私や父の人生は他の方が経験したこともないような驚くことばかりだと思います。
はっきり言って不幸です。
これらの事はどこかできちんと書き記しておきたく、blogを始めました。
父の遺産はありません。
なぜなら父が2019年に自己破産をしたからです。
父が作った借金ではありません。
父は愛媛県に私生児として生まれました。
祖母は4歳まで父を育てたあと、自分の結婚のために祖父の元に父を渡しました。
当時、祖父は結婚しており、その子供と養子がいて、その中で育てられることになりました。
想像してみてください。
4歳といえば一番母親を求める年であり、また、我慢することや人の気持ちを覚える年です。
父はどんな気持ちで母から捨てられ、辛い環境で生き抜いたのでしょう。
当然祖父の結婚相手は父に良い待遇はしません。
義兄弟たちや義母に疎まれ、虐められて育ちました。
裕福な家でしたが、父は中学を出てすぐに就職して大阪へ行き家を出ました。
まともに育てられておらず、身体も弱かった父は17歳で胃潰瘍の手術を受け、働けなくなって地元に戻ってき、家業を手伝うようになりました。(当時胃潰瘍はひどいと手術が主流だったそうです)
それから6年後、虐げられ家を出たかった名家の母と出会い結婚します。
結婚後は独立して、社員も雇い、睦まじく生活していたようですが、私が3歳ごろには毎日のように怒鳴り合いで、物が飛ぶような喧嘩をしていた記憶があります。
そして離婚。
離婚後も母はずっと"中学出のバカが"と父の悪口を言っていました。
独立していましたが、離婚後は社員を連れて実家に戻りました。
実家では一番上の養子だった義兄が跡取りとなり、家族経営をしていました。
父はそこで専務として市や県、割と名の知れた大きい会社との取引を数多く手掛けていました。
経営は順調でした。
ところがです。
義兄の家族経営は義兄の子供が成人した頃から行き過ぎたものになります。
何もしない社長の義兄やその嫁、よくサボる事務員の娘、息子2人、そして亡くなった祖父の妾2人の事務員にまで高額な給料を払っていました。
一月で考えても数百万に上ります。
父は何度も喧嘩をしていました。
やがて義兄の妻が50代半ばで急死すると、その妻が借金をしてまで会社のお金を大量に使い込んでいたことが判明しました。
義兄夫婦はバブル期にPTA会長などもやっており、見栄を張って貴金属や着物などたくさん揃えていたようでした。
借入金が増え、当時社会人になっていた私は父に会社から手を引くように何度も言いましたし、父も会社に申し出ましたが、それには義兄をはじめその息子たちなど他の役員の承認が必要でした。会社で管理していた実印も隠されていました。
そうこうしているうちにこっそり会社の破産準備が進んでいたからです。
社員にも誰にも知らされず、不当たりを出して突然会社は倒産しました。
それで連帯保証人だった父が全てを背負うことになったのです。というか、元々義兄は借金が判明した頃からその計画だったと思います。
その後社員は父につき、借金だらけの父が新会社を設立して社員の生活を助けつつ、他の就職先をお世話したりもしていました。
父も歳をとり、社員が概ねいなくなって1人で始めた頃、父は屋根から落ちて重体となり、働けなくなりました。
そこからは"父の膵臓癌と復縁"に書いたとおりです。