私は基本、「伝聞」というものを信用していない。
それは例えば、数人でたまたま通り過ぎたホテルの前で、その内の男女2人だけをフォーカスして撮った写真を、「密会」として報ずるようなものだ。
その写真は確かに事実だけれど、報じられた内容は、決して事実ではないし、写真は「真実」ではない。
そういうことが異様に多く、また、主観によって捻じ曲げられることが多いので、
基本、自分が目で見たことしか信用していない。
「本当のこと」は、当事者にしかわからない。
そして、伝聞を鵜呑みにし、あたかも見聞きしてきたことのように論じる人間は、
安っぽい舞台の上で踊らされている、哀れな群衆に過ぎない。
ベニヤ1枚の板と、傾斜のないムシロの客席。
危うい奈落の底は百鬼夜行。
一瞬後には、足元を救われ、己の愚かさを言い訳で埋めようとする。
何て意味のない、アイデンティティ。
吐き気すら、覚える。
……、でもそれを、言論の自由と言うらしい。
笑止。
まぁ、盲信というのもどうかと思うけど、少なくとも、自分自身の価値観で選んでるんなら、まだマシな気がする。
もっとも、それを盾にしてやりたい放題する賛同歪曲集団は、ただの無法狂信者なのだが。
(狂信される対象にとっては迷惑極まりないのだが、その対象者は大抵、心優しい被害者だ。)
日本人って、すぐに多勢にのるか、少数派になりたがるかで、深く考えてないよねって思うことが多い。
マニュアルにのっとって行動してるから、自分で考えたりとか、思考を掘り下げることをしなくて、ブランド品のレアものに価値があると思ってる。(笑)
……、なんかね、色々疲れてしまって。
日々努力を重ねている、志の高い人たちが、己の存在すら問うたこともないその日暮らしの集団に、ストレス発散の虐待のように、糾弾されることに。
あるいは、愛情という仮面をつけて、その実、自分のエゴに当てはめようとしている、イスカリオテのユダ達に。
せめて、私は私の目で、心で、人を見ていたい。