自分の声は自分の身体から出てくる | 風まかせのガレージ

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ようこそ。ここは日帰りバイク散歩「風まかせ」のツーリングレポート書庫です。
※バイク雑誌「風まかせ」さん(2006年創刊)と当イベント「風まかせ」(1994年スタート)は何も関係がありません。

歌っていて音が違う気がしてならないことがある。

音階を追っているつもりが、原曲歌手の声の出し方に近付かないと音が違う気がして、どの音が正解なのか判らなくなってしまう状態。もともと音感が大して備わっていないせいもあり、判別の手がかりは耳に聞こえた声の調子のみなので、ハマると文字通り立ち往生。

高さを見誤って無闇に高く、もしくは低く音を取ってしまったり。

原曲歌唱を聞くと自分の出してる音より低いんじゃないかとギクリとすることもよくある。目を白黒させて必死に声を調達している自分の現状に「あぁ、踏み違えてる」と肩を落とすやら「もっと穏やかな声で充分なのかぁ」と ほっとするやら。

何がいけないんだろうと考えてきた。音感の乏しい自分が掴むべき方法は何だろうとずっと考えてきた。

はたと気付いたことが。原曲歌手は自分より遥か上級者である以前に自分と”声”が違う。

何を今更。いやしかし待て。地声が甲高い人の”ファ”と地声が太い人の”ファ”は、俺にとって違う音に聞こえてしまうのかもしれないじゃないか。

ならば。

”自分の声”で歌い慣れて”自分の声”で身に付ければいいんじゃないか。何て当たり前な話だろう。

原曲歌手と自分は違う人間だし身体の成り立ちは、人間であること以外、違うじゃないか。何気なくすれ違う通行人ですら誰一人自分と同じではない。

今、歌っているのは原曲歌手じゃない、他でもない”自分”だ。

「自分ならこう歌う」、いや、「自分が歌うとこうなる」と言う姿勢で歌うことが大切なんだと最近考えるようになった。