私が喜久雄との
『秘密の関係』を結んだ後で
この様な誰にも言えず
それ以上に
本人達でさえ話し合う事も
なんだか拒まれて居る様な
歪んだ関係性に
16歳の私の心と身体は
段々と蝕まれて行く様でした。

そしてこの頃に
私はよく頻繁に、まるで
急性胃腸炎にでもなった様に
突然、お腹の辺りに
激痛が起こりました。

その激痛たるや
まるで悪魔が鋭いカギ爪で
私のお腹の中に
その手を突っ込んで
直接、胃腸を鷲掴み
して居る様な痛みでした。

これは
まさに地獄で
拷問されて居る様な感覚で
言葉では言い表わせ無い程の
酷く鋭い痛みでしたが
勿論、この様な経験は
生まれて初めての事でした。

この胃腸の激痛が起こると
私はいつも電気座布団を
お腹に抱えて温めながら
七転八倒して転げ回り
終いには震えと共に
何とも言えない嫌な脂汗が
滲み出て来るのを
全身で感じながら
この世のモノとは
思え無いほどの
悶絶せんばかりの激痛に
暫くじっと耐えながら
痛みが去って行くのを
ただひたすら
待って居るのでした。

当然
激痛が起こった時には
胃腸薬などを片っ端から
服用してみましたが
そんな事をしたところで
全く効き目は無く
結局、薬はなんの助けにも
なりませんでした。

しかも
普段の私は
胃腸のどこにも異常が見られず
至って健康な状態でしたし
母からも、これは
身体の『冷え』から来る症状
だと言われて居ましたので
私自身もその様に
理解して居ました。

そして
この激痛が起こると
暫くの間じっと我慢をして
この地獄の様な痛みを
やり過ごして居れば
次第に痛みも収まるので
ワザワザ病院に行ってまで
診てもらうと云うのは
憚れて居ました。

まさに私のこの
『異常な胃腸炎』の症状は
台風か嵐の様に、突然
起こって暫く暴れ回っては
直に収まって行くと云った様な
なんとも不思議な現象でした。

しかもこの現象は
妹の英子が亡くなったと同時に
目の前に喜久雄が現れてから
起こり始めたモノで
私との関係性が密になると
その歪んだ関係性により
私の心身が共に疲弊してしまい
その限度を超えてしまった為に
免疫機能がすこぶる低下して
起こり得た事なのかも
知れませんでした。

そして何よりも
まさに丁度その頃……
私の胃腸炎が
起こり始めたその頃に
亡くなった妹が幽霊になって
夜ごと私のところに現れては
生き返りたい執念で
私の身体と入れ代わる為に
私を襲って来ると云う現象も
起こり始めたのでした。

この現象こそは
はまさに今思えば……
私が喜久雄自身から私達の事を
認知して貰え無い事で、次第に
自信喪失や疑心暗鬼になり
何よりも自分自身の価値さえ
見い出せ無くなってしまった事に
よるモノだとも思えました。

ある意味この様な
自信喪失に陥ってしまった事で
心身と魂とのバランスが
すっかり崩れてしまい
自分自身のエネルギー……
波動・周波数も次第に
低下して行き、そして
この様な低い波動の中に
いつまでも私自身が
滞って居た為に起こった現象
だとも思えるのでした。

つまり
私がその当時に味わって居た
自己否定的な感情によって
よりネガティブな波動領域に
停滞気味だった事が
当時、亡くなった後でも
自分の死を受け入れられなかった
妹の低く重い波動と同調する
様になったと云う事でした。

実際、家族の中で
とりわけ私以外には
妹の霊を見たり、ましてや
私の様に殆ど毎晩の様に
妹の幽霊に襲われる
と云った様な現象は
起こって居ませんでした。

そして
喜久雄がフェイドアウトする様に
次第に我が家を訪れる
回数が減って、とうとう
私が高校2年生の夏休みを
迎える頃には、殆ど喜久雄は
我が家には来なくなりましたが
すると、不思議な事に
私の身体に突然に起こる
この胃腸炎の様な激痛の現象も
起こらなくなったのでした。

しかし
私から遠ざかって行った
喜久雄に対しての
私自身の本心としては
たとえ喜久雄が私に対して
自分自身の気持ちを
何も打ち明けて
くれ無かったとしても……
それでも
我が家を訪れた時には
いつも優しく接してくれた
喜久雄に会える事だけでも
やはり何よりも
嬉しかったのでした。

こうして喜久雄が
全く来なくなり
次第に音沙汰も無くなると
それこそ今度は
理由も何も言わずに
パッタリと来なくなった
喜久雄に対して
終いには私自身が……

「とうとう喜久雄さんに……
このままの状態で、
私だけが、ここに
『置き去り』に
されてしまったんだ」

と覚った事で
酷く落胆してしまい、また
失意の念さえフツフツと
湧き上がって来ました。

そして
更には、それまでには
存在して居た筈の
喜久雄に対する
微かな信頼感さえも
次第に薄れて来て
更に冷たく冷えて
徐々に遠のく様に
消えて行くのを感じました。

これ以来
私は自暴自棄に陥った様に
生活自体も乱れて
行ってしまいましたが
しかし、それよりも
一層、人への不信感が
増幅して行ったのでした。

そして学業に対しても
以前、靖子から
『絶対に許さない!』
と宣言されてからは
こと勉強や成績に対して
物凄い執念で重きを置く靖子への
せめてもの償いとして
私自身が今までの様に
成績が上がる様な勉強をするのを
諦めようとかと考えて居ました。

ところが
その矢先に妹が亡くなり
私が勉強をしない事で
成績が落ちても、学校内で
妹に恥をかかせる心配が
無くなったので、そのまま
学校の勉強はスッパリと
止めてしまいました。

ただ、中学入学からは
勉強をするのが
ずっと習慣になって居たので
いきなり止めてしまうと
やはりなんだか
物足り無さを感じて
なんとも落ち着かず
また実際に、手持ち無沙汰で
もの寂しい感じもして居たので
学校には、家に有った
割りと分厚くて重たい
夏目漱石や森鴎外などの
文学全集をワザワザ家から
持ち出して行って
授業中にはそれらの本を
ひたすら読んで居ました。

その一方で
遊びの方は増々盛んになり
ディスコ通いも週末だけで無く
平日でも友達に誘われれば
補導されない様に完全装備の
バッチリ大人メイクと服装で
こぞって出掛けて
行く様になりました。

こうして
学校では授業の勉強もせずに
全く関係無い文学書を読み
また、遊び仲間と云えば
学校でも幅を利かせている
ツッパリ連中となれば
当然、私が学校で別段
何も問題を起こさなくとも
周りからは明らかに
立派な不良生徒として思われて
次第にその様な扱いを
受ける様にもなって行きました。

実際
私は学校では
全く喫煙などした事も
有りませんでしたし
喧嘩などとは全く無縁で
一度たりとも騒ぎを
起こした事は有りませんでした。

しかし
放課後になり
学校を出て繁華街の
溜まり場の様な喫茶店に行くと
そこでは仲間達と一緒に
タバコを吸いながら
夜遅くまで話しに
盛り上がって居ましたし
また、時には、違うツッパリの
グループとの間で争い事にも
巻き込まれそうになったりと
色々と 危ない目に遭遇する事も
幾度か有りました。

それでも
自暴自棄に陥って居たせいか
ある意味、私自身としては
肉体的にも精神的にも
『恐れ』と云う感覚が
まともに機能しなくなって
恐ろしい程、鈍くなって行く様な
感じがして居ました。

また
この頃には
学校の校則ではピアスが禁止で
耳に穴を開ける事さえも
固く禁止して居ましたが
既に私は、太い木綿針や
安全ピンなどを使って
自分の耳に自分自身で
穴を開けて居ましたので
学校以外では、勿論
ピアスをして居ました。

この様に
『自分で耳に穴を開ける』
と云う行為は、危険で有り
しかも大変な痛みが伴う事
だったので、現在の様に
誰でも簡単に穴を開けられて
同時にピアスが装着される様な
お手軽な『ピアス穴開け機』
などが無い様な当時としては
大変勇気の居る事でしたし
まさに、その行為だけでも
ツッパリ連中からすれば
十分、称賛に値する事でした。

しかし
その当時の私としては
どうにもやり切れない様な
ドンよりと重暗い鬱々とした
抑圧された気持ちの反動からか
時として、抑え切れない様な
何とも言い難い怒りが
常に私の心の奥底では
まるでマグマの様にフツフツと
沸き起こって居たのでした。

その煮えたぎる様な感情が
自分自身でも危険を感じる程
余りにも強く激し過ぎる為に
直接、その当事者の相手に
ぶつける事が出来ずに居たので
その鬱積した感情のはけ口として
結局、自ら自分の身体を
自分自身で傷付ける様な
痛みや恐れを自作自演する
『自虐行為』として
自分の耳に穴を開ける事で
一時的な憂さ晴らしを
して居たのでした。

そして、この様な
木綿針や安全ピンなどで
『自ら自分の耳に穴開ける』
と云う行為は
傍からすれば、勇敢を通り越して
ある種の冷淡な残忍さをも
彷彿させる様でしたが
確かに、その頃の
私は人相もすっかりと
様変わりしてしまった様に
眼光鋭く、キツイ表情に
変化して行ったのでした。

この様な事からしても
当時の私は、どうやら
どこから見ても
完全に不良としての
レッテルを貼られる存在と
なって居たのでした。

しかし
それ以前に私は
この学校ではツッパリとして
幅を利かせて居た咲江からも
一目置かれて居たので
それだけでも既に
不良としての立ち位置は
揺るぎ無いモノでした。

ただ、私が他の
ツッパリ仲間と違って居たのは
私自身は人とツルむ事が
余り好きでは無かったので
誰とも徒党を組まずに
常にアウトロー的な立場として
存在して居た事でした。

そして何よりも
私自身、人と対立する事自体を
良しとして居なかったので
意味も無く、お互いを
傷付け合う様な言動や
ましてや
無闇に争い合う様な事が
心底嫌だったので
ツッパリ連中の皆んなとも
それなりに仲が良く
良い関係を保って居ました。

そして、それだけでは無く
普通の生徒達や
クラスメート達に対しても
極普通に仲良く接して居ました。

それは
不良と云われる様な生徒や
クラスでも成績が余り良く無く
その事で少しひがみ勝ちで
穿ったものの見方をする
生徒達などが、普段から
学校や教師からも受けの良い
クラスの大人しい優等生などを
ターゲットにして、からかったり
時には、陰湿なイジメにも
発展する事が有るので
その様な時は、その事態を
人知れず阻止する為にも
両者の間の緊張をほぐす様に
誘導する必要が有るので
普段からツッパリ連中だけと
仲良くするのでは無くて
日頃から普通の生徒達とも
クラスメートの仲間として
敢えて普通に接する様に
して居たのでした。

ところが
その様な、まるで
その日暮らしの様な
高校生活をして居る時に
有る事件が起こりました。

それは
私が遊び友達から
仲間の主催するパーティーに
誘われた事から始まりました。

この当時のツッパリ連中は
飲食店を貸し切りにしては
仲間や人を集めて
スナックや飲み物、お酒などを
振る舞うディスコパーティーを
開いて居ました。

勿論、そのパーティーの
規模やグレードで
パーティー券の値段は
違いましたが、それでも
だいたい2〜3千円が相場で
高くとも5 千円ぐらいでした。

しかし、そのパーティーの
誘いを受けた時の私は
そのパーティーの日には
何も予定が入って居ないにも
拘らず、なんと無く
乗り気がしなくて
ずっと誘いを断わって
居たのでした。

それ以前の私だったら
絶対に飛び付く様な
大規模なパーティーで
しかも、値段が5千円と云う
高額なモノだったので
それだけでも凄いパーティー
だと云う事が分かり
当然、参加するのは
当たり前の様な
超豪華版のパーティーでした。

ところが
私自身、学校で毎日友達に
何度となく誘われても
いつもハッキリとは
返事をしなかったので
その友達は、そのパーティーの
当日にまで電話を掛けて来ては
熱心に誘ってくれたのですが
それでも、やはり私は
何故か行く様な気分には
なれませんでした。

その当時の
私自身としては、学校でも
授業中の勉強はそっち退けで
秀逸と云われる様な文学作品を
ただ、ひたすら読み耽って
居たせいも有ってか
以前の様に
自由にお酒を飲み
タバコを吸っては
仲間とディスコダンスを
満喫出来るパーティーで
一時的に自分自身を
発散させるだけでは
それまでに
自分の中に鬱積して来た
どうにも行き場の無い
感情を永久に鎮めたり
ましてや払拭する事など
到底、仕切れ無いと云う
虚しさを感じて
居たのかも知れません。

或いはまた
ある意味では、少しずつでも
自分の中の潜在的な意識の存在に
気付き始めたのかも
知れませんでした。







続く…





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