ピンピンコロリへ導く

「最強の予防医学 7:3メソット」考案

予防医学指導士の井村政子です流れ星

 

私が予防医学に目覚めたのは

両親の病気がきっかけです。

私が予防医学指導士を仕事にしようと

思ったのは、私のような思いをする

人が一人でも減ればいい。と思ったからです。

 

今日はその話をしたいと思います。

本気で健康に考えるきっかけになってもらえれば

いいなと思います。

 

 

母は若年性認知症

父は脳腫瘍で3度手術をしています。

 

私が中3くらいに母の様子がおかしくなりました。

その頃は今ほど若年性認知症がメジャーではなく、

更年期障害だとか鬱だとか言われ

精神薬を飲んだりしていました。

 

その後大学病院で若年性認知症と診断されたのは

私が大学1年生の頃。

高校生のころから母は家事もままならくなていたので、

私が家事や5歳離れた弟の中学の三者懇談に行ったりしていました。

 

本格的に介護が始まったのは18歳。

同じころ、父も脳腫瘍が見つかり手術。

 

父は脳梗塞にもなり後遺症で介護される状態に。

 

大学から長男タクティを産むまで

約10年介護生活が続きました。

 

父が亡くなり、それをきっかけに主人と結婚を決めました。

母はまだ介護が必要でしたが、弟が

「お姉ちゃんは頑張ったから、もう結婚していいよ」と言ってくれ

結婚を機に北海道から関西へ引っ越しましたが、

365日弟にすべて任せるわけにはいかず、

月1回母の介護のため北海道へ1週間帰る生活を

続けていました。

 

2週間弟が在宅で母を介護。

私が1週間。

ショートステイに1週間。

という生活。

 

タクティが妊娠7か月の時に母が亡くなりました。

 

きっと、母ココロで

「もう十分だよ、子育て頑張りなさい」ということで

逝ってくれたのかな。と思っています。

 

後半は②に続きます・・・。

文章長かったのか保存できずアセアセ

リンク張りました。

下矢印

我が子に介護されないために②