年寄りの冷や水 | Solipsistと仲間たちのブログ

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 ブログを書くのをちょっと休んで、バルセロナに行ってきました。三十数年前にちょっと寄っただけのところだったので、初めてといってもよいほど何も知らないところでした。目的はピカソの初期の作品やミロの絵を見ること。でも、何と言っても一番気になっていたのは、あのサグラダ・ファミリア大聖堂などを建てたアントニ・ガウディの奇妙な建物の実物を見ることでした。

 ピカソ美術館は古い城壁に挟まれたような狭い路地にある大きな建物でした。陳列されている作品の多くはいろいろな画集で見て実物を想像しつくしていたものばかりでしたので、あまり感動しませんでしたが、青の時代以前のものには何かしら新鮮な若さのようなものを感じました。ミロの美術館は市街地全体を見渡す市の南西の小高い丘の上にあって、白くて明るいコンクリート の建物だったせいか、あるいは、陳列作品に大きくて色や形がシンプルなものが多かったせいか、画集からの想像を超える何か新しい魅力を感じました。それが何なのか、今の僕にはまだよく分かりませんが、やがて具体的な色や形を忘れたころ、画集で再びその絵に出遭ったときに、分かるような気がします。時々そんな風にして他人の絵のよさに気づくことがあるからです。

 ガウディの建物はそんなものではありませんでした。部分ごと、それぞれに、他にお構いなく喚き立てているように見えます。そして、全体が大きなうねりのようになって、私たちの好みなぞにはお構いなしに、強い印象を迫ってくるように感じました。1883年にガウディが引き受けてから今でもまだクレーンが動いているサグラダ・ファミリア大聖堂は毎日観光客でいっぱい。二度目に行ったとき、エレヴェーターで塔に登り、螺旋階段を歩いて降りましたが、螺旋の中心の深さに目が眩みました。三度目に行ったときには、中に入らずに、外の公園の池の辺のベンチに腰かけて大聖堂のスケッチを試み、それぞれの部分の形だけでもメモっておこうとしましたが、それぞれ違う形で、全部を繋げようとするとスケッチブックをはみ出してしまうので、結局は仕上げられませんでした。バルセロナ市内に、ガウディの作品はほかにもいろいろあります。全部は見切れませんでしたが、見たものを見た順に列挙しますと、グエル公園(1914)、ミラ邸(1912)、バトリョ邸(1907)、郊外のグエルの工場の従業員用住宅団地:コロニア・グエルの地下礼拝堂(1914)、グエル邸(1888)、グエル農場の門扉(1887)以上です(括弧内は完成年)。ざっと一通り見ただけの主観的な印象を述べますと、ガウディの建物には直線や平面がない、というよりも、そのような規則的な形はあえて避けられていること、蛙や蛇や竜やカメレオンや亀など普通は気味悪がられる爬虫類や両棲類の形や色が積極的に用いられるていること、青や黄色や緑や茶や赤などの様々な形の陶片で色彩の単調さが壊されていること、等など。さまざまな印象が疲れた僕の頭の中に渦巻いています。僕は客観的なガウディ像なぞ求めていませんが、彼の作品の多様な印象の集りから生まれるうねりのようなものを感じとりたいと思っています。そこで改めて気になり始めたのが、彼より30年ほど後に現れたル・コルビュジエやグロピウスの仕事との著しい対照です。後者では最初から美しい秩序が全体を支配しているのに、前者ガウディでは全体の纏まりは個々の衝動が集まって醸し出すうねりのようなものです。ピカソやミロはどっちなのだろう。バルセロナの街を歩きながら、サン・パウ病院やカタルーニャ音楽堂や古いゴシックのカテドラルを見ている中に、ガウディの強烈な個性をこのカタルーニャの土地柄になじんだものと感ずるようになってきました。

 しかし、バルセロナの市街は、南西のゴシック地区は別として、道幅が広く、建物の色も高さも、いくつかの例外は別として、ほぼ一定で、主要道路の交差するところには広い広場があり、地下鉄が縦横に走り、タクシーの色は黒とカドミウムイエローで統一されています。こんな風に言うと、バルセロナはいかにも整然とした近代都市のように思われるかもしれませんが、秩序のあるのはそこまでで、あとはいろんなものがごちゃごちゃと入り混じって騒々しく動いているように感じました。特に人間の種類の多様さには強い印象を受けました。体の大きさも、顔だちも、皮膚の色も、服装も、振舞いも、まちまちなのです。これはカタルーニャの古くからの特徴なのでしょうけれど、人種的および文化的な多様さという捉え方だけでは納得しきれない何かがあるような気がします。それはいろいろな人種の混在という点では同様のニューヨークやパリで感じたことのない雑多の共在という感じです。娘はそんな中で気楽さを感ずるようですが、私には少し刺激が強すぎるような気がします。しかし、分類や差別や序列化は草臥れた人間の縋りたがる秩序かもしれませんね。

 私たちは市内の共同住宅のアパートメントを借りて二週間過ごしました。近所のパン屋やコンビニやスーパーに行って、あれこれ仕入れたものを料理して、そこの人々と同じようなものを食べて暮らしてみたいと思っていました。ですから、あまり外食はしませんでしたが、それでも何度かバルやレストランに入りました。中でも面白くて美味しかったのは、もっとも賑やかなランブラス通りの真ん中にあるサン・ジョゼップ市場の中の屋台のようなところで、並んで順番を待って、食べた魚や貝でした。思いつくままに随分長々と書きましたが、最後に、今後の用心のために、三度もスリに遭った話をしてこの記録を締め括ることにしましょう。最初は、ピカソ美術館の傍のゴシック地区の狭い路地を歩いているときでした。痩せた老婆が私の肩から掛けていた小さな鞄を新聞紙で隠すようにしてその鞄の中に手を入れていました。それに気づいた家内が驚いて叫び声を上げると、老婆は何も盗っていないよというように掌をひらひらさせながら逃げて行きました。次は、朝一家三人で港の傍の広い路を見物がてら散歩しているとき、一人の男が地図をもって場所を尋ねるような様子で近づいて来たところへ、また別の二人の男がやってきて警察手帳のようなものをちらつかせながらパスポートを見せろといいました。怪しいと気づいたわれわれが身構えると、彼らはすうっと離れて行きました。彼らはいろいろ芝居じみた筋書きを考えているのですね。三度目は地下鉄の電車を降りようとしたときです。後の男が僕の上着の背に何かついていると声をかけてきました。すぐに怪しいと気付いた家内がその男から僕を庇うようにして、スプレーで吹き付けたような青い液体を拭き取ってくれたのです。上着を脱がせてポケットの中のものを盗ろうとしたのでしょうか。以上ですが、家内はいつもあなたばかりが狙われるのはぼんやりしているからよ!と言って僕を叱ります。でも、何も盗られなかったのは、僕が用心深かったからではないでしょうか。

 娘は仕事があるといって一週間で帰りましたが、僕たち夫婦は二週間いました。歳の割に元気だとはいっても、

地下鉄に乗って方々に行き、毎日一万五千歩以上も歩いて十日も経つと、かなり疲れを感ずるようになります。初めて雨が降り、家内は耳鳴りがすると言って外出を控えましたが、僕は地下鉄でバルセロナ現代美術館に行きました。ガウディやピカソやミロの後が気になったからです。正面はガラス張りの大きな直方体の現代建築でした。展示室は少なく、映写室が多く、いろいろ説明的な映画が映されていたようです。ミロの作品などもありましたが、展示されている作品がしだいに無口で無表情なものが多くなっていくように思われました。それはここだけではない、世界的な傾向なのではないでしょうか。世界はだんだん等質化し、どこに行っても同じような退屈なところになりつつあります。家内がいくらか良くなったようなので、翌日は買い物に、その翌日は晴れたので、グエル農場の門扉を見に中心街を離れた住宅地に行きました。そこは新しい瀟洒な集合住宅の建ち並ぶ住み心地のよさそうなところでしたが、そういうところならどこの国にもあるように思いました。

 さらにその翌日早朝暗いうちにタクシーに乗って空港に向かい岐路につきました。帰国してから一週間よく眠り、やっと疲れが取れたような気がします。家内は今朝美容院に行きました。