この、私の

人に弱みを見せる事が

出来無いと云う性格は、

生まれつきの性分

と云うよりは、

私の生まれた環境、

家庭や家族との

生活の中で培われたもの

だったかも知れません。


私の家は

普通の家庭よりは

少々複雑な家庭でした。


実家の家自体が

母の持ち家で、これは

母が若い時から働いて

一人で建てたものでした。


その頃

母はシングルマザーでしたが

娘達2人の面倒は

自分の母親に見て貰って

自身は外で働いて居ました。


その当時の母の家は

自分が将来働けなくなっても

収入が得られる様に

二階の3部屋全部と

一階の一部が間貸し出来る

造りになっていました。


そして

その一階の一部を

借りていた会社の

社員の中の一人で、

何かと自分の母親や

2人の娘達の面倒を見てくれる

一回り年下の人と

その後再婚しました。


その母の再婚した相手が

私と妹の父親でした。


つまり、私と妹は

姉達とは異父姉妹

と云う事になります。


私がこの事実を知ったのは

中学生になった頃で、

初めて聞いた時には、まるで

テレビドラマの中の話しの様で

可なり驚いたのを

今でもハッキリ覚えています。


ところが

この様な衝撃的な事を

妹は既に何年も前から

知って居たと云うのが分かり、

何も知らなかったのは

家族の中で、唯一私だけだった

と云う事実に

更にショックを受けました。


私自身が知らない

家族の真実を、何故、

年下の妹が知り得たのかが

とても不思議でした。


そこで妹に尋ねると、

父親の年齢と姉達との

年齢差を考えると、

余りにも不自然なので、

姉達に聞いたら

事実を話してくれたと

言っていましたが、この事にも

驚きを隠せませんでした。


「英子はなんで、

そんな凄い大事な事を

私に教えてくれなかったの ?!」


「えーっ、だってそんな事、

家の皆んなは、みんな知ってるから、

当然、サーコも知ってると

思ってたわよ……!」


「え?じ、じゃぁ…

なんで皆んなは、私に話して

くれなかったんだろう……?」


「そんなの……サーコが、ただ、

聞かなかったからじゃないの?

だいたいサーコは、私達の家族の

構成が普通とは違って、

何か変だとは思わなかったの?」


「えーと、ただ、

お母さんがお父さんよりも、

ずっと年上だって事だけで……

お前みたいに、お父さんと

姉さん達の年の差の事なんか

考えてもみなかったよ……」


「なんだ〜、それじゃあ、

しょうが無いじゃない……

私は、なんか変だなって

思って聞いたら

教えてくれたんだもん!」


側で聞いて居た姉達にも、

どうして私に教えて

くれなかったのかと問い質すと、


「そんなの、知ってるのが

当たり前でしょう、サーコ!

あんた、本当にこんな事も

知らなかったの〜 ?!

バッカじゃないの?」


と冷やかな薄笑いを

浮かべながら

からかうだけでした。


私が自分の家庭の

真実を知ったその後には、

今までよく分からなかった事が、

ハッキリと分かり始めたり、

気付いたりした事柄が

多くなりました。


まだ私が小さい

6〜7歳の頃、家族で夕食を

取って居た時に、

私がいつも食べていた、

ピンク色の甘い魚の

『田麩 (でんぶ) 』が無い事に

ショックを受けて、母に少し

駄々をこねて居ました。


と云うのも

私は家族の皆んなとは違い、

殆ど肉も魚貝類も野菜さえも

臭いや味が駄目で

食べる事が出来ず、食べられるのは、

しじみ以外の時の具のない味噌汁や

トマトやキューリ、焼きナスなどで、

魚はマグロの刺身、

アジの干物ぐらいで、

肉は母の手作りの

たっぷりのケチャップや

パン粉で練ったハンバーグ以外は

食べられませんでした。


なので、我が家のカレーは

私が肉を取り出せない様に

母がひき肉で作っていた程でした。


タマゴは食べましたが、

鶏肉は駄目で、チーズも

食べられませんでした。

勿論、牛乳も苦手で

喜んで飲めるのは、

コーヒー牛乳ぐらいでした。


この様にして

私の普段の食事は、

もっぱら

具なしの味噌汁と

紅ショウガとピンクのでんぶ

それに、お茶づけと云う

とっても質素なものでした。


その唯一食べれる

ピンクのでんぶが

無いと云うのは、

メインディッシュが無い

夕食と云う事なので、

当時の私に取っては

相当ショックな事でした。


母もその事を十分、

分かって居ましたので、


「ごめんよ、今日は魚屋さんが

来なかったから、

買えなかったのよ……

また直ぐに買っとくからね……

ごめんね……」


と随分と私をなだめて

くれて居ましたが、

一日に一回の

唯一の楽しみのでんぶを

夕飯で食べれない事に

私は、納得出来ずに

少々ふて腐れて居ました。


すると、その時、突然、

斜め前に座って居た父親から

可なり強い往復ビンタ

が飛んで来ました。


本当に

いきなりだったので、

私はビンタの痛さよりも、

ビックリして、

そして何よりも

余りの理不尽さに

悔しくて、泣きながら

白いご飯だけを食べたのを

今でも覚えています。


その時は

家族の皆んなも

ビックリして、一瞬、

その場の空気が

固まった様でした。


母は直ぐに私を

慰めてくれましたが、

姉達はどちらかと云うと

いつまでも聞き分けのない

私の態度に激怒した

父の方に同調していた様な

感じを受け取ったのを

覚えています。


それ以来、

殆ど私は人前で

泣くと云う事を

しなくなりました。


父は母と一緒になった際に、

母からは

『どんな事が有っても、

連れ子の娘達二人には、

手を上げない様に』

と云う事を執拗に

言い渡されて居たので、

姉達は父から打たれた事が

有りませんでした。


また、妹も然りで、

これは妹が一番年下で、

家族皆んなから

大事にされて居た事もあり、

父にとっては実の娘でも、

おいそれとは

手を挙げる事が

出来無かったのでした。


この様な理由からか、

私の家庭では、

何か事有る事に、常に

私がターゲットにされる様な

スケープゴートとしての

役割りが出来上がっていました。


父は普段は明るい

陽気な性格でしたが、

何かで機嫌が悪い時は、

私に当たる事も少なく

有りませんでした。


父にとっては、

私が誰にも

何の気兼ねもせずに、

唯一、日頃のうっぷんを

吐き出す事の出来る

まさに『はけ口』

となって居た様でした。


姉達、

特に私のすぐ上の美奈子は、

いつも何かと長姉の芽衣子と

ケンカしていましたが、

体も大きく性格も強い

姉の芽衣子には勝て無いので、

常に泣き寝入りしていました。


また、美奈子は

母からは色々な用を

言い付けられて居て、

いつも自分が女中の様な

扱い方をされて居るのに、

上の姉の芽衣子は、

まるで女王様の様に、

座って周りの人の

話し相手をして居るだけで、

同じ姉妹なのに不公平だと

いつも愚痴をこぼしていました。


すると、そのとばっちりは

必ずいつも私が受ける

事になって居ました。


私達の母は

とても気丈な人で、

普段でも睨み付けている様な

凄味の有る顔付きをして居ますが、

怒ると、まるで鬼瓦の

鬼の様な形相になり、

近所の幼馴染みの間でも

恐れられて居る程でした。


その様な母に

こっ酷く叱られたりすると、

私はとにかく泣くまいとして

一生懸命に我慢して、

母の説教が終わると直ぐに、

トイレや押入れに入って、

声を殺して泣いて居ました。


ところが

いつもそこにワザワザ

姉の美奈子がやって来ては


「サーコ、あんたさっき

お母さんに怒られたから、

ここで泣いてるんでしょう!

隠れたってダメよ、

分かってるんだからね!

アハハハハ、へぇ〜あんた、

泣いてんだぁ〜!

ちょっと、どんな顔して

泣いてるのか、早く出て来て

顔を見せてみなよ〜」


と、さも意地悪そうに

私を揶揄して居ました。


実のところ、姉の美奈子は、

母に叱られては、

ギャーギャーと

大泣きして居たので、

いつも母には


「大声を出して泣くなんて、

みっともない!」


と、泣いた事で更に

もっと叱られる羽目に

なって居ました。


その為か、

殆ど人前では

涙を見せない私の事を

余計に疎ましく

思って居たのかも知れません。


また、

美奈子は物心が付いた頃には

既に父と一緒に暮らして居たので、

事実を知るまでは

父の事を本当の父親だと

思って居ましたし、

父が亡くなる時には

最期まで病院に通って

面倒をみていました。


私が生まれてから

僅か1年半で、直ぐに

妹の英子が生まれたので、

母は乳飲み子の妹に

付きっ切りだった為、

父が家に居る時には

必然的に私の面倒は

父が見る様になって居ました。


美奈子よりも

後から生まれた私に

父を取られて

しまった様に感じた

当時5歳ぐらいの姉は、

それ以来、私の事を

目の敵にして居た様でした。


しかし

長姉の芽衣子の場合は

6〜7歳の頃に、

いつも遊んでくれて居た

『お兄ちゃん』が

お父さんになったと

言っていましたので、

始めから実の父では無い事は

知っていました。


父は可なり若い時に

2人の子持ちの母と

一緒になりましたが、

他にも母の伯母が同居しており、

大家族での生活でしたので、

母と二人の新婚の様な

水入らずの生活は

した事が有りませんでした。


父は良くも悪くも、

余りお金の事を真剣に

考える性格では無く、

お金が有れば競馬などの

ギャンブルや酒場に行って

使い果たしてしまうので、

いつも母とはケンカが

絶えませんでした。


また

父は見栄もよく、一見すると、

陽気で気さくな性格も相まってか、

どこに行っても女性には

好かれて居ました。


ただし、父の場合は

大人の男性らしく

女性に対して

優しく接するのでは無く、

いつも子供が甘えから

空威張りして居る様な

横柄な態度で、

さも自分のモノの様な

身内の様な扱いをして居ました。


しかし

返ってそれが女性の母性を

刺激するのか、はたまた、

『この人は自分だからこそ

こうして、甘えて来るのだ』

と思い込むのか、

不思議と一方的に

女性の方が熱を上げて、

年がら年中金欠の父に

品物を買って与えたり、

飲食代は勿論、お小遣いまで

渡して居る始末でした。


そんな、お金にだらし無く、

しかも女性に貢がせて居る様な

一家の主としては責任感の

欠片も無い様な父の事を、

母は妻としてと云うよりは、

4人の子供達の母親として

我慢して居た様でした。


そして、

いつも父との

言い争いの後では

口癖の様に


「お母さんは、本当は、

直ぐにでもお父さんと

離婚したいけど、お前達が

まだ小さいから出来無いのよ!」

と悔し涙を流しながら、

私達に訴え掛けて居ました。


私達にとっての母は、

優しくて甘えられる

母親と云うよりも、

この家を支えている

大黒柱の様な、ある意味では

逆らう事など不可能な程

威厳と権力の有る

いつも機嫌の悪い

恐ろしい『鬼軍曹』

の様な存在でした。


逆に、父は根っから

『責任』の二文字とは

無関係な性格で、

その場を楽しむ事だけに

人生を生きている様な

人でしたので、私達姉妹は、

酷く母に叱られた時などは、

父が私達を慰めてくれる

様な事も、よく有りました。


しかし

父はお酒が入ると

気が大きくなるのか、

または日頃から母に

頭から押さえ付けられて

居る様なうっぷんを晴らす為か、

自制が全く効かなくなり、

家で大暴れする事が

よく有りました。


父が夜遅くに

お酒を飲んで帰って来た時には、

決まって母が私達姉妹に


「お前達、台所へ行って

片っ端から包丁を

どこかに隠しなさい!」


と、号令を掛けるのでした。


そうしないと

泥酔した父が母に対して

言い掛かりを付けて、激怒し

挙げ句には包丁を振り回す

恐れが有るからでした。


冬には石油ストーブ用の

灯油を隠さないと、かつて

父が家の床に灯油を撒き散らして、

母に『金を寄こせ』と

ライターを手に取って、

今にもに火を点ける様な恰好で

母を脅す様な事も有った様でした。


また、ある時は

父が外から返って来る様子を

二階の窓越しから見て居た母が、

父の泥酔状態を見て

身の危険を察知したのか、

私達には家に残って、

父が家に火を点けたり

大事な物を破壊したり無い様に

見張る様にと申し渡して、

直ぐさま一人で

いきなり家から

飛び出して行きました。


そんな無謀な事を言い残して

私達を置き去りにして出て行った

母の後ろ姿を見ながら、

暫く呆気に取られていた私達は、

大きな体でしかも乱暴な父から

自分達の身を護る為に

それぞれ、武器になる様な

物を探しました。


「美奈子、あんた、それ……

ゴルフのクラブじゃない……

しかもアイアンでしょう?!」


「え?ダメなの ?!」


「だ、だって、あんた……

もし振り回して、頭に当たったら

お父さん死んじゃうかもよ!

せめて、こっちのウッドに

しておいたら?」


「そ、そうか〜、

でもサ、頭に当たらなければ

いいんでしょ?

腰とか足とかサ〜

だって、これの方が持ちやすいし……

ほら、やっぱり振り回し易いから、

私は、コレにする!

芽衣子ネエは?」


「私は、この傘にするわよ……

だって、さすがにお父さんを

殺したらマズいじゃない?」


「あれ?……ちょっと、

英子が泣いてるんだけど……

サーコ、英子はなんで泣いてんの?」


「え?あ、本当だ……

英子、どうしたのよ?

……あぁ、そうか、英子は皆んなが

お父さんが死ぬとか、

殺すとか言ってるのを

聞いて泣いてるんだね……」


「そ、そうなの?英子?

サーコの言った通りなの?

……だったらゴメンね……

私達は、そんな積もりじゃ……」


「うっ、ううん……

そんなんじゃ無い!」


「え?違うの?だったら、

なんで泣いてんのよ!」


「……だ、だって…

芽衣子ネエが持ってる傘……

私のなんだもん!

この間、買ったばかりなのに、

それでお父さんを殴ったら、

傘が壊れちゃうじゃない……

お父さんの事なんか

別にどうでもいいけど……

私の傘は使っちゃヤダ!

うっ、うっ……」


「あ、そうだったの、

ごめんね英子!

この傘は返すから、

ね、もう泣かないでね!」


「うっ、うっ、うん!」


「だから、芽衣子ネエはサ、

このウッドだっけ?

これを持ってれば?」


「そうね、美奈子の言う通り……

私はコレでいいや!」


「じゃあ、英子は……?」


「私は……この誰の物か

分からないけど、

こっちの黒い傘にする……

これで殴ったら

壊れるかも知れないから……

私は、お父さんが襲って来たら、

この傘の先で刺すからいいや!」


「そうだね、英子!

ところで……サーコ、あんたは?

……なんにも持って無いじゃない……」


「え?う〜ん、

私は武器は要らないや……」


「えーっ?! なんでよ……

あんた、まさか、

私達だけにお父さんと

戦わせる積りなんじゃ

無いでしょうね!」


「いや、そう云う事をするのが

イヤなだけだよ……

もし、皆んなが言う様に

お父さんが襲って来たら、

その時は……」


「その時は、

なんなのよ、サーコ!」


「その時は、

私が何とかするから……」


「へ?何言ってんのよ、

お前は体が一番小さいのに、

どうやって、

何とかする積りなのよ、全く!

バッカじゃないの 、あんた ?!」


「美奈子、サーコの事は

もういいわよ、もう直ぐ

お父さんが二階に

上がって来るから……」


「ふん、だからネェ〜!

やっぱり、お前は

お父さんの子だからサァ……」


暫くして

父が階段を上って来ると、

直ぐに寝室に行き、

母が居ないのが分かると、

私達に母の居所を

問い詰めました。


泥酔して居る時の父の目は、

どんよりと濁っていて、

睨み付けられると、まるで

人喰い鮫にでも睨まれた様な

ゾクッとする嫌な感じがしました。


姉達皆んなは

それぞれの武器を

後ろ手に隠し持ちながら、

父に受け答えしていましたが、

そのうちに


「お母さんは、どこへ行ったんだ!

亭主が帰って来てるのに、

こんな時間まで、一体どこで

ほっつき回ってるんだ!

いいから、お前達、

お母さんを呼んで来い !!」


と、いよいよ興奮して来て、

大声で息巻いて居ました。


姉達も

いよいよ武器を使う時が

来るかも知れないと云う、

緊張からか、後ろ手に持った

それぞれの武器を

何度も握り変えて居ました。


すると

階下から聞き慣れ無い、

男の人の声がして

その声と共に、階段を

上がって来る気配がしました。


突然、居間の出入口から

2人の警察官が現れた時は、

さすがに父も私達も

ビックリしてしまい、

直ぐには言葉が

出て来ませんでした。


すると

制服姿の警察官が


「こちらに異常は有りませんか?」


「我々は、

通報を受けて参りました。」


と言ったので、

私達は尚も驚きましたが、

姉達が透かさず


「え?つ、通報……ですか?」


「どこからの…通報ですか?」


と聞き返したので

警察官の一人が


「ご近所からの通報です。」


と、背筋をピンと

真っ直ぐにして答えました。


この後は

我が家から大声が

聞こえて来たので、

ご近所の方が心配になって

通報した事や、また、父には

この夜はどれくらいの量の

お酒を飲んだか、そして、

どこで誰と飲んで居たかなどと、

細々と質問していたので、

さすがに父も酔いが

醒めて来た様でした。


警察官からの

質問責めが終わると

父は寝る為に寝室に

向かいました。


暫くの間

その2人の警察官は居間に居て、

父が完全に眠りについた

頃合いを見計らって、

帰って行きました。


母も暫くして

家に戻って来ると、

自分は近所の

宗田さんの家に駆け込み、

こそから警察に通報したと

云う事を明かしました。


これ以後、

父が酷く酔って、

大声を出した時などには


「そんな大声出すと

また、通報されて

警察が来るかも知れないよ!」


と一言、脅すだけで


「う、うるせぇ、

警察がなんだって言うんだ!」


と父もうそぶきながらも、

声を荒げるのを

抑える様になったのでした。


我が家に突然現れた

制服姿の警察官の

効果はテキメンで、この様な

母の奇抜な奇襲作戦の

事を考えると、私から

湧き上がる数々の発想も、

この母から受け継いだ

ものに違い無いと

実感出来るのでした。




続く…









※新記事の投稿は毎週末の予定です。
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