発信するとは難しい。

発信したことが意図したことと違ったり、思わぬ捉えられ方をすることもあるだろう。


私は一日中頭の中でおしゃべりしてるタイプである。

つまり、一日中何か大事なことからしょーもないことまでずっと脳内をぐるぐるしている。

時によっては、本来まとめないといけないことも、しょーもない思考が邪魔してまとまらないこともある。


そして、昔から注意力散漫とも言われてきた。

小さい頃は散漫の部分を三万だと勘違いしていて、値段なのか注意力の単位なのか悩んだものだった。しかし、いくら注意してもそれが「よんまん」や「にまん」になることはなく、注意力の世界には「さんまん」以外の数字がないことを悟った。


ここまで読むと、おそらくSNSだと「それ、ADHDの特徴ですよ!」などというリプライが付きそうなものである。

もちろんその片鱗があることは理解している。

しかし、日常生活で致命的に困ることはないし、生活していても困らない。ちょっとおっちょこちょいなだけである。

仕事においても、論文を書くとか研究をするといった部分で多少ビハインドがあるものの、それ以外においては概ね問題ない。

つまり、診断や治療をするほど困ってはいないということだ。

しかし、SNSでは続くだろう。

「その程度でも、お薬を飲むとほんとに世界が変わりますよ!」


SNSを見るたびに思う。

最近はちょっとした小咄などを投稿すると、時にはその人の人となりを知っている人以外にも届いてしまう。

そうなると背景もわからず、その投稿だけで判断されてしまう。

自分が面白いと思ったことも受け取り手によっては、「あなたは困ってなくても、周りは困っているんです!」だったり、「そういう人がいるから、私は生きにくいんです。」だったり、「早く病院行け」などと書かれてしまう。

もちろん、至極真っ当なものもある。

しかし、多様性が声高らかに謳われてる今、おそらく世界は多様性を受け入れられられなくなってきている。


それは多様化しすぎて世界が収束に向かっているのか、社会が不安定な時代に均一化を求められているのかはわからない。

もしかすると、今まで交わらなかった人々がSNSを通じてお互いの存在を知ってしまったからかもしれない。


私は頭でぐるぐる考えていることを残すために書くことを始めた。私が発信しても、世界は無風だろうが、頭の中から外の世界に出すことによって、少しでも頭の中は軽くなるだろう。