註1.デューイの在学当時のヴァーモント大学の状況については、G. Dykhuizen, The Life and Mind of John Dewey, Southern Illinois University Press, 1973, pp.9-18.を参照。
註2.当時なお支配的だったスコットランドの常識哲学や直観主義の哲学が、哲学や科学の合理的思考の及ばない、直観や常識によってはじめて認識することのできる領域を想定して、そこに信仰の根拠をおこうとしていたことに対して、デューイは批判的であった。70歳のデューイは当時を回想して次のように述べている。「・・・真に健全な宗教的経験ならばどんなものでも、人がその知性において心に抱くことのできると思ったどんな考えにも適合するはずであるし、適合すべきであるという―初めは半ば無意識にであったが、数年経つうちに根底的確信にまで深まった―境地なのである」と。 From Absolutism to Experimentalism, The Later Works of John Dewey, Southern Illinois University Press, volume 5, p.153.
註3.最初の二論文の原題名と掲載誌は:The Metaphysicai Assumption of Materialism, in tha Journal of Speculative Philosophy, xvi および The Pantheism of Spinoza, in the same Journal, xvii である。 両論文は共に上記デューイ全集の The Early Works, vol.1, pp.3-8, and pp.9-18, に収録されている。引用した言葉は第二論文冒頭の文であるが、 晩年の彼自身の否定的反省にもかかわらず、それはその後の彼の考えの発展を予告している。The Early Works, vol.1, p.9.
註4.以上の事実については、ダイキュゼンの前掲書 pp.28-43を、モリスの思想については、H.W.Schneider, A History of American Philosophy, Columbia University Press, 1946, p.475. および M. G. White, The Origin of Dewey's Instrumentalism, Octagon Books Inc. ,1964, pp.12-33.を参照。この時期ついてのデューイ自身の回想については上記回想文、Ltater Works, vol. 5, p.152. を参照。
註5.論文の原題名と掲載誌は: Knowledge and the the Relativity of Feeling, in the Journal of Speculative
Philosophy, xvii (Jan.1883). 引用はThe Early Works, vol.1, p.27 から。
註6.同前書 p.28, 「眼の網膜」とか「エーテル」とかは歴然とした科学的概念であり、それらの客観的意味は意識を超えた不可知の実在との対応によって決まるのではなく、意識の中の科学の理論体系の中に位置づけられることによって決まるのである。
註7.同前書 p.33, この「思考する意識」は「自己意識」であり、それは次の論文ではカントの認識論における「統覚」に発展する。
註8.論文の原題名と掲載誌は:Kant and Philosophic Method, in the same Journal, xviii (April 1883).。この論文でデューイはまず合理論と経験論の歴史を概観した後、哲学の方法へのカントの貢献は総合の原理の発見にある、という(同前書 pp.36-37)。そして、カテゴリーや統覚すなわち自己意識が有意義な経験が成り立つためには不可欠であることを明らかにする(同書 pp.37-38)。
註9.しかし、カントは、認識の主体である自己意識を個人的主観と同一視して、それを外的客観に対立させたために、外的客観は認識主体にとって不可知の物自体になってしまった。だが、デューイは、主観と客観を自己意識によって総合統一されているものの中に位置づける。つまり、認識主体である自己意識にとっては、客観的な感性的多様はすでに内部にあるのであって、感性を通じてわざわざ外から受容されるようなものではないことになるのである(同書 pp.40-41)。
註10.こうしてデューイが辿りついた経験についての考えに十全に相等する唯一の概念はヘーゲルの理性の概念であった(同書 p.42)。そしてデューイは、その有機的全体として発展しつづける理性の哲学を、「論理学」、「否定的なもの」、「弁証法」の三点について概説している(同書、pp.43-46)。
註11.論文の原題名と掲載誌は:The New Psychology, in the Andover Review, ⅱ (Sept,18849)。この論文は、旧来の心理学が多様な具体的事実を不動の形式的諸原理に従って解釈しようとしてきたことを批判し、新しい生理学的心理学や実験的心理学が従来の内観的方法では知られなかった新事実を発見しつつあることを積極的に評価し(同書、pp.58-60)、さらに心理学の範囲を歴史や社会学等々の実証的研究での心的側面の諸事実の発見への期待へと拡げる(同書 p.52 )。
註12.しかし、デューイの実証的研究への期待は内観や思惟する意識の働きの軽視をいささかも意味するものではない。新心理学の「自らを生んだ母である経験への信頼」(同書 p.60)とは、個別科学における部分的事実の発見と理解は、内観の内容と正確に対応し、思惟する意識において矛盾のない全体へと総合統一されるにちがいない、という信念にほかならない。ここでデューイが言う「新心理学」とはのちの論文でいう「哲学の方法」なのである。