【026】脱力と丹田(220126)

 扱心流柔術や関口流柔術においては、「丹田」を意識する事を戒めている(伝書にもその様に記されている)。
 「丹田」を意識する事で、逆に心身の自由な動きが妨げられるから、と云うのがその理由の様だ。

 扱心流や関口流が伝書の中で、わざわざ、「丹田を重視するな」と記しているのは、逆に、当時の武道界では「丹田」が神聖視されていたことの傍証となる。

 正しい姿勢で余分な力を抜けば、自ずと重心は丹田の辺りに下がって、心身共に自由で安定した動きが出来る。
 「丹田」についての見解は本末転倒。
 「丹田に気が充足すれば武術に適した動きが出来る様になる」のではなく、「正しい姿勢で余分な力を捨てる事が出来れば、結果的に重心が身体の中心である丹田に集まる」と云う事。

 「丹田」について必要以上に多くを語る武術家は、自身の実力を「盛っている」空虚な人が多い(様な気がする)。