そして
清水先生が
地井さんの事を全然
思い出せ無いのは、それが
何と言っても15年以上も
前の事だったので、それで
それほどハッキリとは
記憶に残って無いのかも
知れ無いと思いました。
しかも
私や友人の蒲田の様に
卒業するまでの6年間
それこそ毎日の様に
この学校に通いながら
先生達とは当たり前の様に
普通に顔を合わせて居たので
さすがに清水先生としても
卒業生の私達の事は
それほど簡単には記憶から
消え去る事が無いのだと
些か納得が出来ました。
そこで
私としては
もう暫く話しをすれば
その内に清水先生も
色々と忘れてしまった事を
思い出すに違い無いと思い
それには、何と言っても
こんな学校の廊下なんかで
立ち話しをするのでは無く
やはり、もう少し気の利いた
店か何処かで、それこそ
お酒でも飲みながら
腰を据えて、じっくりと
話しをするのが一番だと
考えて居たので、さっそく
清水先生にも、その様に
話し掛けてみました。
「あの…ところで先生…
学校の仕事の方は、今日は
もう終わったんですか?」
「あぁ…もう授業も終わってるし…
取り敢えず…私の方の仕事は、
もう終わりですよ…」
「ふ〜ん…そうなんですね…
それじゃぁ、先生…
あの…ホントに久しぶりに…
もし、良かったら…
これから飲みに行きませんか?
そう言えば、先生と飲んだのも
可なり前でしたよね…?
そう、そう…随分前に…確か…
高校のクラス会が有った時、
クラスの皆んなと一緒に
飲んだっ切りだから…多分…
10年振りぐらいですよね…!?」
「え?…あぁ……そう言えば…
確か…そんな事も有りましたね…
そうですか…あれから…10年?
もう、そんなになりますか…」
「そうですよ、先生!
…だって、あの時は私も
20歳ソコソコだったけど…
もう今年で30歳になるんですから…!
こうして久々に先生に会えたので、
本当に是非、一緒に飲みたいですよ!」
すると
先程まで和やかな
雰囲気で話して居た清水先生の
その顔が、なんだか
急に強張り出しました。
「あぁ…いや、久しぶりに卒業生の
貴女に会えて、ホントに私の方も
懐かしく思って居るんだけれども…
ただ、本当に申し訳無いんだが、
これから飲みには行け無いんですよ…
実は…今、婚約中なんです…
それで…この後、その彼女と
色々と結婚式の準備の打合せが
有るのですよ…」
この様にして
イキナリ清水先生から
現在婚約中で、しかも
その彼女とは結婚するので
まさに、その準備に忙しく
一緒には飲みに行け無いと云う
まさに思いも寄らない様な
この衝撃的な断りの返答には
それこそ私の方が面食らって仕舞い
本当に驚いたので、一瞬の間
言葉に詰まってしまいました。
それと云うのも
先ずは、この清水先生が
この10年の間、それまでずっと
結婚をして無かったと云う
その事実にも驚きましたが
それでも、久々の再会で
これほど言葉遣いがヤタラと
必要以上に他人行儀と云うか
なんだか、全く以前とは違って
距離感を凄く感じたのも、偏に
この清水先生が婚約中で
結婚を控えて居ると云う、まさに
その理由の為に、私に対しては
それこそヨソヨソしい態度で
接して居たのだと云う事が
分かったからでした。
しかし
私は、そこで
直ぐに気を取り直すと
少々、引き攣った様な顔を
悟られ無い様に誤魔化しながら
敢えて無理矢理にこやかな笑顔で
清水先生に色々と質問を
して居たのでした。
「そうですか…先生…
それは、おめでとうございます!
そうなんだ…先生は今、
婚約してるんですね…!
それで、相手の人は…もしかして、
同僚の先生とか…ですか?」
「いや、それが…同僚…
と云うのでは無くて…
実は…彼女は、この学校の
教育実習生だったんですよ…!」
この様に
先程の私の誘いを
断った時の様な拒絶反応とは
まるで打って変わり、それこそ
清水先生は、なんとも嬉しそうに
薄っすら笑みを浮かべながら
話すのを聞いて居た私は、本当に
心底、驚いてしまいました。
と云うのも
この清水先生が
まさに40歳近くまで
結婚せずに居た事も
さる事ながら、しかも更に
世の中の右も左も、まだ殆ど
分から無い様な、それこそ
20歳ソコソコの教育実習生と
既に婚約し、しかも近々に
結婚する事まで堂々と
カミングアウトされては
私としても、さすがに
もう、それ以上は返す言葉など
見付かりませんでした。
すると
清水先生自身も
先程の私の誘いを無下に
断った事への罪滅ぼしか何かの
つもりなのか、なんだか
まるで、その埋め合わせでも
するかの様に、イキナリ何かを
思い出し、そこで突然
その眼鏡の奥の目がパッと見開き
なんと、トンデモナイ事を
言い出したのでした。
「おぉ、そうだ、天田!
ところで…お前は、卯月先生の
所には、もう行ったのか…!?」
「え?…う…卯月先生の所ですか?
あの…いや…別に…そんな…
行って無いですケド…」
「なんだ、まだ行って無いのかッ!?
それじゃぁ…今、俺が下まで行って
体育館に卯月先生が居るか、
さっそく確かめて来るよ…!」
「へ?い、いや…先生!
そんな事…別に、そこまで
ワザワザして貰わ無くても…
本当に、いいですから…!
大体、卯月先生は私の担任だった
ワケでも無いですし…
それに、私の方も…コレと言って
卯月先生には特に用が有るって
事でも無いですから…!」
「な、何言ってんだ天田ッ!
お前が学校に来てるって知ったら、
それそこ、卯月先生はホントに
喜んで絶対に会いたがる筈だからな!
イイから…とにかく、お前は
ココで待っててくれ…
直ぐに俺が見て来るからッ!」
そう言うと
何故か清水先生は
一人で興奮しながら、今度は
先程来た廊下を疾風の如く
あっという間に駆け抜けて
行ってしまったのでした。
ところが
そうなると本当に
困ってしまったのは私の方で
何と言っても卯月先生は
高校時代の私達の様な
ツッパリ連中や仲間にとっては
まさに宿敵の様な存在で有り
それこそ、なるべく卯月先生には
姿を見られず、目も合わせ無い様に
過ごして居たので、こうして
10年以上も経って、顔を合わせた
としても、今更、どの様な態度で
卯月先生に接すればいいのか
皆目、分から無かったのでした。
しかも
清水先生からは
まるで当たり前の事の様に
『卯月先生がお前に会いたがる
筈だから』
と断言されては、なんだか
増々、頭の中が混乱してしまい
それこそ当時は、まさに
鬼の憲兵の様な風格と威厳で
私達から恐れられて居た
あの卯月先生が
『私に会いたがって居る』
などと云う、お門違いな事を
言われる様な覚えが、全く私には
無かったので、その様な本当に
ワケの分から無い状況には
可なりの違和感を覚え、恐怖さえ
感じたほどでした。
しかも
もし本当に私が
このまま卯月先生の前に
差し出されたとしても
それこそ、私自身だけが
あの清水先生や卯月先生の
2人の間で理解されて居る様な
事柄や状況自体が、まるで一切
分からず…と云うよりも、全く
理解出来て居ないと云うのが
なんだか凄く恐ろしく感じて
不安さえ込み上げて来たのでした。
それに
先程、急いで踵を返して
この場から立ち去った
清水先生の事を暫くの間
待って居ても、なんだか
一向に戻って来る様な気配が
無かったので、そこで
待って居る間にも、増々
その不安が大きくなるばかりで
まさに、それこそ、いっその事
このまま、この学校から
逃げ出してしまおうかとさえ
思った程でした。
こうして
職員室前の廊下で
一人放置されたまま
私が悶々として居ると
漸く廊下の向こうから
まさにスタスタと清水先生が
早足で戻って来たので、そこで
私もジタバタするのは諦め
仕方無く、その先生の第一声を
覚悟しながら聞いて居ました。
「天田、下に行ってみたんだが…
卯月先生は体育館や教官室にも
何処にも見当たら無くてな…
それで、そこに居た部活動の
スタッフの人に聞いてみたら…
どうやら卯月先生は、
部活動の練習試合か何かで
他校へ遠征して居るらしくてな…
あいにく今日は、まだ学校には
戻って無いらしいんだ…
せっかく、10年振りに、
天田がココに来てるのに…
卯月先生が留守で居ないなんて…
本当に、俺も残念だよ…!」
とまるで清水先生は
自分の事の様に残念がって
両肩を落としながら、なんだか
本当にシミジミと心の底から
そう言ったのでした。
ところが
卯月先生が不在だと
聞いた途端、それまで
まるで恐れの様な不安に
襲われて居た私は、まさに
『地獄に仏』『渡りに船』
と言わんばかりにホッと胸を
撫で下ろし、それこそ先程まで
ビク付いて怯えて居たとは
思え無いほど、スッカリ
気分が楽になると、まるで
私自身の心からは目に見え無い
重石の様なモノがスーッと
消えて行ったのでした。
しかも
取り敢えず私は
卯月先生に会え無くて
さも残念そうな面持ちで
眉尻を下げて清水先生の方を
見ながら、深い溜息を付きましたが
しかし、それは思わず額から
冷や汗を拭う時に出る様な
ふ〜っと吐いた安堵の息だったので
まさに、それが清水先生には
如何にも卯月先生との再会を
止むを得ず諦めた様な私の心残りの
溜息に見えた様でした。
そうして
さっそく私は
卯月先生が、とにかく
戻って来る前に、早々に
清水先生には別れの挨拶を済ませ
そして、懐かしい筈の母校からは
まるで、その日は、なんだか
抜け出す様にしながら校門を出ると
帰路に着いたのでした。
続く…