いちばん最初に、彼に視線を留めたのはいつだったか…。
録画したものを辿ると、2009年になる。
もっとも、これはDVDに限っているので、あるいはもう少し前の映像もあるのかも知れない。
小柄だけど、表現力のある、自分の世界を持っている選手。
そんな印象だったと記憶している。
(サムライの衣装でのアランフェスは秀逸だった。)
男子のフィギュアと言えば、高橋選手・織田選手・小塚選手が3トップだった時代、
BSで放映される大会やアイスショー、全日本などで、時折見かけていた。
4回転が安定するようになった近年、よくテレビ(民放)で見るようになって、
「頑張ってるな」と、嬉しくなっていたら、今年はオリンピックにも出場して、
本当に、努力が結果に結びついてきているんだな、と頼もしく思っていた。
そして、今季のプログラム。
守ったり、まとめたりする為のものではなく、おそらく、
自己を高め、進化させ、さらに再結晶化し、広がりを生む為の、
挑む、作品。
私事だが―。
踊りをやっていた時は、あまり感じたことはなかったけれど、
芝居をやっていた時は、大体、一作品に一度、色々なものが噛み合わなくなる期間があった。
具体的に言うと、それまで覚えていた台詞が、突然出てこなくなるのだ。
何も考えなくても言えた台詞が、全く出てこなくなる。
でも、その期間を過ぎると、台詞が自分のものになって、
覚えた言葉から“役の言葉”に変化する。
芝居の場合は、準備期間の中で いったん停滞して、
本番ではしっくりきていたけれど、
スポーツは常に追い込んでいるから、いつ停滞するのかを測るのは
難しいのかも知れない。
(一緒のものと考えていいのかどうかは判らないけれど)
踊りの時は、最初、振付が馴染むまで時間がかかって、
馴染んでしまえば創り上げるだけ、ということが多かった。
なので、何かを完成に向けて近付けるという作業は、
人によっても、ジャンルによっても様々なのだと思う。
(私の場合は大したレベルではないので、自分の感覚でトップアスリートを
推し量るのは、適切とは言えないだろうが…。)
彼は、 アーティスト、と言うよりも、マエストロ、という言葉が合う気がする。
総合的に紡ぎ上げる感覚は、指揮者の情熱と創意を思わせる。
こだわりが時に、空回りしたり、
見えているものが他者に伝わらなかったり、
そんなことが、幾つもあったとしても、
自身が見えているものを、圧倒的な形として、
世に問うことの出来る人だと、思う。
個人的な、machida感。
とても、バレエ的な背中を持っている人。
表現することに躊躇なく、高い理想のビジョンを持って、
そこに近付こうとする意志が見える。
あまり器用ではない、かな。
考えて考えて、自分なりの答えを見つけていく。
言葉と感覚を結び付ける作業を、大切にしている気がする。
本気と本意の交点を、表現の内に極めようとしているようで、
その姿勢が、時に自分自身を縛ってしまわないかと、少し心配になる。
それでも、理想を追い求め、現実と向き合う時間はきっと、
大切な財産になっていくのだろう。