三国志で有名な曹操、その次男の曹植は、
その才気により父親・曹操から愛されていたが、
兄の曹丕(そうひ)が魏の皇帝(文帝)になるや、
その詩才を妬まれ、七歩歩くうちに詩を作らねば
死罪にすると言われて、以下の詩を作ったという。

煮豆燃豆萁 豆を煮るに豆萁(まめがら)を燃やす
豆在釜中泣 豆は釜中(ふちゅう)に在って泣く
本是同根生 本(もと)是(これ)同根より生ず
相煎何太急 相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なる

豆は我であり豆殻は兄である
豆は煮えたぎる湯の中で泣く
同じ根から育ったもの同士が
片や燃え盛って豆を苦しめる
なんと無情なことであろうか

兄の曹丕は、たいそう恥じ入ったという。
公の席で、このような詩を披露したら
自分がどうなるか曹植は覚悟の上であったろう。

曹植は、命は助けられ
その後は、隠匿したらしい。


これと似た話は、日本にもある。
徳川3代将軍家光は、弟の駿河大納言忠長に
切腹を命じたのである。忠長享年28歳。

神君・家康公の孫であり、
2代将軍秀忠を父に持つ自身の弟に
自刃を言い渡す幕命を下した家光には、
抜き差しならない理由があったことは
容易に推察することができる。
当時江戸に詰めていた家老の伝聞や観察では、
改易や自刃の原因は忠長本人の狂気による
部分が大きいと考えられていたようだ。

忠長は、幼い頃から才気煥発で、
両親に可愛がられていた。
家臣たちも次期将軍と考えていた。
そこで乳母の春日局が、隠居した家康に
お手打ち覚悟で訴え出た。
家康は江戸城に行き、秀忠・江、家臣に
家光を3代将軍にすることを命じた。


最近では、北朝鮮で金正恩が
兄の金正男を暗殺した。
亡命政府を企てようとする組織があり
その組織が金正男を担ぎ上げようと
したのでしょう。
いつの時代も骨肉の争いは悲惨です。


☆ちょっとだけ瓦版
肉骨茶(バクテー)
バクテーとはシンガポールとマレーシアで
よく食べられているローカルフードで、
豚のスペアリブなどの骨付き肉を
ニンニクや薬膳と一緒に柔らかく煮込んだ
醤油ベースのスープ。
栄養がたっぷりと溶け込み、暑い時には
夏バテを防ぎ、寒い時には体を温める効果が
あるといわれています。

むかし、シンガポールに出張した時
お客さんであるシンガポールテレコムの
職員が、私を美味しいバクテー屋さんへ
連れて行ってくれました。