自己紹介②

 

謎に包まれているという(たぶん)

アモロゾ陽子という人物について

大学生以降の波乱万丈のストーリーを

時系列で紹介させていただきたいと思いますニコニコ音譜

 

 

初めから読む【私のこと①】はこちら左差し本

 

 

 

大学就職活動時、

いくつか会社周りをしたが、

それぞれの会社で志望動機を言って回ることに

ウソっぽさを感じ、モンモンとする。

 

 

 

それでも、雨の日に

会社説明会に出向こうとしたところ、

自転車で大ゴケをし、スーツも破れ、

血だらけになる。

お、これはもう

就職活動をするなということだなと勝手に解釈し、

辞めて沖縄の竹富島にひとり旅にでる。

 

 

 

竹富島のユースホステルに一ヶ月半滞在しながら、

3人部屋の主になり、いろんな人と生活を共にする。

そこでいろんな人達の話を聴きながら、

あー、やっぱり大学卒業後に企業に就職することだけが道じゃないよな〜と、一人ガッテンする。

 

 

 

はて、自分は何がしたいんだと心に問うたところ、

あ、私、海外に住みたかった!

と幼少期から憧れていた事を思い出す。

ただ住むだけだとお金がかかるから、

そしたら日本語教師をやってみよう!

と、沖縄から帰って日本語教師養成講座に通う。

 

 

 

講座終了後、最後の日である修了式に出会った

別のクラスの男性に一目惚れをする。

あー、もう講座終わりだし、

もう会えないなーとガックリ。

そんな時、

学校の掲示板にタイでの日本語教師インターンの

募集があったので、お!これは!と思い、

行きたいと名乗り出る。

そしたらなんと

偶然、

一目惚れした男性も行くとなって、

タイにて大恋愛に発展。

 

 

 

駆け落ちをするほどのいきおいの中で、

哲学的な考えと軸を持つ彼に影響され、

自分という人間に深く向き合うことになる。

4年半の末、お別れすることに至ったが、

彼から受けた影響は

計り知れない。

 

 

 

その後、自分にとって自立がテーマになり、

日本語教師のお給料がとっても安かった事もあり、

他に手に職をつけようという発想で、

タイでタイ式マッサージを勉強して帰国。

 

 

 

忘れないようにと、

仕事として温浴施設で始めたタイ式マッサージが

いつの間にか本当に自分の仕事になり、

情熱を持ち始める。

 

 

 

 

お客様に向き合う程に

タイ式や身体に関しての奥深さに引き込まれ、

本当の意味で人を癒せるようになりたいと思い、

再びタイへ武者修行へ向かう。

 

 

 

 

タイのバンコクやチェンマイで

いろんなタイ式の学校を渡り歩いたが、

どの学校も、その学校の施術の流れしか

教えてもらえず、疑問が生じる。

 

 

 

 

人の身体はみんな体型や、

その上持っている問題、症状が違うのに、

全ての人に同じ流れの施術をしていい訳がない

モンモンとしていたところ、

チェンマイ在住で、

イラン出身のスピリチュアルティーチャーの

シャラム先生にひょんなきっかけで出会う

 

 

 

 

 

 

『偶然私のところに来る人はいない』

というシャラム先生の導きと教えにより、

持っていた疑問全てが解決していく。 

 

さらに、”本当の意味で人を癒す事”、

それは自分の魂を成長させる事が

不可欠な事だと知り、

技術より瞑想の方に重きを置くようになる。

その2年後に神秘体験をする。

 

 

 

 

約5年半シャラム先生に師事する中で、

徹底的に自分のマインドとエゴ、

執着に向き合い、手放す事の繰り返しを続ける。

その中で頭も坊主にして、

尼さんのような修行的生活を過ごす。

 

 

 

日本に戻ったが、坊主の私を両親は理解できず、

勘当状態だったため、

髪の毛が生えるまで約一年の間、再び沖縄へ。

 

 

 

 

竹富島の食堂で働きながら、

貸していただいた平家の一軒家の寮で、

空いている時間に

島の方々をヒーリングさせていただく

 

 

 

髪も伸びたしそろそろいいかなと思い、 

実家に戻り、何事もなかったように過ごす。

 

そして、

地元のタイ式マッサージのお店で働き始める。

 

 

 

 

そんなある日、

なんとなく英語を上達させたい

という思いが湧いてきて、

英語を使って外国の方とコミュニケーションが

取れるサイトを始める。

どなたか、友達になってもらえないかと

探していたところ、

急に頭の中に『イタリア!

という単語が降りてきて、

そんなに興味がなかったイタリアが

急に気になり出し、

サイトの中で、

イタリア人の今の旦那さまに出会う。

 

 

 

 

1日1回のメールのやりとりを半年続けた後、

周りの反対をうまくかわし、

自ら2週間イタリアへ向かう。

 

   

【ジョークが好きなイタリア人ロビー。

こんな風に遠距離でやりとり笑】

 

実際会って3日後に

ティッシュペーパーで作った指輪を

はめてもらってプロポーズされる。

 

その半年後に

立川の諏訪神社で正式に結婚。

2人で立川での生活をスタートさせる。

 

 

 

英語を勉強したかったのに、

イタリア語を勉強することになるとは夢にも思わず。

が、

今は日本に住んでいるので、

旦那さまに日本語の勉強を

がんばってもらっている。

 

【勉強が苦手。ジョークでごまかす】

 

今、

唯一の共通語がお互い不慣れで

下手な英語プラス

少しの日本語と少しのイタリア語。

2人にしか分からないようなミックス語を使い、

コミュニケーションをとっている。

だが、出会った時から

言葉ではない本質なところが同じような感覚があり、

リーディングしてもらったところ、

いつかの前世で姉弟だったようだ。

今も姉弟関係の感覚の名残がある。

もちろん私が姉。笑

 

 

 

3年半前の年末に、

それまでとても元気だった私の父が

急死したという連絡を

イタリアの旅行中に受け、

身が引きちぎれる程のショックを受ける。

 

なかなか気持ちの整理がつかずにいたが、

いくつかのヒーリングやリーディングを受け、

立ち直る。

身体は無くなっても、

意識はあるということをより実感し、

今までも、今も、これからも 

愛し愛されていることを実感する。

そして意識を向ければ

いつでも父と繋がれることを実感している。

 

 

 

 

 

見えない存在、見える存在、

たくさんの方々に支えられ、

私が今ここにあることに、

数え切れない感謝と、

この私から溢れる愛を今、 

爆発させていきたい。

 

 

 

 

この場を借りて、

亡くなってからも私と家族を

支え続けている偉大な父に、 

敬意と愛を表明します。

 

 

 

【写真が趣味だった父に撮ってもらったもの】

 

 

 

 

 

『胎内記憶教育との出会い』