57 YS11 

航空自衛隊YS-11 152号機
 
飛行機ネタしか浮かばないなあ 
ま、いっか! 
ブログは書けるし、写真もあるし  
 
名古屋空港へ着陸進入するANAのYS-11
 
 
今年もよろしくお願いしますおじぎ
 
 
YS11の国内ユーザーのひとつ
 
日本航空機製造 
YS11 
国産初のターボプロップ双発旅客機 
 
開発が遅れたりしたのでフォッカーF27フレンドシップも買っている
まだ白い垂直尾翼の頃、水色になってから
フレンドシップがのんびりと名古屋空港へ進入してるのを見てた覚えがある
 
 
航空再開 
太平洋戦争敗戦後
一時、日本の航空はすべて禁止された 
時は流れて 
朝鮮戦争 
空前の特需となって航空産業はウハ!ウハ¥ウハ\\ウハ\\\ 
 
YS11って「オリンピア」っていう愛称じゃなかったっけ? 
調べたら、全日空がつけた愛称だったと判明
もちろん1964年東京オリンピックにちなんでいる
 
それなら国産旅客機を作ってみたい 
と通産省(当時)のお役人 
あれやこれやそれ 
寄せ集めて財団法人「輸送機設計研究会」 
 
1964年東京オリンピックでは聖火の国内空輸を実施した
 
 
YSは「輸送」と「設計」の頭文字 
11(いちいち)は旧海軍の命名法 
 
千歳基地に飛来したYS11E
航空自衛隊の電子戦訓練機として採用されたYS-11E
 
 
零戦二一型とか雷電三二型みたいに 
機体とエンジンをアップデートすれば数字が増える 
機体をアップデートすれば「二一」
さらにエンジンをアップデートすれば「二二」 
ただしYSは、YS-11-200とか、YS11Eとか
アメリカンな命名法に転換したので11のまま 
イレブンと呼ばれることが多い
 
電子戦訓練型は、ご覧のようにレドームやアンテナを一杯つけている
いろんな電波を使って電子戦環境を作り出す
 
5人のサムライ 
呼ばれた設計者が
「零戦」「飛燕」「紫電改」「疾風」そして「航研機」
 
CABが購入したYS11
航空自衛隊も飛行点検機型YS11を採用している
 
当時 
「日本は悪いことをした、世界に迷惑をかけた」 
という自己批判・総括思想教育と
 
 
写真を選んでたら、海上保安庁機の写真が一枚もないことに気づいた
 
敗けたけど 
零戦は世界最強の格闘戦闘機 
飛燕や紫電改はアメリカの物量に敗けたけど 
互角に戦えた傑作戦闘機
過剰誇大なアイデンティティのせめぎ合い
国産旅客機製造という祭りに舞い上がる
 
航空自衛隊に採用された輸送機タイプのYS11
C-1運用までのつなぎとして採用された
先代のC-46がちょお中古機でエンジン脱落したりして限界だったから
 
ところで、輸設研は予算確保の方便だったらしく、かなりザッパ 
スライドした人も含めて新たに「日本航空機製造」
 
海上自衛隊も機上作業練習機と輸送機タイプを購入
冬の千歳基地に飛来した海上自衛隊のYS11
YS11は「重い」「遅い」「難しい」といわれている
 
 
設計の申し送りがたった2時間だったという伝説がある
新しく設計を任された責任者  「コレじゃ飛ばないよ!」 
本格的な設計製造を開始、プロトタイプが完成し初飛行にも成功 
めでたいな 
 
名古屋空港(小牧)におかれていた、たぶんプロトタイプ
 
ところが操縦性は悪く、横滑りがひどい 
FAA(アメリカ連邦航空局)の審査も通らず暗雲・・・
「これじゃ売れないよ」 
飛べない国産機と国内のマスコミにさえ書かれる始末
改修を重ねて、なんとか審査をクリア 
よかったね
 
YS11のライバル、フレンドシップのアップデート型F50
キツネのような細い機種と長い脚をしまうため
長く伸びたのエンジンナセルのうねうね感がカワイくて好き
 
ところが全日空 「コレじゃ買えないよ」 
例えばYSが飛ぶ地方空港 
移動式タラップを装備して人員を配置して 
とてもそんな余裕はない 
あわてて引き込み式のステアを装備 
再び改修に次ぐ改修をしてようやく納入 
うれしいな 
 
千歳基地航空祭で展示されたYS11
ただでさえパワー一杯一杯の設計だったのに
改修のたびに重量が超過してどんどん苦しくなった
 
 
じゃがしかし! いざ運用してみると 
例えば梅雨時
ワイパーは、ただ往復してるだけで前が見えない 
操縦席周りの設計が悪かったらしい
さらに、あちこち雨漏りして水たまり
配線がショートしたり錆びたりと 
雨の日は飛べない飛行機とまで言われる 
 
電子情報あるいは無線情報の収集
インテリジェンスなYS11
YS11は、上昇性能も悪く航空管制の指示に従えないこともあった
速度も遅いから、ジェット機が運航する忙しい幹線空港では扱いづらかった
 
さらに脚開閉扉の設計ミス! などなどなど
トラブルと対処に追いまくられ 
航空会社ともども4,5年は悪戦苦闘の連続!!
フツーの旅客機になるまでに10年くらいかかった
 
沖縄・南西航空で使用されたYS11
 
コスト 
物を作ればコストがかかり、見合った価格が設定される...  はず 
YS11の製造は、企業の寄せ集め 
改修に次ぐ改修 
採算度外視のお役人感覚  などなどなど 
コストに見合った販売価格にしたら、買えるは自衛隊くらい 
 
千歳基地航空祭で展示されたYS11
となりは後継機ともいえるガルフストリーム(おフランス製)
 
しかたなく
世間の旅客機の相場に合わせたら
作れば作るほど、売れば売るほど・・・・・・赤字 
商業上はありえへん製品となる 
1機あたり2億円の赤字が出たらしい
 
後方に貨物室扉をつけたタイプ
重くて余剰馬力が少ないから横風着陸はかなり苦しくパイロット泣かせ
垂直尾翼のマークは因幡の白兎にちなむ
 
企業によっては
航空に関係ない、普通の市販品で十分な部品をわざわざ自作
コストに転嫁してたともいわれてる 
悪意ではなく
国産機開発のパッション
気負いすぎ...だったと想いたい 
 
小牧基地所属(当時)のYS11
垂直尾翼はシャチホコマーク
 
182機売った!ところでギブアップ 
赤字額は当然360億円を超えた 
誰が背負ったかといえば税金(国民)てことだな
 
YS11のエンジンはロールスロイス製の「ダート」
このクラスの傑作エンジン
とはいえYS11は大きすぎ、重すぎ!!
YS11を売り出した頃から、すでに「日本航空機製造」は危ないと言われてた
唯一の製品が赤字でしか売れないのだから当然か
 
 
蒼穹無宿 第2回 ~宮田豊昭さんの空~
ニーズとシーズ

航空機を製造する原動力は明らかにニーズである。
計画してから図面にし、試作しテストして実用の段階になるまでは、
早くて5年、今では10年も普通だ。使用期間は少なくても20年は欲しい。
すなわち、ニーズは20年から30年先を読むものでなければならない。
基本的に未来予測なのだ。

航空機製造には支える技術が要る。技術のトータルがシーズである。
だからシーズは民族の誇りにもなるが、確立されているという観点からは、本質的に過去なのだ。
たしかに現在も近未来も含まれるが、どうしようもなく過去の積み重ねである。

シーズが飛行機を造ることはできる。しかしその飛行機が働けるかどうかは分からない。
大体が見当はずれな飛行機になって、ろくに働けなくなるのがオチになる。
 
 
手前はUS-1
奥にC-1、C-130と輸送機が並ぶ
 
ピードモント航空 
YS11を買ってくれたアメリカのローカル航空会社 
日本の書によっては、足元をみて買い叩いたとか言われている 
要求したのは
電波高度計やジェット機と同じギャラリー装備など 
ピードモントにとってのニーズ、つまりは乗客 
お客様にアピールするためには必然の装備 
 
離陸準備中のファントムⅡやJALジャンボを背景に
操縦性が良いという評判もあったから
日本的なていねいな作りもあったんだろうな
 
1200メートルの滑走路で使える旅客機を作ってやったんだから 
多少の不便は我慢しろ! 
というが如き態度は微塵もない 
 
海上自衛隊のYS11
胴体下にレドームを装備している
 
YS11は 
お役人が発想 
旅客機など作ったことのない技術者たちがぶっつけ本番
1200メートルの滑走路で、いかなる条件でも運用できる旅客機 
誰が使うのか、誰が乗るのかではなく
技術者が陥りがちなカタログ性能重視 
 
「日本航空機製造」にはJAL(当時)も名前を連ねているけど 
当時のJALは、このクラスの旅客機を買うつもりはまったくなかったから 
とてもニーズの代表とは言えない
 
日本国内航空と東亜航空が合併してTDA
「ほたか」
これは「やしま」 
航空再開とともにいろんな航空会社が興り、消えていった
 
押し付けられる形で
当時、発展途上の国内航空会社が懸命に育て 
外国の航空会社が、容赦なく鍛えた機体
 
「りくちゅう」
TDA機は1機ごと地名の愛称をつけてた
「とくのしま」
ドコ??! 気になったら調べてね
 
引退 
安全基準が厳しくなり 
1億円はする衝突回避装置の装備が義務化 
そこまでして運用するメリットはないと
耐用年数を残しながら、国内航空会社からは引退 
今現在、自衛隊の特殊(電子)戦機を残すのみとなった
 
「よろん」
国内ローカル線で使われたが採算はよくなかったらしい
「かいもん」(たぶん?)
航空行政を司るお役人様主導だし
国産初の旅客機だし
使わざるを得なかったんだろうな
 
国産初の旅客機ともてはやされ 
名機、傑作機とまで賞賛されることがある 
困った顔で苦笑いする人 
目を泳がせうつむく人
「けっ!」 とつぶやき、横を向く人たちがたくさんいる
 
「あわじ」
1機ごとにクセが違うとか、批判的なパイロットも多かったという
「くまの」
赤字なのに182機も作ったのはメンツのせいかな?
売っても儲からない仕事というのはツラいな
 
お役人
利にはさといけど、失敗には冷淡 
国産旅客機開発の熱は急速に冷め、封印された
 
1998年9月4日丘珠航空ページェントの日
普通に降りてきたエアーニッポン(当時)定期便
観客から拍手がおきて、ちょっと嬉しそうだった(??)
 
YS11 
お役人が、できるはずのない未来予測をし 
企業は 
言われたとおり作ったのだからあとは知らない 
 
零戦がばたばたおとされ 
飛燕がムスタングにかなわなくても 
我らの責任ではないと産みの親
 
シーズが優先し、ニーズに合わせられない 
日本が飛行機を作れなかいことを
改めて証明してしまった国産初の旅客機 
 
 
航空自衛隊50周年記念塗装機
 
今日(こんにち)
MRJが、またしても同じ道を歩んでいるかのようで心配 
5年以上の遅れは致命的 
一番困っているのがまたしても全日空 
 
民間主導ではあるけれど 
企業に根付くシーズ優先の思想は
拭い去られていないような気がします
 
 
 
 
 
 
YS-11で唯一
P-2Jで使ってたゼネラルエレクトリック製エンジン(中古)に換装したタイプ
航空自衛隊のYS11Eが改造された
プロペラが4枚から3枚になってる