ピンクモスクとバストラブル
旅の3日目。
ノープランだったが、ガイドブックで気になっていたプトラモスク(ピンクモスク)に行ってみることにした。
朝はゆっくりして、10時30分頃にホテルを出発。
KLトランジットを利用して、「Putrajaya & Cyberjaya」駅へ。
タッチ&ゴーを使おうとしたら、デポジットが20RM以下のため不可。カウンターでチケットを購入。
時間を気にせず駅に行ったが、それほど待つことなく電車が来て、20分程度で駅に到着。
隣にMRTのPutrajaya駅もあり、MRTでも行けることを知った。
駅からはgrabがお勧めと色んなものにあったが、バスを利用。どのバスがプトラモスクに行くか分からず、バス乗り場にいた人に聞いた。改札を出て左に進んで曲がったところにあるバス乗り場の一番奥のバス乗り場だった。
1時間間隔と聞いていたが、たまたま待ち時間なしでバスに乗車
ラッキー
だと思った。
支払いは現金のみ。2RMだった。
運転手さんにどこに行くか聞かれて、「プトラモスク」と答える。
有名な観光地だし、運転手さんにも目的地を伝えたし、と安心したことが、この後のトラブル?
につながる。
海外旅行で現地のローカルバスに乗った時にはいつもすることだが、Google mapを開いて目的地と現在地を確認しながら、どこで降車ボタンを押せばよいかを探る。
なぜなら、日本と違って、車内のアナウンスや掲示がないことが多いからだ。降りるべき場所がわからないと異国の地でよくわからない場所に連れて行かれることになる。
Google Mapで確認しながら乗車し、だんだんプトラモスクらしい建物が目に見えて来て、到着までの時間がどんどん短くなってきて、ここで間違いない、と思って安心して、Google mapを切ってしまった。これが間違いだった💦。
観光地だし、誰かは乗り降りするはずで、絶対バスが止まるはずだと思い込んだのが浅はかだった。
もう少し先にバスストップがあるのかな?とのんきに考えていたら、どんどん建物から離れて行き、不安になった
。
改めてGoogle mapを起動させてみると、どんどん到着時間が増えて行く。
完全にモスクから遠ざかっているので、「このままだとまずい」と思い、「私はプトラモスクに行きたいんだけれど、どこで降りればいい?」と他の乗客の方に聞いてみる。
そうすると、その方が運転手さんに話をしてくれ、運転手さんから、「停車ボタンが押されなかったから止まってないよ」と言われ、その通りなので「Sorry」と謝ったら、「わかった、私はここであなたを降ろすから、この上を歩いて向かいな、大丈夫?行けるよね?」、と言われ、私もすぐに「OK。Thank you」と伝える。
乗客の方が声をかけてからの運転手さんのこの間の判断は30秒くらい。バスストップでもなんでもない路肩にバスを止めてくれた。「Thank you」と再度言うと「Sorry」と何回か言われた。
多分、乗車時に行き先を伝えたからだと思うが、運転手さんにそこまでする義務はない。わかっていたのに停車ボタンを押さなかった私が100%悪い。
とりあえず、おろしてくれた場所からGoogle mapで検索すると、徒歩35分だった。
「全然行ける。よかった」とは思ったが、おろしてくれた場所は、高速道路ではないが、6車線の通りで、車がすごいスピードで行き交っており、人が歩くような場所ではまったくない💦ところだった。
バスも元々かなりのスピードを出していたが、よくここで止まってくれたな、という感じ。
とりあえず、歩道はないが路肩の草の上を歩いて向かう。
炎天下&サンダルで、草の上もがたがたしていてコンディションはよくないが、自分のせいなので、ひたすら目的地を目指して進んだ。
35分間途中で人とすれ違うこと、人を見かけることは一切なかった。
最終的にモスクに行くにはこの6車線の道を渡らないといけないことがわかったが、途中に横断歩道や信号などは一切なかったので、どうすればよいか困っていた。
最後の最後にモスクの周りの?敷地につながるところにだけ、道路に線が入っていて、ここを渡るんだなとわかった。もちろん信号はないし、そこにも誰もいなかった。車の切れ目を見計らって、ダッシュで横断した。
どんどんモスクから遠ざかり、知らない場所から歩いて行くことになり焦ったが、自分のせいだし、こういうハプニングこそ、旅の醍醐味だと思う。
経験できてよかった。よい思い出になった
。
今回の経験から考えたこと
それにしても、運転手さんの判断というか、柔軟性、裁量の部分に感謝、感動した。
他の乗客の方(2名)には、ロスタイムになってしまい申し訳なかった
。
行きのバスも、私が乗り場を聞いてそこに向かったら、12時ちょうどに出発しようとしていたところで、諦めて1時間待とうと思ったら、その場にいた方が行けるよと言ってくれて、運転手さんもドアを開けてくれて乗れたという経緯があった。
日本だったら、行きにぎりぎりで来た人を乗せてくれることはあったとしても、停留所ではない、6車線の道路の路肩に乗客を降ろすことは絶対ににないと思うし、自分が運転手さんの立場だったとしても同じことはしないと思う。(批判ではなく、事実として。今回のことは本当に感謝している)
対人の仕事における、柔軟性や個人の判断、裁量、許容される幅、について考える出来事だった。
私自身は、どちらかと言えば四角四面の人間で、ルールは守るべきものだと思っているし、1つ例外を認めるとすべてにそれを適用しないといけなくなり、ルール自体が意味を持たなくなり、全体の秩序が乱れ、結果的に全体(多数)にとって不利益が生まれることになると考えている。だから、意識的に、決められたことは確実に守るようにしている。
仕事においても同様である。
ただ今回、運転手さんの判断と行動に救われたことは事実だし、それができる(許される?)環境も悪くはないのではないか、とも思った。もちろん、お互いが持ちつ持たれつでそのようなことを受け入れるということが前提だが。
文明化?都市化?すると失われるものが、まだ少し残っているのかもしれないと今回の経験を通して思った。
そして、これまでは、売り手と買い手との話し合いで商品の金額が変わるようなことは、面倒臭いし、不正だというような思いがあったが、それも人との関わりにより変化する「幅」のようなものだと考えると、逆に意味があるものではないかと思えてきた。すべてが一律であることは効率的ではあっても、失われるものもあるのではないかと思った。
色んなことを考えられる経験ができたことに感謝している。
あの時の運転手さん、本当にありがとうございました!!
可愛くて一目惚れして購入したミッフィーTシャツ。


