小さい頃は神様がいて -47ページ目

タイミング

実は今週から新しいクラスが始まったんだが・・・



前のクラス、落としました。


あーまあテストが悪かったんだと思う。あと休みとか遅刻かな。

前のクラスのメンバー好きだっただけに、月曜めっちゃショックだったし。。。

スペイン来てこんなショックだったの初めてかもしんない。


やっぱあれだわ、私の前に立ちはだかるテストという壁。

日本人は文法が得意だから、授業で何を言ってるのかわからなかったり会話ができなくても、テストを受ければ高得点というのが割と普通らしい。


が、私は文法が苦手だ。というか嫌いだ。

まあ勉強しないから悪いんだけどさー・・・


んで、今回のクラス。

メンバーがこのレベルとは思えないほどレベルが低い。。。びっくりだった。。。

未だに英語ってどういうこと?と思った。




が、まあ落ち込んでばっかもいられないし、今のクラスに行きたくないとか言ったら永遠に行かなくなるし、

やっぱ人生前向きに行かないとな。

昨日はなんだか起きる気がしなくて行かなかったから、今日から頑張ろうって思って行った。


レベルが低くて良かった部分を発見した。

授業の進みが前回と比べてかなり遅いし、一回やってる内容だから、先生の話聞いてるだけでだいたい理解できるということ。

そんであと、授業中に勉強してる余裕がある。笑

今日やった教科書のページから知らない単語抜き出して、調べてノートにまとめてたり。

途中で「これ宿題ね」って言われれば、その場で終わるし。


これは良いぞ。


一回やって理解してる部分を、他と一緒になって聞いてなくたっていいんだし、むしろ2回目の内容を完璧に理解するつもりで。

前より人数も少ないから発言もめっちゃ出来るし、質問だってかなりできる。


わからない、とか、勉強しなきゃ、っていうプレッシャーがない。

今まではわからないから勉強しなきゃ、とは思うが、そのままにしてきたことも多かったし。

ぶっちゃけ未来形の使い分けも良く分かってなかったし。


そりゃあ、2回目だから次は落とさないように勉強するけどね。

でもプレッシャーが無いってなんかやる気出るわ。笑


まあそんな感じだ。







実は最近考えていることがあって。


これからどうなっていくかはまだ分かんないけど。

やっぱり映像とかのほうに就職したいのかなーって。

最近よく動画サイトで一般人の作ったMADってのを良く見るんだけど。


例えば30分アニメの3話分を、3分の映像にまとめたりとか。

曲に合わせてダイジェスト版みたいにしてたり、登場人物紹介の映像だったり。

すごい面白そうっていうか興味がある。


それはきっとテレビとか、映画館の初めに流れる映画の宣伝も同じで。

もともと映画が好きだから、あのCMって興味あるなーと思ってたんだが。

だって、2時間の映画をたった1分にまとめて、たくさんの人を見に行きたいって思わせるってすごいよね。

例えそれが、期待はずれな映画でも、それだけCMが優秀だったってこと。


あとは似たようなもので言うと、ドラマとかアニメのCMとか次回予告。



で、ちょっと違うけど、これも面白そうと思うのは、ドラマとかアニメのオープニングだったりエンディング。

例えばわかりやすいので言えば、古畑任三郎のオープニングみたいな。





ちょっと前から気付いていたことだが、


創造だったり、独創だったり、1から自分で何か作ることが私は苦手だ。

ただし、模範や、あるいは何か元があって、そこから何かを作ることは得意。


だから、映画を作る、とかドラマを作る、ということには向いていないと思う。

元に映画があったりドラマがあったりするものを、どう見せるか、とかそういうほうがきっと向いてると思うし、

もっと楽しいと思える。


だから、オープニングとか作るのも面白そうとは思うけど、少し創造寄りな気がするから、

きっと私には前者のほうがベスト。



で、思ったこと。

そういうのってどこ行けば出来るのかなって。

どこに就職すれば良いんだろ。笑


いやでも本当にわからん。

テレビ関係(映像関係)ってすごく細かく分かれてたりするし。


あとは、編集技術が必要かということ。






まあしかし、やっぱり私は留学しといて正解だったかも。

あのまま就活続けてたら、自分が本当に何したいのかわからなかっただろうし。

ちょっと卑怯な感じもするけど、でも良いよね。



私の年上の友人が言っていたこと。



「全部の事は、きっとその人のタイミング。だから遅いってことも早いってこともないし、どれがより良いってこともないよ」って。


それを聞いて、


そのタイミングで自分がやりたいと思ったことを出来る、ということが幸運だと思ったし、

それを自分が思い切れるということが重要なんだと思った。

もしかしたら「チャンスを逃す」って、「自分のタイミングを見誤る」ことなのかもしれない。



私には幸運にもまだ時間があるのだし、じっくりスペインで考えてみることにする。

一度日本にも戻るのだし、それもまた色々考えるには良いかもしれない。

支える


小さい頃は神様がいて


友人のブログを読んで、なんだか思考が働いたので。



支えると支えられる、は似てる。


誰かを支えることが、私の支えになったりもする。



例えばそこに愛があって。

支えになってあげたいとか思ったりする。

相手が喜んでくれるのならと、やってあげたりすることもある。

自分のためには決して作らない、自分の中では凝った部類の料理とか、本当に稀に作ったりもする。

自分は食べない嫌いなものの入った料理とか(笑)。

例えば相手の好きそうなものを出先で見つけたら、道端のプレゼントにしては高くても、買って帰ったりもするし。


それは私の精一杯の愛だし、それで相手が喜んでくれたり、例えば落ち込んでたことへの励ましになったりして、とても些細な支えになれば良いと思う。



ただし、その見返りとして、愛の大きさを表すように高いものをくれたり、特に、私のために相手の時間を割くということが私にとっては、とてもとても耐えがたいものだったりする。

それは相手が私を支えたいと思ってのことかもしれないが、私にとってそれは支えでもなんでもなくて、ただの重みになってしまう。

私はもともと見返りなど求めてはいないし。

私のためにその多大なお金を使うのなら、相手の好きなことにお金を注いだほうが有意義な気がするし、(まあパチンコとかは無しね)

その相手の時間を、私のためだけに割いたりするなら、何かやろうと思っていたことをやってほしいし。



でもそれはただの言い訳かもしれない。

私は私の野望にお金を注ぎたいと思っているし、私のやりたいことをする時間が必要だから。

私にとって、お金は愛の大きさなんて表わさないし、むしろそれを買ったあとに、「今月はお金ない」と思うほうがよっぽど私にとっては不合理なことに思えてしまう。

今日はひとりで出かけようとか、今日は家で過ごそうとか、そういう自分の欲求にも素直でいたい。

というより、私にとってそれは人生においてとても重要な部分で。


だから、いつも、相手の愛が重くなると感じるのは、私のただの言い訳で、

私のしたいように支えになっておきながら、相手が私の支えになろうとすると拒絶されるのでは、

やっぱり相手が支えられる分量が多くなってしまって、結局私に重くのしかかっているのかもしれない。



ああ、そう考えると、結構自業自得かもな。

日常


毎日が同じだと言うのは、


きっと毎日が同じだと、自分が先に感じているからだと思う。

そう思い込んでいるのだと思う。

それか、変化を待っているだけで、変化することを自ら行わないからなのだと思う。



例えば電車から見えた風景が、いつもより綺麗だったとか、

いつもは話さない人と、少し話して仲良くなれたとか、

今日は上司の機嫌が良かったとか、

新しい映画の宣伝を見て、見たいと思ったとか、

気になっていたお店でご飯を食べてみようとか、



些細な変化に気付かずに、毎日が同じだと、決めつけているのだと思う。

何か一つでも変化していることに気づけば、日常は輝くのに。



私だって、此処にいるからといって、全てが楽しくて、全ての面白いことが向こうからやってくるわけではないし。


自分のためになることとか、楽しいと思うこととか、

全てを自分で選んで自分で決めて、そして受け入れてる。

此処だって、最初は変化に溢れて飽きないかもしれないけれど、

慣れてしまえばそれは日常になっていくのだし。

その先は、自分で行動するほか、ないというのに。



うらやましいとか行ってみたいとか、簡単に言う人は、きっと何も考えていないんだと思う。

「同じ日常」を私が持っていないと幻想を抱いてるんだ。

楽しそうで良い、なんて、そりゃあ私は楽しむための努力を無意識にしているのだし。


そっちと日本、どっちが楽しい?なんて、愚かな質問。

返事を返す気力が、一瞬で失せた。

簡単に返せば良いのかもしれないけれど、私のプライドなのか、返事なんて書く気もおきない。

私の心の奥底の、ふつふつと沸く怒りは収まらないし、

もういいや、私は体を気にするのをやめよう。

もともともう、気持ちも無いんだ。

繋ぎ止める必要もない。



ああ、なんという、行き場の無い葛藤。

でも私は、きっとこれからもっと、諦めるということを覚えてく。

いくら頑張っても、通じ合えないものってあるんだな、とか

いくら頑張っても、ああ、そう思ってはくれないのか、とか




きっと約一年後の私に残るのは、

本当に大切なものとの繋がりで、

それ以外のものを切り捨てているんじゃないか、と思う。

だって全てと繋がる必要はないんだし。


自分の本当に大事なものを見極められるように、

君が「同じ日常」を過ごす中、

君を残して、私はまだまだ成長してく。