アレルギーの病気は、一生を通じて人を悩ませることがあるが、アトピー性皮膚炎もそうした病気だ。この病気は、病変が目でみえてしまうこと、かゆくてつらいと思う程、皮膚へと手が行ってしまい、皮膚は悪化していく。

皮膚を掻きながら、アトピー性皮膚炎を治すというのは、不可能だ。

人の掻いた皮膚というのは、自動性に悪化していく。特に成人になると、掻いた後の皮膚の修復が遅くなる。

子供の傷は、かさぶたができてきて、それをはがしてしまって、じくじくになっても治っていく。かさぶたの下で、正常皮膚がすみやかにできあがるからだろう。

しかし、成人は、こうした修復が遅くなる。そうした意味で、成人のアトピー性皮膚炎は、治りが悪いように思う。皮膚の免疫が複雑になっていることも影響しそうだ。
 
成人の皮膚は、掻いた後の変化が回復しないどころか、新たな丘疹が出来てきて、新たな病変が広がっていく。小児と比べて、成人のアトピー性皮膚炎にそうした傾向があるのは、皮膚の新陳代謝の低下や、複雑な免疫反応によるのではと予想する。
 
子どもは、皮膚がかゆくても、遊びに集中できるが、成人患者さんは、皮膚の事で頭が一杯になり、それだけになってしまう人がいる。
早く治そうとあせるだけに、患者さんのいらだちは大きい。
 
痒疹というのがあって、これも、掻く事によって悪化する。丘疹ができるようになると、もう治らないようだ。少し、触れただけで、常に痒さが復活するからだ。
 
しかし、かゆみは医者にいくら訴えても、医者にもどうすることもできない。
医者に訴えても、何もしてもらえない症状というのはいろいろあるが、かゆみもそうした症状である。
 
医者は「掻くと悪化しますよ」と言うだけである。この言葉に、患者さんは、イライラするだろう。
「そんな事はわかっている!だから、このかゆみを何とかして欲しい」と思うだろう。
しかし、慢性化したアトピー性皮膚炎は、医者には治せない。
じゃあ、治らない病気なのか?というと、そうではないと思う。

ネットに、「私はこれで治した!}などという書き込みがあるが、治したというより、病気が軽かったために、皮膚が本来の機能を回復したという程度のことだと思う。
 
いかに、皮膚を清潔に保湿し、手を触れないで、皮膚の回復力を気長に期待し続けることができるが問われる。これは、能力と努力の部分が大きいと思う。
 
“掻かないでじっと待つ”、という悟りができるかどうかが決め手だ。
 
他力本願で、掻きながら治せと医師にぶつける状態では、高まる不満で、アトピー性皮膚炎は悪化してしまうと思う。アトピー性皮膚炎がひどいから、仕事ができない!かゆみがひどくて集中できない!などとなると、さらに、病気は悪化してしまう。

皮膚科の外来に通ってくるアトピー性皮膚炎の患者さんと、診療以外で会うアトピー性皮膚炎の患者さんの層は、若干、異なっている。
診療所に通う人は、医者に治してほしいと期待を持っている人が中心だ。

一方、別の機会では違う。 例えば、一般検診に来るアトピー性皮膚炎の成人は、すでに医者に期待していない人が多い。全く医師の治療はしていない人と、ステロイド薬の処方の時だけ、たまに行く程度の人がいる。ステロイド薬を使う量も、使い方も、患者さんで決めている。
 
ステロイドは過去に使っていた人が多いが、ステロイドの副作用や限界も経験している。ステロイドの使い方も、その人なりのやり方で、塗る量を決める。
患者さんの重症度はさまざまであるが、自らの治療方針を持っている。
 
かゆみ、痛みが慢性である場合、一生懸命に医者に訴えても、だめなのだ。
長い間、アトピー性皮膚炎を抱えてきたが、医者にもう行っていない人は、その人なりの対処法を持っている。
 
「僕のアトピー性皮膚炎は、夏の汗の時期に悪化します。仕事をすれば汗が出るので、汗をかかないようにすることはできない。だから、暑い時期が終わるまで、待ちます。」
とある自動車整備工の方が言った。彼は、皮膚の回復を待つ事が大事なことを知っている。
 
アトピー性皮膚炎が重症でも、なんとか付き合っている人の様子を見ていると、確かに手はあちこちの皮膚に向かうが、掻くのはほんの少しの部分である。
背中は掻くけど、顔は絶対に掻かないようにしているという人もいる。
 
重症だが、皮膚にあまり構わないように心掛けることができる人がいる。
確かに皮膚はかゆそうだが、掻く時は、短時間で少ししか掻かない。同じ場所は掻かないなど、その人なりのルールがある。
 
ある若い女性は、顔がきれいだが、腹部の発赤が強い。聞くと、彼女は、顔は絶対に掻かないのだと言う。その反動で、お腹に手が行ってしまうのだと言う。
 
難治だが、命取りではないものは、治療の選択は、患者さん主体にならざるをえない。

ベテラン患者さんは、皮膚が悪化することがあっても、軽快することもあることを知っている。
何が悪化させるかを知っている。そして、その対処法を持っている。
時間が過ぎるのを待つことができるということも、治療法なのだと思う。
 
かゆい時は、がまんする、数秒で掻くのを終えるなど、こうした努力をしないで、アトピー性皮膚炎を治すことはできない。
 
もちろん、軽症な人は、ステロイドを数回塗って解決してしまうのだが、こうした人は病気の質が違うのだ。
 
とにかく、患者自身で気付くルールは、とても大事な対処法だと思う。
 
中には、こうしたことができず、ドクターショッピングを繰り返してしまう人もいるが、医者にかゆみを理解してもらおうと必死になる傾向がある。そして、医者に裏切られたと感じ、医者を変え、最初の期待が裏切られると、やっぱりこの医者でも治らない、一生治らないのか?と考えて落ち込んでしまうようだ。
 
本来の皮膚は、炎症を起こしながら、修復につとめようと必死になっている。だから、修復力が発揮されるまでには、時間がかかる。それを信じて、皮膚の治す様をそっと見守ることができるかどうかである。正常皮膚を維持するためには、かなりの調整作業が行われているが、人は気づくことが無い。こうした連携が少しでも崩れると、皮膚は正常には戻らない。
 
皮膚の表面では、菌やカビが常在している。しかし、ある種類の菌やカビが一方的に増えようとすると、皮膚の免疫細胞が反応する。増えようとする菌やかびと闘う。
 
少量の菌やかびなら、皮膚は増殖を許し、妥協もしている。目に見えぬ病原体との攻防のために、皮膚は赤くなり(血管を拡張)、しこり(炎症細胞が集まりながら)、かさかさし(脱落させる)、元の健康な状態に戻ろうとしている。
こうした皮膚の炎症を、途中で止めるのがステロイドであるが、効果に限界があるのだ。
 
アトピー性皮膚炎は、皮膚が良くなったり悪くなったりしてする。
こうした類の病気は、医者にとって一番、悩ましく、手ごわい。
 
一方、皮膚の病変が進行していく場合は、悪性であり別の病気である。こうした時こそ、医者の診断や指導がものを言う時である。
 
逆に言うと、アレルギーやアトピー性皮膚炎と言われている間は、医者は、それ以上の診断はできず、又、特効薬を持たない。
 
しかし、これは今のレベルの医学の限界にすぎない。今後は、どのような特効薬が開発されていくのかは、やはり期待して良いだろう。
 
子供にとって、診察室は恐ろしく、不安に満ちたものであるだろう。最近の子供は、生後まもなくから、たくさんの予防注射がある。1回の診察で、2本と言わず、3本、4本の予防注射を希望する親もいる。
 
こうした時代に育つ子どもにとっては、医者や白衣が恐いし、診察室に入るのがいやであろう。
 
診察室での乳幼児では、大暴れをする子や、ぐずる子が多いが、中には、じっと我慢の子どももいる。
そうしたしっかりした子どもでも、動物の本能で、危険を予知している。
 
それでは、親が子連れで診察に来た場合、実際に子供は診察されるわけではない場合、子どもの反応はどうだろうか?診察を受けるのは、親であり、子供自身には危険が及ばないことを、子供自身はどの位、理解できるだろうか?この状況を子供はどのように理解するのか?
 
こうした機会は、子どもの資質と性格を反映するように思う。
 
同じくらいの歳でも、中には、堂々とした風情の子どもがいて、自分に危険が無いのを十分に察知している様子の子どもは、将来のリーダーか?小さなうちから、人は、性格の違いがはっきりでるようで、そうした視点から見ていると、診察室での子どもの様子は興味深い。
 
会社勤めの人であれば、毎年恒例で検診があるが、これは日本では、会社の義務である。その検診の形態のひとつに、検診会社が会社を廻る場合がある。検診会社は、レントゲン車などを用意して、それぞれの企業を廻る。
 
こうした企業検診では、受診者は、身長、体重、視力、聴力、採血などの検診項目を流れ作業的に受ける。
最近は、この企業検診に子連れでくる女性社員を見かける。子どもが小さいと、それぞれの検診項目の場所で、子供が泣くようだ。
 
流れ作業の中には、医師が診察するブースも含まれるが、診察ブースは囲われているので、中の医者には外が見えないのだが、泣く子連れの女性がいれば、まもなく、こちらのブース内に向かってくるのがわかる。
 
先日、泣かない子どもを連れた女性が診察ブース内に入ってきた。固い表情で入ってきた子どもは、中の医者(私)の顔を見ない。しかし、この子が、スーと私の傍に寄って来たのである。私は、近寄って来た子供に、母親からおそわって名前で、声をかけてみたが、子どもは反応しなかった。
 
母親は言った「この子は、愛想が無いんです!」と。
 
私は、子ども頭の中では、今、どうなっているのだろうかと想像した。きっと、不安は一杯だろう。
事態の把握ができなくて、とるべき態度をきめられないのかな?などと、勝手に想像した。
しかし、私の想像は、子どもが次にとった行動で否定された。
 
母親の背部の聴診(聴診器で音を聞く)をするために、母親に振り向いてもらった時、その子供が実にすみやかに、私の傍をはなれて、母親の顔の見える場所へ移動したのである。
その動きは、何のためらいも無く、実にスムーズであり、確固たる様子であった。
 
そうか!この子は、いつでも母親の視野の中に自分を置いているんだと知った。この子は、次にどんな行動をするべきかを予想し、判断している。そのために、気持ちを集中させていたのだ。
子どもにとって、母親から見える場所に子供自身を置いていることが、何よりも大事だから。
 
子供は、こうして気持ちを集中させているのだから、知らないおばさん(私)に反応をしている余裕はない。
 
何か、不安があれば我慢ができず、泣いて泣いて、不安を発散させる他力本願的な子供と比べると、やはり、この子どもは、賢くがまん強いということなのだろう。
 
「だから、お母さん、愛想がないなんで言わないでね。」と、私は心の中でつぶやいた。
この子は、とても、注意深くて賢い子なのだ。
 
前回のブログでは、ネーチャーニュースのDavid Cyranoski記者が書いた英文記事を紹介しました。今回は、もう少し、記事に書かれた内容について、追加して、以下に書きます(青字)。 
 
今回の事件が、理研のしかけた自作自演である可能性があるのですが、そうであるなら、何とも、やりきれない話です。
 
若い研究者に、研究をまかせて、がんばらせて成果を上げた理研CDBが、一転して、チェックばかりの体制になるのでしょうか?

研究者が信用されず、足かせをきせられ、上から監視されるしくみを押し付けられるようです。
少なくとも、David Cyranoski記者はそうした視点で、記事を書いています。
 
研究をしない上司は、新人の上げ足をとるのにエネルギーを使って、それを仕事だと正当化できるという構図でしょうか?
 
上司は、(今は研究のアイデアがでなくとも)自分がいかに優秀であり、厳密に仕事をするのかをひけらかすのでしょうか。
 
そして、駆け出しで、わからないことが山ほどある新人のミスを指摘するのでしょうか。
 
今回の自作自演劇によって、管理体制をガチカチにして、上司の権限を強くするためには、誰か、問題の多い新人研究者をつくりあげる必要があったのだと思います。
 
研究というのは、楽しくないとできない作業と思います。
まあ、こうした研究所からは、魅力ある研究はでないでしょうが、それでも、研究者は、これをバネに、魅力ある研究所に戻してくれることを期待します。

しかし、研究成果がでなければ、ミスを指摘されることもないのです。
 
難しい手術が失敗すれば、その手術をした医者が批判されますが、何もしなければ、患者が死んでも、手術ミスにはなりません。
 
マスコミは、こうした専門家への批判が大好きと思います。
何が難しくて、何が責任を問えない事なのか、当事者を無視して、マスコミは、自らの理論で記事にしてしまうのです。
しかし、今回は、そんなマスコミよりもっと、ひどいのが理研の立ちあげた改革委員会だったと言えます。
 
記事の内容
新聞などのメディアは、週ごとに熱狂的な批判をエスカレートさせて、名誉ある研究所の科学者が粗雑な仕事を実施したようだと書き立てた。
 
テレビも同様であった。ヒロノブフジワラ氏は、研究所の責任者として、神戸の理研(CDB)研究所に異動となった。2014年8月5日のその日に、笹井氏の自殺事件に遭遇したのだが、彼は語った。
「私は、どう考えるべきか混乱したが、笹井氏の自殺は、信じるしかない事実であった。」
彼は、直接に不正にかかわっていないが、センターの多くの他のスタッフと共に攻撃の対象とされた。

一般的には、科学研究で不正が行われた時、責任研究者と、協力者のラボを閉鎖する。
しかし、CDBのケースは、これだけではすまず、広範囲の余震を引き起こした。
問題となった2論文は、多能性の幹細胞を作るための驚くほど簡単な方法を作りだしたとするものだった。これは、体のすべての細胞をつくりだせる高い能力をもつ細胞であった。
 
しかし、この研究が捏造であったとされてから、関係した研究者個人、 CDBセンター全体に非難が集中し 、研究組織が解体される方向へ進んだ。
CDBへの補助金は削減されて、ラボの規模は半減されて、他の組織に組入れられてしまい、リーダーシップは奪われてしまった。
 
官僚や政府は、怒れるメディアを鎮めようと、必死に手をうとうとした。
 
ネーチャーは、神戸センターからの弁明を期待したが、改革委員会の委員は、当事者と話をしようとはしなかった。
改革委員会のリーダーシップをとる岸氏が語るには、「神戸の当事者たちから何かを聞き出そうとしても何も得ることはなく、我々が彼らから学ぶべき事はない。」と言った。
 
改革的に研究体制を推し進めてきた神戸をだめにし、日本の科学の進歩を損なってしまうのではないかと、科学者界に懸念が出てきた。

東京にある国立研究開発法人科学技術振興機構のYuko Ito氏も、結局、科学者の多くが被害者になったと語った。
理研は、1917年に創立以来、物理化学分野において、日本の科学をリードしてきたが、1990年以後は、生物科学研究が中心になってきた。
 
ここの研究者では、大学の研究室とは異なり、学生や大学院生の教育に時間を割かれることがなく、研究費(グラント)をかせいで資金を確保することはしなくてすみ、保障された給料が支払われるという恩恵があるため、研究者にとってのパラダイスになっていた。
 
STAP問題が起きる前から、大学付属の研究所との、理研は仲が良いわけではなかった。
これは、元大阪大学で発達生物学教室から、理研に移ってきたHiroshi Hamada氏の言葉である。
 
理研の研究所の中でも、2000年創立された神戸CDBは、日本の研究所改革を担って登場し、実際に日本の研究施設の改変をしようとしていた。
 
神戸CDBは、従来の大学付属研究室をだめにしていた錆びついた階級制度を廃止した。先生と呼ぶのをやめて、さんつけで呼ぶようにした。笹井や武石氏が責任者として指導の元、20歳代の学位保有者が出てくるようになっていた。
 
2002年に、ネーチャーによる笹井氏へのインタビューにおいて、笹井氏は、若い人に独立した研究施設を提供し、これは日本では従来なかったことと語った。
 
こうした笹井氏らによる神戸CDBの改革は、早速、その成果は出た。
Mitinori Saitou氏は、実験環境で、生殖細胞を操作することが可能になり、目や脳の培養技術へと進んだ。
神戸CDBから、2013年だけで163論文が出たが、そのうちの半分は、Nature、 Science 、Cellであった。
 
そうした基盤の上で、小保方のSTAP研究成果が出た。
STAP発表時、メディアは、小保方氏の割烹着や、壁の色の黄色やピンクに塗られている神戸CDBを書き立てた。彼女は、従来の科学者のイメージを一新した。
 
しかし、論文発表後の数週で、すぐ、科学者のブログで、さまざまな不正が指摘され、4月1日に、理研委員会は、論文取り消しを勧告した。
 
笹井氏や若山氏は、不正にかかわっていないとされたが、管理責任は問われた。
しかし、丹羽氏は無関係とされた。
 
過去15年間に起きた論文不正問題においては、程度の低い調査と反省で収まってきた。
 
例えば、東大生物学のShigeaki Kato氏による研究不正の場合は、2012年から2014年までの論文の数10の論文は取り消されたが、その責任追及は、彼の研究室の処分に留まった。
 
しかし、STAPの場合は、メディアの怒りは収まらず、研究所に押し掛け、NHKは、小保方氏に怪我までさせた。ニュースに加えて、ツイート、ブログによる非難が相次ぎ、不正調査を早急にすべしとの要望が強く高まり、問題の本質がぼけてしまった。
 
STAPを非難する者は、パテント取得も問題があると言いだした。実際には、研究につきもののパテントであるにもかかわらず、パテントは、お金のために不正研究をした証拠になると決めつけた。
 
東北大学の発達生物学のNoriko Osumi氏は、理研の批判者であるが、理研がマスコミの関心を引き過ぎたと批判した。
そして、他の人は、「CDBの科学者たちは、生命科学を、商業化し、お金やマスコミ人気の獲得のため、STAPプロジェクトにおぼれ、その結果、レベルの低い仕事になった。」と言った。
 
小保方氏の仕事に無関係だった神戸CDBの科学者たちも、一緒に汚名を着せられた。
ニュージャージーのプリンストン大学から来た 2013年10月に、Jersey.Yu-Chiun Wang氏も、同様の扱いであったと言う。
 
神経科学者のTakeshi Imai氏も、「我々のラボの同僚も同様に批判され、神戸以外の理研も同様であった」と言う。
 
こうしたメディアの過激な動きで政府も悩まされ、理研は政府にとっては、独立研究組織としての位置づけにあり、その理研での騒動を、政府は終結させなければならないと思った。
 
元理事のMaki Kawai氏は言う。税金を支払っているという声を発するメディアを納得させるには、思いきったリーズナブルな手段が必要だと思った。
 
4月9日、理研は、政府組織に長く君臨する75歳の建築素材学者の岸氏を長とする改革委員会を立ち上げた。
 
6月12日に、岸氏らは、8つの改革案を提出した。研究の基盤の確立や、不正の防止策、STAP論文の徹底調査などから、さらに常識より逸脱した組織解体論に及んだ。
 
当時、CDBにいたIchiro Hiratani氏は、椅子から飛び出すほど、びっくりした!と言う。
岸氏らのレポートは、CDBセンターは、組織そのものが不正であるから、この不正なCDBには不正を防ぐ事は出来ないと指摘した。
改革委員会レポートは、彼ら(CDB)はグルであるからして、お互いを批判的に調べることもできないとも言っている。
 
武市氏は、事件前の3年にわたり、組織改革をしており、国際化を目的として外国人のからデレクターを呼ぼうとしたが、適任者がいなかった。
しかし、武市氏のリーダーシップは、十分に評価されていて、2011年の彼の辞任には反対が起きた。
 
岸レポートは、CDBは管理体制のひどい不備があり、その結果、この事態を招いたとしている。小保方氏を採用する時も、通常のやり方でない独自審査で採用を決定し、山中教授のiPSに対抗できる画期的な結果を出させようとしたからだと言う。
STAPを利用して、笹井氏が大きな予算を狙っていたとした。小保方氏の割烹着も、笹井氏のショー的な演出であるとした。
こうした非難に対して、笹井、武市氏は否定した。
 
2月のネーチャーのインタビューに対しては、岸氏は、報告者には、多くの推量も含まれることを認めた。
しかし、岸氏は、テレビのプレスカンファレンスを聞いた限りにおいては、神戸CDBが問題点を抱えている事は、自信をもって指摘できることだと言った。
 
岸らの改革委員会による勧告は、武市氏を除き、小保方氏、笹井氏などCDBスタッフと議論することなく作成された。岸氏に言わせれば、笹井氏のテレビのプレスカンファレンスを聞いただけで十分だと言う。
 
そして、岸氏の笹井氏に対する言葉は、驚くくらいに厳しいものだった。「私たちが、笹井氏に何かを聞いたとしても、彼は本当のことを話さない。」
 
しかし、この岸氏のコメントは、笹井氏を知っている人たちの持つ印象とは異なっている。
笹井氏は、率直で、心が広く、科学的探究心に溢れている人だというのが、笹井氏を知る人たちの言葉である。
 
改革委員会のメンバー委員である、大阪大学の科学歴史学のMasaki Nakamura氏は、報告書には、推量が含まれているという批判に対して、裁判の場合でも、検察が被告の動機に対して、推定作業はするのだから、同じようなものだと言う。
他の四人の委員たちは、記者の取材にコメントがないか、拒否している。
 
ミシガン大学のNicholas Steneck,氏は、不正調査をする時には、直接に接触して得た事実や情報を基盤にすべきで、推量で作業するのは良くないと言う。
しかし、現実には、科学者は、推量作業は驚く位に良くしてしまうと言う。
歴史や現実の出来事をレポートする時でも、科学的手法ですべきであると言う。
 
岸らの報告書は、外国の科学者から独断的との非難を浴び、150通の手紙がCDBに寄せられたが、日本では、岸らの報告書は無批判に受け入れられた。
 
日本学術会議の見解は無かった。
 
CDBの研究者にとって、がっかりしたことは、研究者仲間の無関心と、それまでの長い間に築かれてきた理研CDBへの反発だった。Hiratani.氏は、「メディアは商売だからしかたないけど、科学者仲間から、サポートがなかったことはショックでした。」と言った。
 
CDBの幹細胞研究者で、笹井の共同研究者であったKeiko Muguruma氏は、ちょうどその時、論文審査ための投稿するところだった。
 
評判が落ちても、その回復はなんとかなると笹井氏は感じていたようだが、CDBの解体や予算の削減により若手研究者が困窮することに対しては、笹井氏の罪の意識と責任感による苦悩が強かった。彼にはなすすべがなかった。
 
岸レポートとマスコミによる攻撃が、笹井氏の自殺と関連していたが、岸、中村氏自身は、自殺の理由はわからないと言った。
 
8月に理研は、岸レポートに沿って、新不正防止法と、統制の強化を打ち出した。
40あった研究室は、9が、他の理研に移り、さらに11の研究室が閉鎖か、統合された。
12月には、理研CDBで行われた再現実験が成功せず、小保方氏が理研を辞めた。
 
今年の4月1日に、Hamada氏は理研のディレクターのポストについてが、予算の40%削減に会い、研究者らは、グラントの獲得に奔走した。
 
2か月前の岸、中村氏へのインタビューでは、CDBに対する攻撃は鎮まっていた。
中村氏は、他の大学や研究所に比べて武市氏のリーダーシップはすばらしかったが、どちらかと言えば進歩的が過ぎたとも言った。
 
岸氏も中村氏も、CDBに対する攻撃は、怒れるマスコミ対策であると言った。
中村氏は、関係者が、STAPトラブルを真剣に受け止めているのだということを、社会にアピールする目的があったと言う。
そして、両氏とも、神戸CDBは新しい名称を得て、リーダーシップを強化させてほしいと言った。
 
岸氏は、新生CDBをめざし、改革はこの目的にかなうと言った。
 
しかし、Hamada氏らは、神戸CDBが、新しい研究者やポスドクにとって魅力ある研究所かどうかには、懸念があると配をしている。笹井氏も丹羽氏もいないからである。

Fujiwara氏は、CDBに残ったものの、彼は5年間にわたり、毛もう細胞外基質の研究プロジェクトをくんでいたが、今後は、毎年、毎年、資金の心配がつきまとうようになり、プロジェクトが実現するかどうかは、難しくなったと言う。
8月より、研究不正に対するチェックやデータ管理が厳しくなり、研究が過度の管理下に置かれるようになり、研究者のストレスが高まるのではないかの不安がでてきている。
これもチェック、あれもチェックの状態となり、貴重な時間が割かれる。

新しいガイドラインでは、不正研究への管理が悪い研究所は、予算がカットされるようになっているのである。
 
 

上記のヤフーブログ、tea*r*akt2さんのサイトに、ネーチャーニュースのDavid Cyranoski記者が書いた英文記事が紹介されています。 
tea*r*akt2さんのブログでも、興味深い記事として、サマリー日本語訳を載せて紹介しています。
 
日本の大手マスコミでは、決して紹介されない内容になっており、岸東大名誉教授を批判しています。
 
実態も無かった専門家のいない改革委員会の独断的決定で、その後の神戸つぶしが現実化した事を、書きたかったようです。
 
この記事によると、今の岸氏は、神戸CDセンターの縮小化は、怒れるマスコミ対策であったと言っているそうです。
恐ろしい事に、実態のないマスコミに責任転嫁をしている発言だと思います。
 
改革委員会のメンバーで、今の時点で、しっかり意見を言うのは、岸氏と、中村氏だけで、岸氏は、工業関係者、中村氏は科学歴史研究者のようです。すなわち生物科学者ではない・・・(涙)。

この記事の中で、写真に写っている改革委員会メンバーであった若い女性委員たちへもDavid Cyranoski記者は、コメントを求めたようですが、彼女たちは自らの意見は拒否していたり、回答できないと言って来たと書かれています。
 
驚くべきことだと思うのですが、この改革委員会は、理研自身がつくったということです。
どういう立場の人を選ぶかは、理研の判断だったのでしょう。
必ずしも、政府からの圧力ではなかったようです。
 
自らの分身を切り刻む事を、理研がしたということです。
その理由は、神戸CDBのやり方に反対する理研関係者が多くいたということのようです。
 
神戸理研は、笹井、武市氏のリードする体制で、若手研究者は、自由に研究の機会を与えられ、多くの業績を出してしまった!からでした。
 
従来、身分や給料が保障されていた理研職員ですが、こうした既得権を持つ理研研究者たちは、研究競争激化を招くような内部の体制は、つぶさなければならなかったのでしょう。
(このブログでも、以前から、理研の職員は見て見ぬふりをしているのではないか?と、書いています。)
 
すなわち、改革委員会のメンバーとして、最初から、STAP捏造疑惑を材料に、神戸批判を強化して、神戸解体を唱えてくれそうな知識人を、理研は選んだようです。
 
神戸以外の理研が、神戸をつぶそうとしていたということのようです。
そうした構図の説明が、はっきり、今回のネーチャーニュースの記事内容となってきます。
 
ひどい改革委員会と、かわいそうな神戸CDBの構図です。
かわいそうな神戸CDBの多くの研究者の声を載せています。すなわち、証人をおいて、STAP騒動を解説しているのです。
 
実名をあげられた研究者が、今後の日本で改革の道を開いてほしいと、David Cyranoski記者は、期待しているのではないでしょうか?
 
しかし、実際に、神戸CDB解体を実行に移すには、政治家や官僚の力が必要です。
今回も、こうした政府関係者からの力が働きました。しかし、政府関係者は、一般的に顔をみせません。
 
又、STAP捏造騒ぎを演出した大手マスコミの上層部の顔も見えません。
実際に、本や雑誌を書いた須田氏らは、今後、記者として大成できないでしょうし、マスコミ上層部は、彼女たちも、いとも簡単に切り捨ててしまうでしょう。
 
マスコミにとっても、STAP捏造論を成功させることが、必須のタスクだったと思います。
マスコミの権威を、人びとに知らしめるためです。たとえ、真実でなくても、マスコミがこれだ!と決めた事に反論する奴は、ただではすまないぞ!と、マスコミの権力をちらつかせます
。これは、政府でも、警察でも、権力あるものしかできない脅しの手段です。
 
David Cyranoski記者は、日本国内に、STAP騒動を冷静に見直す動きが出てくる事を期待して、この記事を書いています。
 
記事の中に、多くの日本人の神戸CDB研究者を登場させています。
 
記事は、ヒロノブフジワラ氏という研究者の紹介から、文章を始めています。彼は、研究所の責任者として、神戸の理研(CDB)研究所に異動となっています。
 
2014年8月5日、その日に、ヒロノブフジワラ氏は、笹井氏の自殺事件に遭遇してしまいます。ヒロノブフジワラ氏は、デレクターとして、抜擢されたものの、着任後は、論文不正問題に巻き込まれ、多くの批判を浴びると言う大変な経験をした人として、記事で紹介されています。
 
小保方の仕事に無関係だった科学者たちも、一緒に汚名を着せられました。
 
次は、元大阪大学で発達生物学教室から、理研に移ってきたHiroshi Hamada氏の言葉を紹介しています。
STAP問題が起きる前から、大学付属の研究所との、理研は仲が良いわけではなかったと。なぜなら、教育研究の義務が重い大学研究室と、理研の研究室の働く環境に違いが大きかったからだと言います。
 
国立研究開発法人科学技術振興機構 のYuko Ito氏も、結局、科学者の多くが被害者になったと語ったとのことです。
 
ニュージャージーのPrinceton University から来た 2013年10月に、Jersey.Yu-Chiun Wang氏も、同様の扱いであったと言っています。
 
神経科学者のTakeshi Imai氏も、ラボの同僚も同様に批判され、神戸以外の理研も同様であったと言っています。
 
実際に、さまざまな経験をした研究者たちがいながら、日本国内では、こうした声を聞く機会がないのです。マスコミが報道しないことや、研究者がしゃべらないことも理由ではないのでしょうか?
 
David Cyranoski記者は、こうした日本の科学界の閉鎖性を指摘し、神戸CDB解体や岸改革委員会への批判が高まって欲しいと願っているのだと思います。
 
David Cyranoski記者は、神戸CDBの研究をずたずたにした改革委員会の責任者が、マスコミからの圧力に負けたなどとコメントしてしまう現状を記事に書き、日本人の猛省を促し、STAP騒動の再考を、日本人がすべきとアドバイスしているのでしょう。
 
日本人は、これに答えなければいけないのではないでしょうか?
 
前回のブログで、誰でも悩まされる症状、症状の原因が多岐にわたる場合は、大規模な新聞広告をしてはいけないと書いた。これこそ、無駄な医療費につながる。
 
昔から、人間は病気を治せなかった。しかし、治せる人が欲しかった。
 
そうした人間の願望が、医者という職種を作った。
医者は、魔術師のようなもので、大昔からいたと思う。
 
そして、人は経験と知恵を何千年も積み重ねて、体に作用する物質も探し、薬とした。
病気になりたくない願望が、医者や薬の対する過剰な期待を作ってきた。
 
時代劇の中で、病人や医者が登場する時のせりふに、
「おいおい、その時代は、そんなこと、わかっていないよ」と、笑えるものがある。
 
動物は、なぜ、尿を作れるのか?は、大変な疑問だったと思うし、人が考えたり、見えたりできるのは、なぜ可能なのか?もわからなかった・・・・。
人の体の働きのすべてが未解決であった。
 
今も、わかっていることは有限であるが、わからないことは無限である。
 
医療訴訟は、医者はわかるはずが、わからなかった!助かるはずが助からなかった!で起きてくる。
 
人は、病気になりたくない、病気になっても、薬で治して欲しい!と、誰もが願う。

患者さんに初めて病名を告げる時、患者さんの言葉の第一声は、「治りますか?」である。
 
切羽詰まった時、人が藁にでもすがってしまう状態になっている時、藁を投げてはいけない。

しかし、ネットは、でたらめな広告に溢れている。
 
なぜ、内服薬で、皮膚のたるみがとれるのか?
説明できていないではないか?こうした嘘を、大企業がしていることが悲しいことだ。
 
こうした物品が、ネット販売に限られているのは、いざ、摘発された時には、メーカーにとってネット販売は、都合のよい言いわけの効く販売形態なのだと思う。
 
ネット販売は、買う本人の意志がとても強いと判断されるからなのか?本人が、自らその気になって買ったのだから、すべて自己責任とみなすとすることが、慣例になっているようだ。
多分、ネット情報は、商法などの法的しばりが、未解決な部分なのではないか?
 
大規模な新聞広告で、新規で高価な薬を売るための啓発がされている現状は、問題が多い。

この弊害を避けるには、薬は副作用以外は、広告内容にできない!とか、そこまでの判断が必要なのだと思う。
 
副作用が広報されれば、効果も付いてくるから、情報提供の目的はかなう。 それこそ、新薬の理解につながるのではないだろうか?
 
広告は、一般人に医師への受診行動を起こさせ、処方を希望させる。

新聞広告につられて診療を受けにきた人は言う。
「この間の新聞広告に載っていた症状は、私の症状とぴったりだから、広告にのっていた薬をつかってみたい。」と、医師に話す。
 
その薬を処方するかは、医師の判断次第だが、医師の判断は、ピンキリである。

まだ見ぬ副作用を予想して、くわしく注意をしてくれるドクターもいれば、使いなれない分野の薬でも、経験が無くても、平気で処方してしまうドクターもいる。
 
たとえば、アナフィラキシーの時の、エピペン処方のように、医師が、アナフィラキシーの知識や経験もなく、エピペンの指導もできずとも処方は可能だ。
 
医師は、「それっぽい時に打ってください。解説書をよく読んでおいてください」とだけ言って、エピペンを処方してしまう。
 
外国のケースだが、エピペンを打とうとした人が、間違った部位を刺してしまい、指の切断などの事故が起きていることは、医者は知らない。
 
子どもの場合、学校へ持っていき、学校の先生に打ってもらえます。
などの説明するドクターもいるようだ。

学校はと言えば、理解が十分でない教育委員会あたりから、「職員はうてるようにしておきないさい!」などと言われてしまう。
 
普段から練習していれば、先生でも、的確にうてるようになるなどと言う無責任なドクターもいる。
いづれも、その状況を予想できないから、その難しさが想定できないのである。
 
一般人が、的確な時点でエピペンを打つには、救急救命室で、何カ月か、死にそうな人を相手に研修しなければ、的確な判断などは習得できないと思う。
 
問題ある医者であるように見えても、医者の評価は一筋縄ではない。
ある面では、駄目そうな医者でも、他の分野では、極めて優秀な判断ができる場合もある。
 
それぞれの医者の得意分野は異なるし、難しい判断を常にせまられて、答えをミスすることもあるのだ。
 
一般人の患者が、診療を受けた時、目の前のドクターについて、このドクターは駄目だ!と感じるのは、どんな時であろうか?
 
患者にとって、常識であった医学知識を、医者が持っていない時とか、説明が納得できない時とかが、医師不信が起きる時と思われる。
 
どうゆう時に、医師は患者から信用を失ってしまうのだろうか?
この疑問は、興味深く、このギャプを埋めることが、患者・医者の双方にとって、大事なことではないかと思う。

先日、母親と子ども二人(1人は乳児)の家族三人が気管支炎にかかり、三人とも、かなりのひどい咳をして受信した。
 
子どもは目の前で咳こみ、私は百日咳の可能性も視野において良いのでは?と、母親に話した。その時に返ってきた母親の言葉が興味深かった。
 
母親は、「実は、○○クリニックで、リン酸コデインを処方されましたが、気づかずに、1回飲ませてしまいました。」と、とんでもないことをしてしまったという風に語った。
 
母親も、新聞記事などの情報から、私たち母子の病気は百日咳かも?と想像したのだろう。
 
「おかあさん、百日咳をネット検索したら、リン酸コデインがだめって書いてあったの?」
と私が聞いたところ、
母親は、「そうです。でも、一回、飲ませてしまいました。」。と、言う。
 
こうした後、母親は、もう、○○クリニックには行かないだろうと思う。
母親なりの価値観で、あそこの先生はだめ!とか、医師の位置付けが決まってくるようだ。
 
軽い時は、○○先生、こじれてきたら、△△先生に行く、などの、医師の腕の順番なども、患者側にはあるようだ。
 
しかし、見切りをつけたドクターが、本当にだめなドクターかどうかは、結構、難しい判断だ。
 
患者側が、ドクターの資質の見分け方の的をはずしてしまったら、元も子もなく残念なことだ。
 
前回のブログでは、整体士は詐欺師というような書きぶりをしてしまったが、これは整体士に限っての話では無い。
 
病気にかかわる職種のすべてに言えることで、「私は治せる人!」という広告は、信用して欲しくない。
そうしたことをいう医療人は、危ないと思って欲しい。
 
医療にかかわる人である限り、どの職種でも大風呂敷はいけないことだ。
テレビドラマの大門女医のように、「私は、絶対にオペをミスしない」とは、宣言できないのだ。
もちろん、”絶対、大丈夫は無い!”は、ほとんどの人でわかっている。
しかし、体や心が弱っている時には、藁にすがる思いになる。
もちろん、藁を投げる職種の中で、一番に非難される職種は医師である。
 
ひとりひとり、病気の条件と、術野(手術する体内の条件)の様子は異なり、現実のオペは、終わってみないと、結果は出てこない。
 
日本では、従来より、病院でも医院でも、「治せます」広告は禁じられている。
 
しかし、ネット広告で、「治せます」広告が解禁になってしまった今は、規制はあっても機能していない状態だ。
 
さらにこうした大風呂敷に拍車をかけているのは、医師の処方する薬について,、一般向け広告が許可されたことだ。こうした薬の過大広告は、ますます増えてきている。
 
広告に登場するのは、名前が知られた医師であるが、医師にとっても自らの名声につながるため、新聞に出る誘惑には負けるようだ。
 
メーカーは、潤沢な予算を使って、新聞一面に薬が病気を治せるかのように、広告を打つ。

先日の広告のタイトルは、「痛みを我慢せず、早めに相談」というキャッチコピーだ。
キャッチコピーは、メーカーが勝手に付け加えることができる。
医師が話した内容と一致していなくとも、キャッチコピーを書きこむことができるのだ。
これが、メーカーの狙いである。

この広告での医師の説明によると、怪我や炎症による痛みと、神経刺激による痛みの二種類があると解説されている。そして、その二種類の割合は、人により違うと言っている。
 
この解説を読みと、個々の人での痛みの実情は、結局、わからない!と言っているに過ぎないのだが、一般的には、どう伝わるのだろう?
 
痛みの原因を検索して、それにあった薬を出します、などと新聞広告にあるが、この説明は、今ひとつ納得できない。
症状に合った薬があれば、処方してみて効果を見ます。効果がなければ止めます!と言うのが真意である。
 
しかし、薬の効果がはっきりせず、もう少し、もう少しとやっている人は、少なくない。その間に、薬は売れるので、効果が無くてもかまわないのである。
 
効く薬は、副作用もでて責任追求も強いので、メーカーは、効かない薬を暗示効果で、売ろうとする。
 
効果の強い最新の薬では、副作用責任もでてくるので、販売メーカーの覚悟が違う。
副作用情報は、メーカーから、熱心に医師に伝える義務がある。
医師も独自に学んで、メーカーと議論する。これが、本来の薬のあり方である。
 
新聞広告は、こうしたルールを無視している。
薬の効果だけを強調する 新聞広告を流して、一般人をその気にしてはいけないことなのだ。
 
では、なぜ、こうした割に合わないはずの広告が出回るのか?
それは、新薬を理解せずとも、患者さんが希望すれば、処方する医師がいるからである。
医師のレベルは問えないものだ。
 
こうした痛みのような訴えはあまりに広範なので、新聞広告をしてはいけないのだ。
患者さんの誤解をさそおうとする、メーカーのずるさが見透かせる。
 
確かに、病気の種類によっては、治療や手術で治まる痛みの場合があるが、そうした場合は、ごく一部である。
 
それ以外の痛みは、各個人の身体条件が個別に異なり、病気もそれぞれに違いうため、痛みという範疇でまとめて解説をするのは無理だろうと思う。
 
一面の新聞広告のめざすものは、医師の処方がなくては使えない薬、それも新しく高価な薬を売るためのものである。
 
それを、一般広告で出すのは、とても矛盾したことなのだと思う。
医師は、「あなたの場合は、このタイプの薬は合わない」と、しゃべるだけで、診療費が取れる。
 
この新聞広告は、原因解明も、治す事も、現在の医学のレベルでは不可能であると断言しているようなものだ。
痛みは、体の修復の大事な要素であるからである。壊れていく動物の体は、修復が必要である。しかし、この修復は、所詮、間に合わせの修復にすぎない。
 
個人の痛みの原因は良く変わらないことが多く、痛みは治せない!と言っているのだが、そう読み取ってほしい。
つまり、キャッチコピーとは異なる内容で、医師は話しているのだ。
 
新聞広告の後半は、痛みのある人は、主治医とよく相談して、治療のゴールを決めるとよいと言っている。
治療のゴールとは、個人で違うので、音楽を聞くゆとりができるまでとか、すっきり朝まで眠れるまでとか、だそうだ。
これは、どこかで痛みをあきらめなさい!と言っている響きだ。
 
実は、痛みの解説には、「痛みは、心配ないですよ!」とのニュアンスを伝えることが、とても大事なのだと思う。
早期に治療すると治りますよ、長引くと治りが悪くなりますよ、とか、こうした解説が、一番良くない。
 
痛みは、体の修復の働きであると考えて、痛みを消さなければならないとあせらないこと、不安におもわないことが大事だろうと伝えたい。

加齢が進めば、骨がつぶれたり、体が壊れてくるのだから、ささえる構造を維持するために、有る程度に、体を動かす事が必要である。
しかし、動かせば痛みが出るので、そこを不安に思わないようにアドバイスをするのがよさそうだ。
 
そして、痛みで眠れない日があっても、毎日でなければ大丈夫であり、好きな事を楽しみましょうと、言うところだろう。
 
日常生活で、体に負担をかけて続けている事があれば、姿勢やくせなども含めて、態勢を考えてみることも大事だ。
 
新聞広告の最後のまとめの文章は、周りの人は、痛みのある人に共感を持って接すると良いとのことである。
 
痛みは、一種の自己主張であることがある。つらいことから逃げるために、体の痛みを訴えるのは、弱い立場を象徴している。
 
神経や、炎症が無くても、メンタルトラブルで、人は痛みを感じてしまう。
痛みを訴えることで、意識せずとも、苦しい状態から逃れられることがある。
本人にとっては、仮病ではなく、本当に体は痛くなるのだと思う。
メンタルに追い詰められると、痛みに耐えられなくなる。
 
痛みは他人と分かち合うことができない、他人から探られないので、自己主張の大事なポイントなのだ。
「私が私の体の事を言っているのだから、確かでしょ!」
 
こうした訴えは、女性に多い。
思いやりのないワンマン亭主から、「飯がまずい!」「俺が食わせている!」のような暴言により、妻は、体の症状を訴えるしか手段がない。
こうした状況の女性では、夫のやさしい言葉だけで、痛みは軽快しそうである。
今の時代は、男女が逆の状況もあるかもしれない。

テレビでも、有名女優をつかって、過敏性膀胱(要するにトイレが近い)の薬を宣伝している。
こうした広告に特徴的で、かつ、最も罪作りなのは、薬で治療した方が良いに留まらず、薬で治療しなければいけない、放置するとさらに悪くなる、と脅すタイプの広告である。
 
薬を使うことが、あたなのために100%良いという、印象を与えようとしている。
こうした言い方を、もう少しプロっぽく、改善してほしい。
厚労省が本気で、医療費を抑えたいなら、副作用広告を勧めることが、効率的である。
薬の弱点を書くことは、科学的との印象を与え、薬のとってのマイナスではない。
 
薬は、効果のあるものはすべて、副作用との天秤であることは、肝に銘じたい。
 
いろいろな場所へ企業検診に行くと、そこで、働く人のいろいろな環境を見ることができ、それは、私にとっても勉強だ。


この競争の世の中を反映しているのだろうが、長い時間、働いている人が多い。
特に、ネットをつかった業種に、遅くまで働く人の多い印象がある。この業界は、競争が激しく、常に今を追う必要にせまられるからか?


長い時間、ネットにはりついて、画面を見続けていなければならないため、肩がこる、目の奥が痛い、頭痛などの訴えが多い。目の前で、肩がこって大変なんです! と言う姿勢は、肩にとても力が入っていたり、首に負担をかける姿勢をとっている。


問診票などにも、そうした自覚症の項目があるが、受診者は、こうしたことを必ずしも書かない。受診者にとって、公に書き込みたくはないのだろうと思う。
多分、人に知られず治したいとおもうのだろう。

それで、企業検診の際、受診者から、整体が良いか?という質問を受けることがある。
私の答えは、気持ち良くてリラックスできれば、良いでしょうと答えることにしている。 
人は、楽しい思い、楽だと感じるひと時を持つことは、とても大事なことだ。


しかし、私自身は、整体治療をしたことが無いし、体にさわられるのはいやだ。
なによりも、整体士の看板や書き込みを読むとわかるように、整体士は、医学的な事実ではない御都合主義の言葉を言う。


でたらめな健康指導やサプリなどを勧める整体士もいる。うつが治すとする拡大治療効果も目にあまる。

結局、整体治療というのも、かなりの暗示効果を狙っているのではないと思う。良い評判を演出することで、人を暗示に誘う。
暗示を信じることの無い人は、整体治療へ行くより、ゆっくりとお風呂につかる、温めて血流を増やすと疲労物質が分解する。


整体に言って、楽になるならそれも良いのだが、そこで、間違った事を吹き込まれないで欲しいと思う。
整体士の手技は、独り歩きをしている。学校検診の場で、せっかく、軽微な側わんをみつけても、行く先が整体者であっては、もともこもない。

成長期の人の側わんがどのような経過をとっていくのかについては、経過を見ることが大事だ。成長期が終わるまで、経過を追って観察をしなければならない。

成長期が終われば、側わんの治療は、不可能になる。
こうした判断は、経験の多い医師でないとできないだろう。
今の状態の背骨でなく、今後の進展状況で判断するのだ。もんだりするのは邪道である。
マッサージなどでは、治療効果が期待できるものではない。0脚や、x脚などもしかりである。


高齢者であれば、整体が本当にその人の役に立っているかどうかは、もっと複雑だ。
骨盤を矯正しましょう、背骨を矯正しましょうとする整体者の言葉は、医学とは別者だ。

学校検診で、側わんを見逃したなどと、親とトラブルになることがあるというが、発見された学童の側わんが、どう管理されているかを、学校の先生たちも、スキルを身につけてほしいと思う。
早期発見、早期治療とは、別の考え方である。


検診時には、体の痛みを訴える受信者が多いが、体が痛い時、薬でごまかすは良くないよ!とも言う。
薬は、筋肉が反応して痛み物質を出して、修復しようとする(炎症が起きる)ところで、強引に炎症物質を抑えるから、筋肉は治すためのきっかけを失ってしまうヨと説明する。
多くの若い人は、それで納得する。


こうしたことを、高齢者に言っても、理解は今一つだ。貼り薬をはると楽になると言う。
その貼り薬が危ないと言いたいところだが、相手の理解度を考えると、言うのを躊躇せざるを得ない。


痛いということは、体への負担になり、体を鍛えたり、リハビリの時には、やむをえないが、望ましくは無い。
体への影響は、短期的な効果と、長期的な効果は、違う。
しかし、整体治療で痛い思いをしたら、それは良くない事が多い


こうした体への負担は、薬も同様である。良薬は口に苦しという言葉があるが、苦いということは、体が反応している証拠であり、それが本当に体に良いかは別物である。

テレビや新聞の薬の広告や、漢方の説明は、ご都合主義である。


漢方薬で、症状が出たりすると、毒を出すために必要な現象だ!などとの説明があるが、これはとんでもない間違いである。

確かに、最初に薬に反応しても、それを飲み続けると症状がとれることがある。これは、毒がでて薬が効くようになったからではなく、体が調節をしたのである。
薬剤への調節の機序は、必ずしも解明されてはいないが、薬を感じ取る部分が、変化していくことが考えられる。薬を分解する能力が変化したりすることも考えられる。


しかし、体は、薬の調節し続けてくれるわけでは無い。
調整が狂った時には、薬の副作用が重症化し、時には死にいたるような副作用になることがある。基本的に、その薬がどうしても必要なモノ以外は、その薬は止めた方が良い。


先日、漢方薬局の看板で、漢方薬は、体にとって異物なので、それを排除しようと、免疫反応が高まるのです、と書かれていた。

漢方薬は毒であると言っているのであるが、漢方薬は効かないということへの反論かもしれない。

しかし、この説明はやはり、危険をはらむものだ。もし、毒が効き過ぎたら、困るのではないか・・・との質問を浴びたら、どう答えるのかな?である。

まあ、そうした時には、漢方薬お得意のご都合主義で、
「いや、毒というまでには至りません。体を活性化させて、異物の排除だけに効果があるのです。」
とかの説明になるのかもしれないが・・・。


副作用が多くても、治療のためには薬を続けなければならないことがある。
こうした薬のひとつに、エイズの薬がある。細胞内に感染したエイズウイルスを殺すためのエイズ治療薬であるが、細胞へ作用するだけあって、肝機能障害や、皮膚の発疹などの頻度が高い。


しかし、それが重症化しなければ、エイズ薬を継続する。エイズ薬とは、細胞にとって毒性があるため、体も反応するのだが、調整がうまくできるようになれば、副作用が悪化せず、治療効果が期待できるようになる。


整体も薬も、体とのかかわり合いで、その評価は変化する。


体がどう感じ、体にあっているのかは、他人のアドバイスより、個人レベルで、効果効能を自覚できるかどうかをスキルアップするのが、最後まで重要だ。
テレビ朝日の報道番組で、ネット検索順位の男女別データが示されていた。
 
従来のテレビ番組においても、人気度の高いニュース番組をランキング形式で発表することはあったが、男女別解析というのは新志向だと思う。
 
今週の調査結果は、女性の検索上位は、芸能ニュースが上位を占めることが多く、男性は政治問題が上位であった。若い女性アナウンサーは、女性は芸能ニュースが多く、男性は政治です、とか淡々と躊躇ない言い方をした。
 
もし、視聴者が女性なら、自らの興味が芸能中心と言われたらうれしくないのだが、この若い女性アナウンサーは、女性心理に気づかないようだ。
 
この男女別発表は、実際のところ、男性から「女はこれだからだめなんだ!」と、攻撃される材料を提供しているようなものだが、この男女別発表はいつまでやるのだろうか?毎週、女性は、芸能中心の傾向が続けば、女性にとって、不名誉なことだ。
 
しかし、残念ではあるが、正直、女性にとって政治は遠いのだ。
 
政治とはかけひきであり、かけひきは、男性志向のものだからである。しかし、国民である以上、女性は興味を持たなければいけないという意識はある。
 
本来、政治のめざす理想は、人間共通のものであるとは思うが、理想を追求するまでの過程や手段で、男性特有のかけひきで政治は成り立っているのだと思う。
特に、日本では、その傾向が大きい。
 
日本の多くの政治家は男性であり、政治家の言葉は、男性的権力抗争の臭いに満ちている。
しかし、政治で決まったことに、国民は従わなければならないわけで、国民が政治に興味が無いというのはまずい!
 
芸能ニュースは、最も、マスコミが操作しやすい分野であろう。マスコミは、おもしろおかしく、芸能人を書きたてて、視聴率を上げようともくろむ。
 
芸能ニュースは、結局、後味の悪い場合が多い。
人気タレントを持ち上げる番組は多いが、マスコミは、ほめた最後に、そのタレントを突き落とすことをしようとする。それは、マスコミにとって、効率のよい視聴率かせぎとなる。
落とすためにほめるという段階を踏んでいくようである。
 
さて、男女の志向の違いは大きいもので、乳幼児であっても、男児は動く物を追い、女児は動かなくてもきれいなもの傾向がある。男性が動く物を追うのは、本能的に動く物を追いながら、追いかける自分自身の能力を高め、トレーニングの成果を確かめているだと思う。
 
しかし、現実には、多くの人の能力は限られている。その結果、男性が陥りやすいのは、駄目な自分を自覚して落ち込むことだ。
このギャップは、男性特有の犯罪を呼び起こすようだ。
 
今日のテレビニュースでも、大麻を自宅のマンションで栽培していた40歳の男性の談話が紹介されていた。
男性は、「僕は大麻が好きだ。僕は結婚をしていない。男が40歳になって就職しようとしても、職がない。楽しめるのは大麻位だ」と、コメントしている。
 
男性は、自らの持ち物が少ないと感じる時、こうした投げやりな気持ちになり、犯罪的で自己主張的な境地に陥ってしまうようだ。
 
世界を震撼させてきたイスラム国のテロ事件や、先日の、ジャーマンエアの副操縦士の異常行動なども、犯人は、このままでは小さな存在で終わるのに耐えられない!、大きな事をしたいとの強迫感がある。
犯人の価値観による正義を、世の中に知らしめたいための行動だろう。
 
しばらく前には、オウム事件のサリン製造事件があった。
犯人にとって、サリンを作る事は、自らの才能を試す事でもあり、世の中を強く突き動かすものを作ってやるとの欲望だろう。
 
いづれも、犯行の裏には、自らの能力を最大限発揮したい、大きな成果を上げたいとする男性志向が見え隠れする。
 
動物が群れをなせば、そこにボスが必要になる。ボスは賢く、体も大きくなければならない。
ボスになるために、オスは戦う。
そうした生存のための生き残りのなごりが、現代男性においても特有の行動パターンとなるのかもしれない。
 
人間も、男性はボスをめざす。一国一城の主になるべく、努力する。
自分の家来や所有物を増やしたい。
そうした天下取りの過程で敗れ、自らの能力の限界を感じて望みが消える時、男性は事件を起こす。
 
最近、似た事件では、今回の首相官邸へのドローン飛ばし事件が起きた。
幸い、怪我人とか、事故にはならずに見逃され、むしろ、数日間、ドローンが放置されたことが問題になっている。今回のドローン飛ばしでも、強い自己主張的な行動である。

テロリストは、世の正義のためという大義名分で、殺人を正当化させる行動だろうし、愉快犯は、世の中に知られずに、いたずらを楽しむ行為だ。
いづれも、こうした行動をすることで、自らの存在感を強く感じることができる。
 
今回のドローン犯人も、いつばれるか?ばれたらどうなるのか?ドローンを飛ばした結果におきる騒動について、毎日、激しく葛藤したと言っている。
 
こうしたせっぱつまった経験は、やみつきになる危険をはらむ。せっぱつまった時、人は強くメンタルを集中させるからであり、激しく葛藤する状態にのめりこんでしまう。
追い詰められている時の恍惚感のとりこになってしまうのだろう。
 
今回のドローン犯人は、自らのブログに自分の無能が悲しい、総理官邸の警備の薄さが悲しいと、つづっているとのことである。こんな国ではいけない!国を変えなければいけない!との主張だ。
 
しかし、ドローン飛ばしのモチベーションは、犯人にとって正義の行動のつもりでも、他人からみると、自己主張と感じてしまう。
 
テレビに写った実際の犯人の容貌も、精悍でやせていて、憂国の士という感じであり、強い意志を持っていそうである。
 
しかし、男性特有の強い意志というのは、世の中をつくってきた力であることは確かであるし、女性も、男性のこの意志に依存してきた。
 
時代が進んでも、男性心理の理解には、かかせない核のような部分だろう。
 
ノーベル物理学賞受賞者の益川教授が10日、同大学で5年ぶりに授業を行った。益川教授は、「理化学研究所は、論文が予算獲得に使えると思い、・・・・宣伝した。それが間違い。だから、変なことが起こった」と理研を批判した。「(STAP問題も)放っておけば自然淘汰されたのに、理研は元研究員がやったことを使えると考えた。政治的に利用しようとした」と述べた。
 
前回、この文章を紹介したが、この文章の大事なのは、“理研は元研究員がやったことを使えると考えた。政治的に利用しようとした”との部分です。

STAP発表直後から、理研職員がES捏造騒動を起こし、その結果、論文は撤回され、小保方氏は精神的に追い詰められました。
小保方氏は、科学者として否定され、STAPは捏造であると流布され、論文発表をした神戸理研CDBは縮小させられました。
 
神戸CDBの運営費の予算が、約45%減にされたそうです。
つまり、STAPを無きものにすれば、神戸CDBはつぶせるストリーがあり、それが実現したということでしょう。
 
このブログでは、小保方氏の捏造を裏付けるデータは無い!と言っています。
 
若山研究所は、ESを作ってきた研究室です。
そこで飼われたマウスを使い、その研究所のマウスの遺伝子は、入り混じっていることが、調査委員会が明らかにしました。
過去に誰かにマウスの血統を操作された可能性だってあります(私見)。
 
使用したマウスが、ゲージラベルされたマウスとは違ってしまっていた事が判明していても、いまだに、STAPは、ESが混じってできた!という結論のままで、小保方氏は悪質な操作をした人になっているのです。
 
今回は、使われたマウスの遺伝子は調べられていないし、親マウスの遺伝子を誰も確認していないのです。ここは、とても大事なポイントなんですよ。
 
以前のブログで、一般論として、先進的な研究室は、成果を競う研究員の確執や競争により、クモの巣城のような環境になる可能性があると言いました。
 
ですから、調査委員会は、矛盾する結果が出たら、使用マウスにまず、目を向けるべきです。しかし、調査委員会は、論文記載に従って審査するだけと逃げてしまい、一番大事な可能性をスル―しました。
 
論文に記載された通りの親マウスや子マウスは使われておらず、現実は、ES作成時の親マウスが使われてしまったため、極めてES細胞に近い遺伝子をもったSTAP細胞ができた可能性があるのです。
 
この大事なポイントを、調査委員会は、素人に向けて公表すべきなのです。
 
しかし、この場合は、STAPが実際にできていないといけません。だから、STAPはできては困る、神戸が伸びるのは困るとする立場の人間たちでは、親マウスのすり替え説は、採用できないのです。
 
結局、調査委員会は、実施が困難な混入説を採用しました。
調査委員会は、1人勝ちの神戸CDBの勢いを止めたいということだったと思います。これが、益川教授の言う政治的利用です。
 
小保方氏は、まだ30歳の若手研究者です。その彼女に、研究人として完璧なノウハウを要求し、それが満たされていないとこきおろしたのです。
 
調査委員会は捏造とはいいませんでしたが、報告書の書き方は、小保方氏が、STAPそのものを捏造したとの誤解を与える書きっぷりです。
 
報告書の文章を良く読んでいくと、ESにすりかわっている!、ESにすりかわっている!と、しつこく記載されており、それが、私のように素直でない者にとっては、書き方がおかしい!①となるのです。
 
性善説に立つのが常識の論文世界では、実験者ができたと言っているのなら、STAPはできているのです。遺伝子がどうであろうと、できていく経過を複数の人たちが観察しているのだから、STAPはできているでしょう。
 
残存検体も残っているし、その遺伝子の型も、幹細胞と一致しており、テラトーマ、キメラの遺伝子型も、一貫しています。この遺伝子の一貫性が何より、STAPができていたとする証拠です。
 
調査委員会は、STAP細胞の作成時に使われたマウスの遺伝子型が調べられていない事に、全く言及していません。
素人が読んだら、気がつかないようにしているのです。
ここもとても不自然です。先ほどに加えるに、ここがおかしい!②となるのです。
 
仮に小保方氏が、ESを盗んで持っているとしたら、数回にわたる実験のたびに、冷凍保存のESを解凍して培養しなければなりません。必ず、同じ1本の凍結検体を毎回使わなければいけません。凍結検体には遺伝子情報はありませんので、他の検体を使ったら、結果が合わなくなってしまうのです。
 
中身の実態の不明なES細胞を、何度も解凍、凍結をくりかえさないといけません。混入となると、どの時点で混ぜれば良いのでしょうか?混ざるのでしょうか?

こうした現実に可能か?については、調査委員会は全く触れていません。
先ほどに加えるに、ここがおかしい!③となるのです。
 
益川教授は、遠藤氏が早くからトリソミー説や、ESすり替え説を主張してきた事に言及し、遠藤氏を利用できると考えた人が理研にいると言っています。
STAPをつぶせば、神戸もつぶせるのです。
 
STAP捏造説を根拠に“STAPは無い事にする大連合”ができました。
大連合には、理研本部、マスコミ、政界が参加しました。
益川教授は、神戸CDBがつぶされていく経過を見ながら、STAPが政治的に利用されたな!と、感じたのでしょう。
 
今回の益川教授は、名誉棄損の被害者である小保方氏にとっては、ありがたい証言になるのではないでしょうか?
 
と、私は感じたのですが、他の方のブログを見ると、必ずしもそうした読み方はしていないようです。
すなわち、小保方氏にとって有利な証言という見かたはせず、あいかわらず、捏造説を採用しています。
 
そうしたブログを書く方の頭の中には、STAPは、捏造でない?との視点が無いようです。
 
(ちなみに、ここで言及している、STAP捏造の意味を説明しますと、ESを使って実験し、STAP現象でキメラやテラトーマができたと、でっちあげる事を意味しています。単なる画像の入れ替えではありません。
 
この問題は、本当に、多くの人が興味を失わず、政策がらみの陰謀かどうかを、ウオッチすべき問題ではないでしょうか?
“STAP捏造は捏造された”という視点で、検証を続けて欲しいものです。
 
今後、STAPが見直されるためのきっかけとなる展開には、以下があります。
世界の他の研究所から、新たな研究成果がでる?
他の国で、万能作成のベンチャーが立ち上がる?
どこかで、再現実験が成功する?
 
こうした今後の展開次第で、STAPの真価が問われることになると思います。
真価が証明された際には、捏造説は、神戸CDBをつぶすために、政治的な陰謀であったことが、誰にもわかるでしょう。

 

① iPS細胞をつくった山中伸弥教授ら、生物学の分野で世界トップクラスの教授陣が登壇する京都大学全学部共通講座「生物学のフロンティア」が9日始まった。会場には、受講を希望する学生たちが殺到し、立ち見が出るほど人気を集めた。

 ノーベル物理学賞受賞者の益川教授が10日、同大学で5年ぶりに授業を行った。益川教授は、「理化学研究所は、論文が予算獲得に使えると思い、・・・・宣伝した。それが間違い。だから、変なことが起こった」と理研を批判した。「(STAP問題も)放っておけば自然淘汰されたのに、理研は元研究員がやったことを使えると考えた。政治的に利用しようとした」と述べた。
 
この新聞記事は、生物学の話題を扱いながら、科学の異なる可能性の方向を示したものだ。
STAP騒動は、今後の科学はいかにあるべきか?を考える課題を提供した。
 
最初の①の記事は、“科学は皆のものであるべき”を示唆した。山中フィーバーで、京都大学に優秀な学生が集まるようにもなるだろし、先駆的な業績のでる素地が作られる。
 
一方、後者の②の記事は、“科学を皆のものにしようとすると、トラブルが起きる”を示唆した言葉だ。
 
どちらも正論であり、科学の向かう方向の決定は、一筋縄でない事を思わせる。
 
笹井氏は、科学を皆のものにしようと努力した。これから学ぶ大学生や、大学をめざす小中学生のためであり、科学基盤の広がりをめざそうとしていた。
 
そして、笹井氏の目先の目的は、神戸CDBが注目を集めて国家予算を集め、若い研究者の登竜門としたいとのもくろみであった。
 
笹井氏は、そのために多くの人にフレンドリーに付き合い、かつ科学者としての存在感を示し、周りを巻き込んだ。若い駆け出し記者である須田記者とも、信頼関係を築いていたようだ。
 
しかし、悲しいかな!笹井時の努力が効果をあげすぎた。
 
安倍総理が、笹井氏、山中氏と一緒に顕微鏡をのぞく写真などが、世間に出まわってはいけないのだ。
 
若いかわいい小保方氏が、日本中の人気者になってはいけないのだ。
こうしたウキウキ行動は、大衆の人気を集める一方で、うるさい人々の反発を招く。

マスコミも、一旦上げた人を、その後に突き落とすことが好きだ。人々が、その構図に興味を示すからである。
 
STAPフィーバーは、科学界の既得権を持つ人たちに、神戸CDBに対する対抗意識、嫉妬心を燃え上がらせてしまった。
 
国が主宰する科学プロジェクトの方向性を決める会議の席上では、どこの大学、あるいは、どこの研究所を支援し、予算を廻すか?の議論が行われる。
こうした会議では、研究者間で、激しい攻防があるだろう。国の支援や予算を得ようと、大学人たちの間で、仁義なき戦いがあるだろう。
 
そうした学閥抗争の中で、成果がめだってきた神戸CDBの独走を止めてやろうと、もくろむ学者は、数をましていったと思う。神戸の一人勝ちは、許さないぞ!としたところだ。
 
今から思えば、こうした時期のSTAP発表は、カモネギ的イベントだったのだと思う。
 
理研の実直な研究者集団から見れば、リッチな雰囲気の小保方氏は、異質だ。
彼女は、STAP研究中から、周りから細かな嫌がらせを受けていたと思う。
小保方氏は、発表後、ある程度、その後のいやがらせを予期したとは思うが、予想を超えていて、彼女自身が再起不能に陥ったようだ。
 
若山氏の変心も残念なのだが、彼のインタビューを聞いていると、
「僕は、彼女(小保方氏)をずい分とかばってきだけど、STAPがあると思うなら、彼女自身で、証明していかなければいけない」と言っている。
 
これは、多くの小保方擁護派も、希望している。
 
これは正論なのだけど・・・。しかし、私が、言い訳をさせてもらえるなら、いざという時、女性は体力で負けてしまうことを理解してほしい。
 
言われなき非難がつらい、苦しい心に耐えきれない、不安がつのる、くやしさ悲しさがこみあげて眠れない、頭が空だ、などなど、逆境にある人が立ち直るには、やはり体力なのだろうと思う。
 
くやしくても、悲しくても、食欲は落ちない。泣きながらでも、食事はとる。夜は眠る。そうした復活のための能力の発揮は、体力がささえている。
 
しかし、女性は、こうした基礎の体力が足らないので、悲しくてつらくて、そちらにエネルギーが消耗する時、新たなエネルギー産生が追い付かず、がんばれないのだと思う。

笹井氏から直接情報を得られる立場にあった須田記者は、その特ダネを、笹井氏のために使わず、正反対の方向に向け、STAPバッシングに利用した。
 
須田記者の変身ぶりは、STAP関連の科学を手とり足とり、教えてくれた遠藤氏の影響が強かったからなのか?あるいは、毎日新聞の上層部から言われたのか、知る由はない。
 
しかし、彼女の本の表紙に、笹井、小保方、若山氏の写真をのせるなんて、あまりに残酷だ。
しかし、彼女も女性であり、今後は、相当に厳しい状況におかれるのではないか?
彼女も体力を消耗しそうである。
 
マスコミ、科学界、政界の多方面から攻撃され、神戸CDBは、でたらめなニセ科学を発信する忌むべき場所と非難されて、政治家も同調し、組織自体を縮小させられてしまった。
反神戸CDB派は、勝利した!と言える。
 
しかし、
「これが、社会の上層部の人間や、知識人がやることなのか!今後は、要注意の人たちだ!」
と、一般人に思わせてしまった。
 
益川教授の指摘した通り、マイナスの効果はある。
しかし、科学を一般化して、世間の評判を集め、政治家に影響力を及ぼして、予算を獲得するやり方は、民主的なのである。
 
この科学の民主化の方向は、変えられないと思う。税金が、人々の望む方向へ使われるのは、あたりまえだからである。
 
STAP問題は、終わったわけではない。人々も、この経験を通じて、賢くなっている。
つぶされても、嫌がらせを受けても、信念を持って、しぶとく頑張ることは、その後に、新たな展開を生むものだ。人々は、そこに期待している。
 
力がなければ淘汰されるし、力があればやり直し、方向転換などが出てくる。
つぶれて行く実験をした科学者でも、その人自身がつぶれていくとは、限らない。
 
“放っておかれて自然淘汰されるSTAP”であってほしくないが、酸刺激以外にも、何らかの刺激により細胞が変革する機序についての研究論文は、今後も期待できる。
 
世界中で、日本位、格差無く、自由に医療が受けられる国は無い。日本における医療分野は、世界に売り込む資源とノウハウを持っている事を意味する。
アジアにおける生殖医学のレベルは高いし、これは売り物なのである。
 
科学の一般化、大衆化という流れは今後も続いていくし、STAP事件の残した功績は、そうした面で評価できる。
 
科学界が、閉鎖的で学閥的な策略をするなら、一般人が批判の目を向けて、ウオッチできる時代なのである。