妹が亡くなった後で

或る一つの変化が

私の家に起こりました。


それは

姉の美奈子の婚約者、

多喜男の弟である喜久雄が

私達の実家で一員の様に

加わった事でした。


その喜久雄は

妹のお通夜の日に

初めて、弔問客として

我が家に訪れましたが

私達の両親は、まるで

亡くなった妹の代わりの様に

その喜久雄を可愛がりました。


それは

その喜久雄が早くから

両親を病気で無くして

働きながら自分で

夜間高校を出て

夜間大学も卒業間近と云う

立派な苦労人だったからでした。


しかし

多喜男の弟と云っても

喜久雄だけが母親が違う

異母兄弟の末っ子で

その為に、父親が亡くなった後は

直ぐに他の姉妹達は

それぞれ家から去って行き

その後で兄の多喜男も

自活する様になると

喜久雄と病弱な母親だけが

残されました。


その頃には

母方の祖父が

面倒を見て居たので

3人で暮らして居ましたが

母親が亡くなると

母親の妹の叔母が

祖父と喜久雄の世話をする為に

一緒に暮らす様になり

喜久雄は

高齢の祖父と叔母との3人で

ほそぼそと暮らして居たのでした。


喜久雄達3人は

祖父の軍人恩給と

喜久雄が中学卒業後

直ぐに就職して稼いで居た

僅かな給金で生活しており

それでも喜久雄は働きながら

夜学で高校や大学の

勉強を続けて居ました。


この喜久雄の叔母は

生涯に渡って、結婚や出産、

子育ての経験が無く

喜久雄達と暮らすまでは

山腹に有る観光地の旅館で

住み込みで働いており

ずっと独りで

自立した生活を送って居ました。


喜久雄の母親は

病弱だった事もあり

夫も子もない天涯孤独の

妹である叔母には

遺言の様に

『自分が死んだら

喜久雄や年老いた父親と

一緒に暮らして

2人の面倒を見て欲しい

そして、老後は

喜久雄に面倒を見て貰う様に』

と言い置いて居たのでした。


その叔母が

定期的に山腹から

里の姉を訪れては

自分の年金の保険料を預けて

自分の代わりに郵便局に

納めて貰って居ました。


しかし

喜久雄の母親は

亡くなる少し前に

その叔母の預けて居た

年金の保険料の数ヶ月分を

自分達の生活の為に

使ってしまったのでした。


その事実は

何年も経った後で

叔母が60歳を迎えて

漸く年金支給の手続きを

しようとした時に

初めて発覚したのでした。


そして

亡くなった母親の

使い込みの為に

あと数ヶ月分の保険料で

支払い満期となるはずだった

叔母の国民年金は

既に何年も前に支払い期限が

過ぎて居た事で、完全に

支払い未納として

処理されてしまっており

その後いくら未納分の

保険料の納入を交渉しても

郵便局側では既に無効として

交渉に応じて貰えませんでした。


この様な

悲惨な経緯も有ってか

老後の為の年金支給を

止む無く断念せざるを

得なかった叔母からは


「私は喜久雄の

母親代わりだからね、

私が死ぬまでは

ちゃんと面倒を見て貰うよ。

お前の母親にもちゃんと

言われてる事なんだからね。」


と常々言われており

叔母を嫌って居たワケでは

決して無かったとしても

この言葉が喜久雄にとっては

ある種のトラウマ

となって居た様でした。


私がその様な

喜久雄の生い立ちを

知る様になったのは

初めて喜久雄が

我が家に訪れた

妹の英子の通夜の日から

暫く経った後の事でした。


妹の通夜の晩に

私が姉の美奈子から

初めて喜久雄を紹介された時は


「この人の雰囲気は、

誰かに似てる……

そうだ、靖子だ ?!

……あの靖子と

同じ様な種類の人間の

ニオイがするんだ……」


と云う、どちらかと言えば

ネガティブな感じの

印象を受けたので

今度こそは

私自身がトンデモ無い

災難に合わない様に

靖子と同じ様な雰囲気を

感じる喜久雄とは

なるべくなら出来るだけ

関わりを持たない様に

しようと思って居ました。


しかし

私が受けた印象とは裏腹に

実際、喜久雄自身は

自信に満ちては居ても

私の家族に対しては

いつもとても謙虚な態度で

礼儀正しく、しかも

明るい表情で爽やかに

受け答えして居たのでした。


私は

その様な喜久雄の様子を

見て居て、余計に

『この人はきっと

偽善者に違い無い』

と確信して居たのでした。


それは

喜久雄の立ち振る舞い方が

まるで優等生の学級委員の様に

絶対的に誰からも信頼されて

安易に信用を得られる様な……

私には

あたかも人を自由自在に

懐柔して来た靖子の様に

見えて居たからでした。


その様な理由から

喜久雄との初対面では

警戒心も手伝って

私は遠目から

喜久雄を観察するだけで

直接話しをする事は

殆ど有りませんでした。


すると、

何を勘違いしたのか

姉の美奈子が

私のその様なよそよそしい

様子を見て居て

私が喜久雄に対して

はにかんで居るとでも

思ったのか

私の側に寄って来て

いきなり


「サーコ、あんた、

喜久雄さんを好きになったら

ダメだからね!

だって、喜久雄さんには

もうちゃんと婚約者の

彼女が居るんだから〜」


と皮肉な薄ら笑いを

浮ベながら、からかう様に

私に釘を刺したのでした。


突然その様な

自分でも

考えて居なかった様な事を

美奈子に浴びせ掛けられた私は


「とんでも無い!

美奈子ネエは、一体、

なに言ってんだろ……」


と一瞬、ア然としましたが

直ぐに、美奈子の言った事を

振り払う様に首を横に振って

『クワバラ、クワバラ!』

と肩をすぼめて居ました。


ただでさえ

私と喜久雄は義理の兄妹

と云うややこしい関係なのに

間違ってもそんな複雑な

関係性になる様な災い事は

こっちの方で

『御免被りたい』

と云うのが私の

正直な気持ちでした。


しかし私達の両親は

近い将来、美奈子が

婚約者の多喜男と結婚すれば

その弟の喜久雄は紛れも無く

親族の一員となるので

そんな喜久雄を

まるで自分達の息子の様に

とても歓迎して居たのでした。


それだけで無く

両親は週末には泊まり掛けで

家に遊びに来る様にと

毎週の様に喜久雄に

声を掛けて居ました。


喜久雄自身も

この新しく親戚となる

私達家族の事に

とても興味を持っていた様で

私達の両親に請われるままに

毎週の様に週末には

遊びに来て居ました。


考えてみれば

喜久雄は小さい頃からずっと

年老いた祖父と叔母の3人で

暮らして居たので

私の実家の様に、いつでも

人が出入りして居て

夜になると酒盛りが始まる様な

賑やかな家庭など

経験もした事が無いのは

当然で、その様な

異世界の様な珍しさからか

毎週の様に週末になると

我が家を訪れる様になりました。

また、実家では酒盛りだけで無く

人が集まると麻雀が始まり

夜中過ぎまでワイワイと

皆が麻雀に興じて居ました。


そして日曜日の昼過ぎには

我が家の男達は

テレビの競馬中継に興じて居て

皆んながそれぞれ賭けた

馬の馬券代を集めると

まとめて誰かが

近場の場外馬券売場に

買いに行く事も有りました。


喜久雄が毎週の様に

我が家に遊びに来る様になると

日曜日の馬券の買出しは

喜久雄が行く様になりました。


そうして喜久雄が

馬券の買い出しに行く時には


「サーコも一緒に行く?」


と私を誘う様になり

付いて行くと、外で

フライドポテトや

アイスクリームを

ご馳走してくれました。


その頃には

私の喜久雄に対する警戒心も

大分薄らいで居ましたが

それは、頻繁に我が家に訪れる

喜久雄自体に慣れてきた

せいでも有りますが、更には

喜久雄の幼少期からの

大変苦しい生い立ちを

知る様になった事で

同情心が少しずつ湧いて来た

事にも依りました。


また、それ以上に

私と喜久雄の共通点として

私は父親が違う

『異父姉妹』の三女…

妹の死後は末っ子であり、

喜久雄は母親の違う

『異母兄弟姉妹』

の四番目の末っ子

と云う奇妙な偶然と

それに、その様な兄弟姉妹

と云う境遇であるが為に

ある意味で、虐げられて来た様な

経験をしたであろうと思い

同情よりも共鳴に近い様な

親近感を覚えたのでした。


そして

私は今まで誰とも

そんな複雑な立場の

微妙な感情の共有を

した事が無かったので

私自身が

そんな喜久雄の境遇に対して

強く共感して行ったのでした。


喜久雄にしても

自分より六つも年下の妹が

新たに出来た様で

嬉しく感じたのか、または

私自身が最愛の妹を

亡くしたばかりだと云う事で

気遣ってくれたのか

私に対しては常に

とても親切で優しく接して

くれて居ました。


私達の両親も

この様な優しくて真面目で

苦労人の喜久雄の事を

大変気に入ってしまい

出来れば私と結婚させてまで

自分達の本当の息子に

したいと思って居た様でした。


しかも

喜久雄には婚約者の

彼女が居る事を承知で

度々、両親は本人や家族にも

その様な事を冗談めいて

公言して居たのですが

さすがに喜久雄も

『是非にもうちの息子に』

と請われて、満更でもない様な

様子が窺えたのでした。


突然の妹の死で

真っ暗などん底に

突き落とされた様な状態に

陥って居た我が家は

この喜久雄の出現のお陰で

徐々に明るくなって

来たのは確かでした。


それは

まるで私達家族の皆んなが

居なくなってしまった

妹のポジションを埋める様に

代わりに喜久雄自身を

その場所に据えたかの様にも

感じ取れました。


喜久雄にしてみても

今まで経験したくても

した事が無い様な

両親と兄弟姉妹に囲まれた

和気あいあいとした

賑やかな大家族の雰囲気が

心地良かったのか

私達の両親の事をそれぞれ

『おやじさん』『おふくろさん』

と呼んで居ましたし、それに

自分の婚約者の事は

それほど

別段気にするワケでもなく

相変わらずの様に週末には

遊びに来て居たのでした。


そして土曜の夜には

姉の美奈子と多喜男

そして喜久雄と私の4人で

外食に出掛ける事も多くなり

そんな時は、美奈子達2人と

喜久雄と私がそれぞれ  

ペアになって移動したり

座ったりして居ましたが

歩いて居る時には

喜久雄は妹に対しての

親近感の現れなのか

必ず手を繋いだり、また

守る様にして小さい私の肩に

腕を回して来てくれたのでした。


そして

そんな外食の帰りが深夜になると

美奈子と多喜男の住んで居る家に

私達4人で帰って来ては

そのまま喜久雄と私も

そこに泊まる様に

なって行きました。


美奈子達2人は

自分達の寝室で寝て、一応

お客さん扱いの喜久雄は

居間に布団を用意して貰って

そこに寝て居ましたが

布団は一組しか無かったので

私はいつも

居間のコタツで寝ました。


そして

いつだったか私達4人が

いつもの様に外食して

深夜に美奈子達の家に

帰って来た時には

皆が余りにも飲み過ぎて

4人共そのまま居間のコタツで

ざこ寝してしまった

事が有りました。


その時は

コタツの中でお互いの足が

交差して邪魔になら無い様に

それぞれ並行になって

美奈子達2人はコタツの

反対側で並んで寝て

私と喜久雄はこっち側で

並んで寝て居ました。


私は凄く近い距離に

喜久雄と並んで寝て居るので

なんだか変な緊張感で

余りよく眠れずに

少しだけ薄目を開けて

喜久雄の方を見てみましたが

喜久雄の顔が、僅か30cm程の

ところに有るのに気が付いて

ビックリして、尚更、

眠れなくなり

そっと寝返りを打とうとして

ゴソゴソとして居ました。


すると、その私の動きで

喜久雄も起きたのか

無言のまま、おもむろに

私の首の下に自分の腕を入れて

私に腕枕をしてくれました。


コタツで寝始めた時は

私は枕無しで寝て居たので

喜久雄の腕枕はとても

寝心地が良かったのですが

その腕枕のせいで、益々

私達の距離が近付き

もう殆どピッタリと

くっ付いた状態でした。

もう私としては

喜久雄を起こさない様に

身動き一つする事も出来ずに

静かに息を殺して

朝までじっとして居るしか

無いと思ったのでした。







続く…







※新記事の投稿は毎週末の予定です。
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