その日決めた | そらよっと「富士山・海のカレンダー」

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空 空の さらに空なる 空ありて 空 空 空の  空(くう)をこそ知る
空っぽの人生 癌サバイバー の「生き儲けの日々」 はまだ続きそうだ

3.11を思い出しながら

あの日ヨットを購入することを決めた。陸前高田に行くために重い物資が積載可能で船内で中期間生活が出来るからだ。震災前に係留施設も確認していた。

 その発端となったのは阪神大震災時、支援物資を10トン車で北野の事務所まで運び入れ東大阪のセンターに戻って来たダブルタイヤの外側はボロボロだった。それ以降は深夜、緊急マークの2トン車で応援スタッフが疲れて寝た深夜に神戸に詳しい一之瀬と俺は応援物資を運んだ。(有機野菜の宅配Ra代表時代唯一の仕事だったかな)落ち着いた後、A新聞社の女性記者に、どう云うルートで取材後方支援をしていたのか訪ねた? 大阪南港から神戸港へ船を使ったとの回答が心に残った。でも東北の震災の津波と原発事故は海上ルートを封鎖した。

1320 春霞の富士を眺めていると港内遊覧のオーシャンプリンセスが来た。

オートパイロットがオートに為らず固定されたままだ。再セットを繰り返すが直らない。26日オートに入れたまま伸びきって方位固定したかな。ウインドベーンを使えと云う事か、まいったな。

 

1355 弥生三月初出艇 気温21℃ 南の風2m 

 

1436 富士にはゴミが良く似合う? 海洋ゴミは地上ゴミ。

 

1700 Aバースで話していると背中合わせの自艇船舷高が良く判る。あの高さ足掛りがなくて良く登れたね。生還祝いしましょうと云う話の流れに好日界隈ではなっている。

 

1800 清水駅イベント広場にて