ディバイングレースのMari-yuです。
束の間の出来事というか、報告ですね。
なんだか霧がかったように~、ここ1、2か月くらいメッセージが聞こえなかったり、
繋がれない…と感じていて、かなり~微妙な日が続いていたのですが、やっと戻ってきたな…
って感じです。
といっても病み上がりに近いかもしれませんが。、
まだ全てを語れるわけじゃないけど、GW中に先生とワイヤー作家の仲間さんと江の島へ行く機会があって、
江の島へ神社へ先日お参りをしてきました。
しっかりとお参りしたのはいつぶりかなぁ…と感じていたのですが、
かーなりパワフルにチャージされて帰ってきて。
…開いて、しまったようなんですね。
どうやら。
カギが。
なんだか、クラウンチャクラから強烈であり、膨大なインスピレーションが流れ込んできて。
白銀と虹色の光が降り注ぐ感覚…
オーマイ、どっかーん!!!って感じです。
寝ていなくても動けるようななんだかそんなハイパワーを感じています。
やるなら、「今」なんだよ。
そんなインスピレーション。
それを私が分かりやすく、教えてあげるっ!
これまで、何度もあなたに言ってきたじゃない?
だけど、いい加減(私)を見なさいよ☆
だから、私があなたが何者か教えてあげるわ♡
あなたは涼しい顔をしてほらもう…
→何だって?もう一度言ってみろよ。
君はエゴか、何かなの?
という、可愛らしいエゴちゃん(?)とも呼ぶべき小さきアイドルを感じ始めた私。
そうだね、たしか先日江の島で先生から確か言われたとき、
「まりなさんは、まだ自分が何者かわかっていない」
と言われたんですね。
ずっとしばらく、これについて考えていたのだけれど
きっと、私が私であるための確固たる○○というものがまだ見つかっていないのかもしれないな、とも。
それは一日とかたまたまとかそういう温度感で見つかるものじゃないんだけど、
外側に求めるのは違う、と分かっている。探したくて探せるものじゃないから。
→つまりは、そういうことなんだね。悩んだときに思い出す師からの言葉です。
インナークエスト、というか、内なる探求だとか。
そう自己の神聖な領域に触れてこそ分かるものなのだろう、と。
それをずっとここ半年くらい、取り組んできたことでもあるのだと。
だけど、まだまだわからずにいる…
そう思えば、それに近しいことは、共同プロジェクトであるデヴィーナ(仮)でも
セレミーから少し前に言われたことでもあったなと思い出すことでもあった。
作品完成度だけじゃなくて、霊的な完成も求められるから、それは難しい、、とも言えるんだろう。
師のヴイジョンの片鱗にふれた瞬間とも言えるかな。
それと、
…どうやら、私。
近々、ワイヤーの先生をやる、ということになりそうです。
まだ一部ではあるのですが。
その他にもいろいろ動きが同時進行で進んでいるのですが、他にもカードリーディング/チャネリングの依頼とかが
来ていたり。自分が乗り越えたことに対して、すぐさま、お客様の相談の依頼とシンクロしていて、
神は何度もお題を絶妙なタイミングで出してくるのだな…と感じたりしていました。
最近はツインレイのご相談もいただくようになったりしてきて、自分のこれまで通ってきたツインフレームとかディバインフレイムの関係性は霊的なイニシエーションとも言えるのか、学びが生かされていると確実に思えるのです。
…考えてみれば、私にとって透明な鏡とかその学びのパートナーとなってくれたその相手は「霊性の教師」とも呼べる人だったからね。激しい炎でなくても、私なりの暖かさに変換してそれを変容の炎としてつなげることができるならば嬉しいはずが、
ないじゃないか!ってね。
→それは私のことかな?
→はい、そういうことですね。(テレパシーで会話してみます)
↑今日、引いてみたカードですかね。イベントのことについてのインスピレーションをもらいました。
アニマルアポセカリーカードから引きました!
なんか、これ結構面白いのですね。動物のカードは考えたことなかったけど、
動物だからこそ、すっと入ってくるメッセージみたいなのもあって。
鍛錬…という言葉が来ました。
内なるヴィジョンを実現するための鍛錬…
まるで、師 が言う言葉みたいだなぁと感じるけれど、
同時に私らしいとも思えて、Mari-yuさんだと忍耐って表現になる?
実はタコも霊性が高い生き物なんじゃないかと感じています。
ハヤブサって猛禽類の中でも小型なんですが、飛ぶと349キロとかの速さで飛べるらしくて、
早いよなぁって。
獲得する、というか、これは聖なる男性性のようにも感じるんだよね。
中身はとても冷静だけど、外側には霊性の炎が情熱的に燃えている…というか
青紫色の炎とも言えるのかな。
そんな存在感ってカッコよいよね✨
私は好きですよ。
自らもそういう波動を纏えているから、女性を癒せるのではないかと思う。
改めて、自分の聖なる男性性を持って女性を癒したいと思うのでした。
自らも愛に生きるように。
彼女たちの愛に私は生きたいと、思うから。