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 1884年にデューイはPh.D.の学位を得てジョンズ・ホップキンズ大学の大学院を二年間で終了すると直ぐに、モリスの勤めるミシガン大学の哲学科に専任講師として就任することができた。以下、このようにして始まった大学教師としての彼の思想の発展の思想史的意味を、彼が発表した諸論文の中に読み取ることにつとめよう。 ( 註.哲学科におけるモリスと彼の担当科目の分担や、学生の要求への対応や、彼の講義の評判については、G.eorge Dykyuizen, The Life and Mind of John Dewey, Southern Illinois University Press, 1973, pp.45-47 が面白い。)


≪実証主義と合理主義の徹底と合理的信仰の追究≫

 以上に見たようにデューイは不可知論と主観主義を克服しようとしてきたのであるが、そのことの積極的意義は、当時ますます枝分かれして多様化しつつあった諸個別科学におけるさまざまの新事実の発見という成果を吸収しながら、それらの実証的事実全体を矛盾なく位置づけることのできる合理的な観点を見出すことにあった。大学院時代の最後の論文『新心理学』はその観点の最初の表明だったのである。

 ところで、その新たな観点の思想史上の意義は以下の二点に要約することができるだろう。第一点は実証主義の徹底であった。すなわち、個別科学が明らかにしつつあるような具体的な経験的事実以外に客観性の根拠はない。したがって、それらを無視したり、予め想定された抽象的な概念体系に無理やり一致させたりすれば、その考えは客観性を失うことになる、という主張である。第二点は合理主義の徹底であった。すなわち、個別科学の限られた領域の中では経験的事実の真の意味は決定できない。他の領域における意味づけや、経験の有機的全体の中での意味づけと矛盾することになるかもしれないからである。したがって、それらの経験的事実の真の意味を決定するには、それらすべてを矛盾なく意味づける経験全体の整合的なシステムの形成が必要なのだ、という主張である。

  デューイが到達したこのような観点は従来の立場と鋭く対立するものであった。不変の真理を求めて、その恒常的秩序の下にすべての経験的事実を位置づけようとする立場に対しては、逆に、すべての経験的事実が矛盾なく位置づくような全体を目指して発達し続ける経験の有機的全体を対置させ、また、科学の合理的認識の及ばない哲学独自の領域の存在を主張する非合理主義の立場に対しては、経験の全領域に及ぶ合理的認識の追究を主張したのである。しかも、デューイは、この理性を価値的に無色な認識能力としては捉えなかった。彼は、1884年秋に就任間もないミシガン大学のキリスト教学生協会で、『神を知る義務 The Obligation to Knowledge of God 』 という題で講演し,その中で、「・・・科学も哲学も、事実についてのあらゆる知見を、結局において、生きた人間の活動を導き、人間のすべての努力の目的――神に近づくこと――に関係づけることにならないならば、無価値である」と言い、「知るとか知らないとかいうことは・・・無色の知的行為ではない。それは本質的に道徳的な行為なのである」と言っているのである (The

Early Works of J. Dewey vol. I, Southern Illinois University Press, 1969, p.62.)。