以前、ある人に勧められてから、「喜捨」をするようにしています。


「喜捨」とは、読んで字のごとく、「喜んで捨てる」ことです。

喜捨は、相手のためのものではなく、喜捨をすることによって自分が幸せになるもので、むしろ、感謝をして行うべき行為です。


通勤で毎日利用する駅で、托鉢をしているお坊さんがいらっしゃいます。

いつもいらっしゃるわけではありませんが、いらっしゃる場合は、「鈴」をチリンチリンと一定間隔で鳴らしているので、すぐにわかります。


喜捨をする際は、「(喜捨をさせていただいて)ありがとうございます」と言って、渡すようにしています。


仏教徒というわけではありませんが、喜捨に限らず、人生における様々な場面で、「功徳を積む」という意識は、常に私の中にあります。


なぜそういった意識が自分の中に芽生え、行動規範の一つになっているかはわかりません。

いつか、じっくり考えてみたいと思います。


理不尽なことや人知の及ばないものに対して、何か少しでも、因果的な筋や自分の選択•行動による影響、といったものを感じ、納得感?が欲しいからかな、とぼんやり思っています。