ディバイングレースのMari-yuです。
なんだろう、今日は沢山思い起こされることがあったなって振り返る日でもありました。
ここにつながる“恐れ”ってことなのかなと思います。
フラワーエッセンスで過去のカルマを思い出すこともあると聞いたことがあります。
具体的な“恐れ”については、伏せるとして…
もしかしたら、本筋の話とは異なってきて、2部構成って感じになるかも?
この人生というのも決して順風満帆というわけではなかったけれど、
前々回の記事で、カルマは20代前半にクリアしましたね?って鑑定で言われたことがなんとなくわかった気がしました
前提記事はこちらです↓
あれは、 “両親のカルマ” とか “願い”でもあったんだなぁと。
思えば、両親を見ると母とも父とも、社会的な部分いえば成功者とも言えるし。
母は思えば、世間的な視点だとか女性の中では、ずば抜けて頭が良かったんだなと思う。
特に数学やリーダーシップにおいてはって感じですが!天才的な才能を持っていたのは確かです。
父とは今はもうほとんど疎遠となってしまっているけれど、やっぱり苦悩を経て、会社員として生き延びる術も知っていたし。
思えば、社会人になって慣れない会社という組織で働いていた頃、時折、新人の苦悩というか年の離れた先輩のように、
時折電話で愚痴を聞いてもらったなぁと思う。
勢いのある、ベンチャー企業で働いてた自分にとっては上司も上司で若手でリーダーとかを任されていたけれど、
当時見ていて精神的にも追いついてなくて、結構滅茶苦茶だなぁとも思っていたわけで。
そんな2人が何かしら置いてきてしまったというか、共通としてあるのが “芸術” だったわけで。
二人とも若いころの話を聞いているとそのことは確かに“私たち(兄/妹)”に受け継がれているものだと確信するものが多いわけで。
私は、何かしら表現だとか世の中に創造する、伝えていくって仕事には大いにかかわってきたという実感もあって。
兄は器用さと頭脳を活かして、移動手段と言われる製品の開発だったり技術者となっていった。
その傍ら、父の夢を受け継いでいるのか、風に任せて 空を時折 飛んでいたりします。
子供の頃は、中学生くらいまではお互いに能力的には対峙していたし、どちらがこうだ!みたいな
部分もあって。互いがライバル!みたいな感じだったと思います。
私の10代はそれこそ、父に美術の道に行きたいと言ったけれど反対していたし、
母はやりたいことを実現したらよいよと比較的前向きに応援してくれたなと思う。
それこそ、夢に向かって走る10代で自分の理想とするものが実は学校とあまりにも
かけ離れている‼と思って。自分の実現したいことが無理そうだって💦
気づいて、首席で入ったのも関わず、実は一度美●大学を退学しています。
力を追い求める10代だったなと思って、別の美術系の大学へと方向転換していった記憶が。
いろいろ両親にも言われたけれど、最終的に社会人としてスタートする!ってなったときに
せいいっぱいやってこい!って応援してくれたなって。
当時はクリエイティブな就職は新卒ではかなわなくて、それこそバイトからだったけれど
今につながる基盤ともなっているようなことも改めて思います。
そして、今まさに自分の魂の道を生きているって言われて、ワイヤーの創作活動とかこのブログを綴るってことも
いわゆる私にとっては表現とか発信の一つだったりするわけで結構楽しくやれてます
いわゆる、社会的な組織での立ち回りというものは失ったように感じたけど、
あまりにも斜め上な環境ということもあって、
そこには大きな落胆やショックとか、失望だとか、奪われた、
「あんな奴が?…ざけんなよ?あんたら(上司)まとめて地獄行きだよ?
望めば私と一緒に道連れにしてさしあげましょうか…?」みたいな怒りも続いてて、受け入れるのは時間はかかっていたけど。
ようやく怒りの炎が冷めてきたところですかね。
……
世の中的にそれは情報を整えたり、わかりやすくしたりするデザインと同じように並ぶことはないだろうけれど、
私の作るものは、もしかしたら人を選ぶかもしれないし。
けれど、
だれかのためにはそれが心の癒しであったり、本当に必要とされたり、今はわからなくても当時は必要なものだったと
感じさせてくれるならば、私としてもとても貴重な体験だったと言えるんじゃなかろうかって
思うんだよ。
その力 を自分のどこかでは恐れているのはわかっている。。
それをいまだにもがき続けている。
けれど、それがもしかしたら“私にしかできないこと”なのかもしれないし、
そうであるならば、それはとても光栄なことだなって。そんな役割を本当に任せてくれてありがとうと。
だから、もし冷たく突き放されたとしても、きっとそれはいつか自分のためだったってわかるときが来ると思う。
それは、カタチのないものの上に存在している想いだとか、そういうものを分かち合えたらって思うんだよ。
それは、自分自身の存在であることもまた教えさせてくれるものだろうって。
愛であり、光であり、きっとまばゆく、世界へと光っていける。