こんばんは  


ソラレンロのRISAです。



今日は体の話。


私は元々身体の痛みについて

若い頃からそれなりに悩まされているのですが


時には健康な人っていいなって思ったり、

そんなに悪い姿勢してて

よく痛くならないよね!!!


えっ?

そんな不規則な生活してて

よく痛くならないよね?


具合悪くならないよね、


何もしないでも痛くならない、健康な人って幸せだよーって

って羨ましいって


身体がうまかいかないときは

何度も思ったりもしました。


不規則な生活をするとすぐに身体に出るので

それが出来なくて、

逆に

規則正しい生活を体のためにしてたり。


すぐに崩れやすい身体なので



自分のこれが好きだから、これが嫌いだからというのは入れないで



生活リズム、仕事のリズム、

何を食べる、何を食べない等を

調整してきたので


なんというか




その体験ってなかなか大変なものではあるんですが


身体の痛みや ちょっとした不具合でると

自分で毎回人体実験のような気分です。


なぜなら、とくに現代って

精神すら神経、脳という部類に入れて科学的化学的に身体的疾患をみるけど

それじゃ、全部解明出来ない、

治らない。



身体の疾患と精神(神経)をマインドというエネルギーボディだけではなく

心(感情)というエネルギーボディを含めて見た疾患対策が完全に抜け落ちてるからだと思うんです。




 

例えば

「痛み」って身体の疾患の中でも辛い感覚だと思うんです


「まひ、しびれ」っていうのは

場所によって違うと思う。


まひ、しびれが起こる体の部位によって

それがどのくらい精神の快、不快領域を支配するかが変わってくる



まひ、しびれが

常に圧迫されることが少ない

腕に起これば それは不快や痛み感、落胆、

物理的な感覚にちかい、



座った際に下敷きになる体の部位に起これば

まひ、しびれは落胆よりも

神経衰弱的な不快を感じさせる。



それらが心臓に起これば

ダイレクトな鼓動となり、心に近いので心理的な不安、不快感を増大させる。



⭐⭐⭐⭐⭐


 体の痛みの場所は違えど

長く付き合ってきてる自分の身体の特質、

痛みということを通して


同じ体験や似た症状の人のことを

理解できるんですが



それ以前に自分のこれと付き合いながら生きてるってことは


そういった人を理解するまえに

自分の、


それを持ちながら生きてるってことを理解してる……。



これはまた、

どんなに生まれ持っての

自分の症状がなかった人には


分かりようが無いんだ、


理解されない、理解しようがないんだという事も経験する。


だって、似た経験をしなければ

その心理的な苦しみや

逆に頑張り続ける事も

理解できないもんね



自分も、目の前に相手がいて、


相手と同じ体験をしていなく、

相手の抱えている問題を自分は生まれながら無くて、問題なければ

相手の気持ちを思ったり、気遣ったり、

少しでも心を寄せて励ましたり、

大変だったねって声は掛けられるけど


本当の意味で共感することは難しいとおもう。



それは誰だってそうなんだろうと思います、



経験していなければ、仕方ない事。



そこで、現状、

じゃあ、自分は自分の体に何が出来るのかと思う


自分の体はいつもケアしてあげないと大変だってずっと言っててもこの身体なんだから

付き合っていかなければならないわけで、


こういうことを通して気づきや

とても成長させられる、

させられっぱなしなのですが


がんばったり、苦労した分だけ

やっぱり

理解できるし 自分のこと、わかる事がある



自分のことを理解するというか

否応でもさせられるから

他者の事が理解しようとできる、

自分が体験した分しか


究極は他者のつらさや苦しみを理解できないし、

また、自分が体験した分しか


他者の何気ない幸せや喜びを共感できない

共に心の奥から喜べない。



どうやら私は


自分の体を通して


自分というものを

最終的に知るのかなと。


身体の為に今年から新しい学びと技術習得をします。



自分の体の今後長い時間の中のケアのために

始めると決めたことですが


この身体を通して


真の自分を知り、


真の自分を体験し続けられる所までいったら


このもろく、エネルギーにも

 筋肉と骨に弱い身体

をわざわざ選んでわざわざこんな姿勢で生活してきた本当の意味が返還される気がします。


普通の人と同じでありたいっていうのは

身体の声からも来ていると思った今。


でも普通の人と同じなのは

無理ともう分かってるけど

自分のふかい願望っていうのは

自分が経験して変わっていっても

そう安安と無くなるものではないですね。


この話も

聞く人によって自分の中で反発する

何かが沸き起こるとおもいます

感情、意見、…。


その何かは自分の持っているものに呼応して反応してるカタチ…化学反応。



また、このようにして時に自分を

周りへ開示することによって 同調の波を引き起こすこともできる。


人は 痛みを抱えてる本人でも、

周りの人でも

ときにはへりくだることも

大切。



知識があっても何もならない。


人を癒し、自分を癒すのは

最終的に知識を習得して痛みを習得した時。

目の前の人そのものになりきった時なのかなと。(それって、ヒーリングの仕事しててもめちゃめちゃ言えますね………)


いかに、自分の記憶や主観をはずし、

ただ目の前の人を観察できるか


ただ目の前の人をそのままでみれるか。


真の癒し…

今の医療や人の治療に携わる

医者から、施術者と呼ばれてる先生から、

セラピストから、

全てに言えるんだと思います、




そんな時はマザーテレサを思い出します。

そしてイエス様。


1番痛みを抱えてる患者の前に屈んだ。

1番貧しい者のまえにへりくだった


今日は

聖母マリアとイエス様の恩寵に意識を持っていきながら寝たいと思います。


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