before the dawn -9ページ目

before the dawn

夜を縦横無尽に 駆け抜ける クリエーター sei_jin が贈る 
夜明け前の独り言コラム

たまにはこういう無駄な時間の使い方も気休めにはとってもいいかも。

離陸と着陸のビューポイントがあります。

沖縄の基地問題が揺れてるのに
近隣住民にとってははなはだ迷惑な騒音なのに
不謹慎だけどまぢかに見て音を聞くとかなりアドレナリンが出ます。
特にF/A18あたりは、こんなにでかいんかいっちゅうくらい轟音です。
離陸するUS Navy F/A18 3連発。
たぶん横須賀のジョージワシントンの艦載機でしょう。

それと海上自衛隊P3Cのタッチアンドゴー。
この日は5、6回繰り返してました。
着陸侵入コースの真下で撮影。
相鉄線と東名を越えて着陸します。
なので相鉄線も東名も侵入コース下にはふたがしてあります。
相鉄線は大和駅の西。
東名は大和トンネル。

民間機も時々羽田辺りに出かけて見に行ったりします。

ちなみに鉄道は“のり鉄”です。
写真なんて鉄道ジャーナル見ればいいのが載ってるし
無理して撮りにいく気が知れません。
やっぱり、鉄道は乗らなくちゃ。

昔は夜行によく乗っていたのですが
最近ことごとく廃止になってしまいましたね。
といって、廃止になる列車を見送りにいくわけでもありません。
おまいら、そんなに最後が寂しいなら通常運行時に乗ってやれよって。

トホホなくらい最近の「鉄」は変。

流行りに乗っかりたい無礼きわまりないオタクの「鉄」もどきとは歴史が違う。
こちとら筋金入りの「鉄」だぞ。

おまいら国鉄を知らんだろう?
通常運行していたSLに乗った事ないだろう?
各駅停車「山陰号」に乗った事ないだろう?
青函連絡船に乗った事ないだろう?
急行「八甲田」「津軽」
寝台特急「ゆうずる」「日本海」「白鳥」に乗った事ないだろう?

なにせこちとら「鉄道友の会」の正会員だからナ!




美意識というものをどのように捉えていけば良いのかということは、どうしてもその捉える本人の美意識に由来するもので、その本人がどこまで深い美意識を備えているかにかかっていると思われる。

実際の広告やデザインの現場では、クライアントやその間に入っている代理店の担当者がイニシアチブを握っている為に、その人達の美意識に左右される事が多い。

つまらない美意識に捕われている奴にかかると、せっかくの制作者が持っている美意識が歪められたり、本来の実力を発揮出来なかったりしてしまう。それは誠に不憫というか残念な出来事でしかない。

表現というものは、依頼する相手を探し出し、その美意識を存分に発揮してくれる事を信じて託す事から始まる。しかるに陳腐な美意識を振り回してせっかくの表現者が本来持っている高い美意識を台無しにしてしまうコンダクターがなかにはいる。というか多すぎる。それはとりもなおさずモノ作りのステップやメソッドを無視しているか、知らない人たちがコンダクターになって現場をかき回すことから起こってしまう。コンダクターたるもの、あらゆる人たちがその指揮のもとに動く事を充分に理解していなくてはならない。にもかかわらず、その一言が大勢の動きを止めたり困惑させたりする事が本当に多い。

世の中のあらゆるものは目に見えている人たちだけが動いているのではなく、相当数の人たちがそのひとりの一言のために動いている事をもっと知るべきだと思う。そうすればあらゆる意味でエコな仕事が出来上がると思うのだ。無駄なプリントも出ないし・・・・
景気が悪いからなのか、人たちの気質がそうなのか、

なんだか自分中心な物言いばかりが最近身の回りに目について仕方がないのは気のせい?
ちょっと時間つぶしにファミレスなんかに入っても、近くの席では男と女が言い争いをしていたり、
仕事中にも自分はこう思っていたとか、明らかに自己防衛としか思えない意見を高らかに繰り広げて周りをうんざりさせてしまったり・・・・
もう少しくらい相手の話を聞いてお互いに歩み寄る姿勢を示せないものかねえ。

特にいい会社の社員ともあろうものが、保身に回っては相手を責め立てる。

いい歳になってしまったら、もう自分を向上しようという気持ちも失せてしまうのか、そういうことがまかり通ればいいことに、同じ事を繰り返す。周りもちゃんと言い含める事も出来ないものだから、それでいいと思っている。そういう連中に限っていい大学出ているにも係らずそういうことを繰り返す。
たぶん、若い頃にちゃんと教育を受けてこなかったから、自己流でそういう術を編み出してしまったのだろうね。
また、そういう連中に限って出世してしまうのだからタチが悪い。

ある事に行き詰まると、それはたぶん自分のキャパシティやスキルの限界だと悟らねばならないはずだ。しかしそう云う人たちは、現有スキルでなんとかしようとしてしまう。まずはエリートだから謙虚な気持ちが薄いから、すぐに周りのせいにする。せいにされた周りはたまったものじゃない。なんであいつのケツを拭かねばならないのかと憤るが、向こうは上級であったりクライアントであったり、かなりこちらが不利になる。だから云いたい事も云えなかったりするものだから向こうはいいものだと思い込んでいるのか、すべて自分のスキル不足を分かっていながら知らん顔をすることがまかり通る世の中になってしまってるから、益々そういう輩がのさばって世の中を可笑しくしてしまうのだろう。

そう云う輩に直面しても、面と向かって忠言しても、多分聞く耳を持たないだろうし、逆に切れられるのがオチだろう。そういう輩には直接もの言うのではなく他の面で広い心で行動して態度で見せていく事しかないのだろうな。

苦言を呈しても、たぶん言い争いになるだけだろうし、現にそうなってる。

こんな世知辛い世の中であればこそ
もっともっと自分自身の懐を広く持つ事が求められるのだろうな。
そう思うと、まだまだ懐がせまいなと感じてしまう今日この頃だな。
考えるに、私が生まれたのが1961年。
1945年に終戦を迎えて、わずか16年後。

私が前職に転職して一昨年辞めるまで、31歳から47歳までがちょうど16年。
16年なんて、たちまち過ぎてしまいそうな年数。

もはや戦後ではないと、池田首相が言っていた時代
復興どころか、ようやく高度成長の端っこに到達した時代かな。
生まれる3年前に東京タワーが完成して、
1964年の「東京オリンピック」に向けてあらゆる都市が改造され始めた時代。
そして1970年の「大阪万博」

そうだよ、巨人の星の「星一徹」が道路工事でつるはしを振るってた時代だよね。

今やお隣の中国が、オリンピックから万国博覧会へと発展の頂点を
あの当時の日本とおなじ軌道をひた走っている。
  

父親の生まれが昭和6年といえば、支那事変が勃発した年。
父に言わせると物心ついた時には「軍国日本」だったと。
そしていちばん元気な時代は昭和30年代から50年代が現役の時代だと言っていた。

親達は子どもの頃は戦争一色で、何もいいことが無かったというけれど昭和30年代から50年代といえば、オイルショックもあったろうけれど高度成長時代のまっただ中で、いちばん日本がいい時代を元気な現役で過せたことは、B29の焼夷弾から逃げ回った少年時代を差し引いたとしても、今や十分な年金暮らしで、夫婦揃って格安のバスツアーなんかに行って老後を楽しんでる。
「人間万事塞翁が馬」と思えば、結果親はいい時代を過ごしたのかもしれない。

方やその子ども達はといえば
バブル以後(自分は丁度バブルは下働き時代でそのおこぼれにはてんであずかれなかった)時代なんてくるわけも無くて「失われた10年」だの「100年に一度の金融危機」だの、なんやら暗い時代を現役で過して来てしまった。とにかく頑張れば報われる時代ではなくてどうやったら生き延びようかという時代にいまも現役でいる。

これもまたいつかは「人間万事塞翁が馬」なんて云いながら老後を過せるのだろうかねえ。

お先真っ暗でも、強がって、やせ我慢張って、元気だと嘘つきながら
生きていかなけりゃいけないんだろうな。

謡曲「敦盛」の「人間五十年」にあと一年となりました。
織田信長の亡くなった歳になりました。

そういいながら100年生きたりしてね(笑)


まずは大病も患わずここまで息災に来れたのも
生んでくれた親に感謝、そして色々気遣ってくださるみなさんに感謝です。

春分の日の後の満月の日から最初の日曜日。
だから今日が暦の上でイースター。

イースターは春の女神の名前だったような記憶が。
もうすぐだよ、暖かな日がやってくるのは。

イースターで思い出すのが、若い頃に聴いてたユーミンの「ベルベット・イースター」
あの頃は、この歌詞の意味がよくわからなかった。
特にあの当時というか、ティーンの女の子の考えることは同世代の男には全く理解の領域を越えていた。

「ベルベット・イースター 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい」
イースター前後の天候ははっきりとしない。そのアンニュイな雰囲気と恋人がもうすぐ迎えに来る、主人公に春が来るというイメージを重ね合わせて描ききっている。

多分「ベルベット・イースター」のイメージも何とか理解できていたような気がする。
当時自分が思っていたその時代の思い描いていた風景とはあながち差異はなさそうな気もする。

京都の北山通りという、当時から割とあか抜けた並木道にファッションのお店が建ち並んでいるその界隈は、南側に植物園の森が続いていて、冬の枯れ枝の並木が低く曇った曇り空から落ちて来る雨の雫もまたセンスのいい風景にも思えていた。エコールドパリの画家達が描いたパリの街角のような風景を十代のころの自分は連想しながら、一人でそぞろに歩いたり、スケッチをしたりしていた。
多分その雰囲気のなかで欠けていたものが特定のというわけではなくて、
少女という一般的な異性の存在だったのかもしれない。
その不在感を触発したのが「ベルベット・イースター」の歌だったので、いまだに心のなかに残っていて、「イースター」というキーワードから、ふと思い出されてくるのかもしれない。