今日は会社で会議です。

3月10日舞華パーティーです。
なっちゃんとmathdanceさんが
参加する予定です。

ダンスを楽しむ

今日は、この記事の続きです。


俳優の渡辺謙
世界的に知名度が高い日本人俳優です。

俳優として飛躍するキッカケとなった
出来事があります。
それは、イギリス人演出家の一言
「演技する自分が楽しくなければ
 見ている観客も楽しくないよ」

この一言で、驚愕!
俳優の新境地が開かれました。

ダンスも同じことが言えるでしょう。
フロアで踊っている選手たちが
楽しくなければ、観客も楽しくないぜ!


最近の私は、
ダンスが楽しくて仕方がありません。
パーティーで、誰と踊っても
お相手の「心と身体の状態」
わかるようになりました。
なので、自由にリードすることが出来ます。

レッスンやデモに明け暮れていた頃には
考えもしなかったことが見えてきました。
ケンさんが書いていた
「何かが突然降りてきた」
「光が差し込む様に見えて来ました。」

この意味が少しわかるようになりました。

パーティーでは、不特定多数の方と
踊りますから、お相手の体型も千差万別
お相手に歩幅を合わせて
バランスをとる必要があります。
一体感、ハーモニーですね。
私は競技選手ではありませんから
姿勢や形が崩れるとか、
心配する必要はありません。

それこそ、自由気ままに踊ります。


★其井湯♨アラカルト
四字熟語
「多岐亡羊」(たきぼうよう)
学問広げると心理に達せず
「岐(わかれみち)多くして羊を亡(うしな)う」
と読む。別れ道の多いところで、逃げた羊を見失う。
学問の道があまり多方面にわたると真理を得られない
喩(たと)え。『列子』の話に基づく語。
楊朱(ようしゅ)の隣人が逃げた羊を大勢(おおぜい)
で追いかけ、楊朱にも加勢を求めた。
「1匹の羊を追うのに、なんでそんなに多くの
人がいるのか」と楊朱が問うと、
「岐路が多いので」という。
結局羊を得られずに帰り、「岐路の中にさらに
岐路があって見失った」と答えた。
この話のあとに「大道は多岐を以(もっ)て羊を亡い、
学者は多方を以て生(せい)(みち=真理)を
喪(うしな)う」という。
学問に限らず、事業の方針や人生の進路など、
選択に迷う場合に用いる。


★其井湯♨瓦版
<ケンさんのブログから>
先ずは自分が楽しむ事が一番
2022-01-26 05:59:53
何故、社交ダンスを踊るの?
社交ダンスを踊り始めた頃は、
これは、多くの場合愚問です。
楽しいから、気持ちいいから、
格好良いから
と何の疑問もなかったはずです。
踊る事が楽しくて毎日の練習が辛いと
思うことは有りません。
出来たら一日中でも踊っていたいと
思うこともあったでしょう。
しかしながら、いつからかそんな思いは
次第に色褪せて来て
どんなに素敵なステップを踊っても
魅力的なルーティンを踊っても
どこか心が冷静で手放しで
喜べなくなってしまうのです。

様々なテクニックを身に付け
多くのステップを使いこなすように
成るにつれて感動は次第に薄れ、
本当に心から社交ダンスを
楽しんでいない自分を感じる事も
多くなってきます。
競技ダンスに出るようになって、
初期の段階で入賞しただけで
喜びに打ち震えたのに、
クラスが上がり様々な音楽表現を
身に付けるようになって競技会でも
かなり優秀な成績を得られる様になっても
当初のような感動は有りません。

なぜなら、自分が感じる喜びよりも
遥かに素晴らしいと思える
音楽表現が出来る人やペアが
数多くいるからです。
自分では完璧に熟したと思ったステップも、
はるかに素晴らしい
音楽表現で演ずるペアはいくらでもいるのです。
いつの日にか自分の感動の中心は、
そういった自分より遥かに
優れた音楽表現をする踊り手たちの
パフォーマンスになってしまうのです。
つまり、自分の心からの感動は
自分の心には存在しないのです。

いつも自分より優れていると思われる
ペアの踊りが自分の目指す目的となり、
常に自分の心と身体は不完全なのです。

もちろん完璧な踊り手はこの世にはいません。
誰もが自分の思い描く理想の踊りを
持っていて日々努力を重ねています。
しかしながら、様々なステップを身に付け
テクニックを熟しているにもかかわらず、
心から楽しめないのは、踊り手に取って
不幸と言わざるを得ません。

満面の笑みで素晴らしいパフォーマンスを
演じていたとしても、心の中はいつも
自分を客観的に見ているとしたら、
確かにより上達をするためには
大切かも知れませんが、踊っているその時々の
生の感動を得る事が出来ず、心はお相手も音楽も
感じる事が出来なくなってしまいます。

自分の素直な心の感動が一番魅力的な
音楽表現を育てます。

様々な音楽を演じ日々変化していく
お相手を感じる事によって
心から楽しめる社交ダンスが踊れるのです。
先ずは踊り手が社交ダンスを誰よりも
楽しんでいなければなりません。
その喜びが音楽とともにお相手に共鳴し
見ている人の感動に繋がるのです。