映画監督伊丹十三
51歳で映画監督デビュー
映画人としては、遅咲きだった。

映画監督は大人にならないとできない仕事
だから大人になってからこそ勝負した。
「無法松の一生」は、
父親の映画監督伊丹万作が僕に残した
手紙のような映画。
その後の人生に影響を与えた。

映画は僕の全人生の煮こごりのようなもの
日本映画界に革命を起こすぞと決意。

31歳で宮本信子と結婚
師弟関係のような夫婦、亭主関白であった。

父の死から31年
妻信子の父の死に伴い映画製作を決意。
映画が丸ごと天から降ってきた。
「お葬式」
企画がみんなに反対された。
そんな映画は今までに無いし
葬式なんて誰も見たいと思わない。
仕方なく自分の金で製作した。

こだわり
映画はスクリーンに絵をかくようなもの
絵は完璧でなければならない
役とは外側から作られている
納得のいく衣装
言葉にこそ人格が表れる
セリフのアレンジは禁止

苦労して作った映画お葬式は大ヒット。
アカデミー賞を総なめ
しかし
利益の65%を税金で取られた。
憤慨!
身近なところに本質がある。
取り上げたテーマが「税金」
「マルサの女」
本質を突く映画であった。


☆ちょっとだけ瓦版
山本陽子と関係があった“大物俳優”の正体

https://www.youtube.com/watch?v=5md_4LwVjnE

「そこからが役者なのだ。」