、がんばって笑顔でいます。(かと言って上の子のこともタブーにせず、一緒に泣き合うこともあります)
今朝も明るく起こしました。
起こした後、先に下の子の部屋を離れると、下の子の部屋から
"よーし、起きるじょ〜っ"
と精一杯元気な声が聞こえてきました。
私は"えら〜い"
と明るく言いましたが、その瞬間、胸にぽっかりと穴が空いた様な感覚になりました。
拝読した先輩方のブログにもある、あの穴ですね。
胸どころじゃない。胃の辺りから肩までスッポリなくなってしまった様な感覚。
私はあまりのスッポリ加減に驚いて思わず胸を触ってしまいました。
無理矢理、空元気になった時にできる穴なのでしょう。
自分を偽るフェーズ。
社会生活を営む下の子や夫は早くからそれに近い事を言っていました。
友達と大笑いしている時、心は笑っていないとか、本当の自分は別にいて真顔でいるとか。
私は知り合いと会っている時でも、その知り合いは上の子のことをわかってくれている人ばかりで、自分を偽る必要がなかった。
まさかそうする相手が、自分にも上の子にもいちばん近い家族になろうとは。
下の子も絶対同じ感覚になっていたはずです。私のいた洗面に来た時には真顔でした。
暫くすると穴は消え、またいつもの胸が締め付けられるような苦しい様な感覚になりました。
これはこの3ヶ月間ほぼ常態化しています。
たぶん自分の苦しみやAIが分析した防御反応なのでしょう。胸が埋まっている時は素直な(辛い)自分。
ぽっかり穴が空いて無くなった時は偽りの自分。以前にも書きましたが、私は私になんでも相談してくる上の子の人生は自分自身で決めてもらいたく、
"お母さんと自分の人生は切り離して考えなさい。自分で行きたいところに行きなさい"
と言い聞かせていました。
まさに今、そのセリフが自分にブーメランしてきたのかな、と思います。
いつまでもあの子のことを引きずって自分の人生を、下の子の人生を、夫の人生を暗い沼にしてはならない。
あの子もそんな事は望まないはずなんです。
穴は大きく、小さくなる事はあっても決して埋まる事はないでしょう。
苦しみも一生涯。
希死念慮も一生涯持ち続けるでしょう。
自分自身が死ぬ事なんてぜんっぜん怖くない。
なんなら余命宣告の時なんて、やっとか、とうっすら笑っている自分が想像できます。
でも、今じゃない。
凄まじい辛さの中で生きる事。
猛烈な寂しさを抱えて生きる事。
これは同じ立場に立った人にしか解らない。
こんなの普通の人には解っちゃいけない。
これまで辛かった下の子の幸せを見届けるまで、胸の中のあの子と、穴と、生き続けるしかないんだ。
そうだよ、お母さん。
がんばって。
