【021】大東流に三脈法が伝承された可能性(210411)

 武田惣角の剣術の師の一人でもある榊原鍵吉が、上野戦争の際、三脈法によって敵の砲弾から間一髪で回避出来た経験を、自身の口で『身体保全法』の著者に語っている。
 又、源義経を流祖とする剣術流儀(鞍馬流?若しくは京八流?)の伝書には三脈法の秘伝が記されている。
 武田惣角が弟子に三脈法を伝えたと云う記録や伝聞遭遇した事は無いが、惣角自身が三脈法を知っていて、実際に使用していた可能性は有るかも知れない。

<参考>明治25年刊行『身体保全法』より抜粋

 有名の剣客榊原鍵吉氏(明治元年戊辰5月10日)上野事件の際<中略>気分甚だ不快を感じ試みに左右の脈を診するに動脈さらになし。心中大いに訝りつ、直ちに
門弟を従へ立出歩むこと三四十歩、忽ち傲然と響き空中より一つの榴弾襲来り、今迄指定の止りし供侍の所に落て霹靂一声此一棟は微塵に崩潰せり。<後略>

大正14年刊行『即時自在 災難前知術の研究』より抜粋

 赤松律師が兵書の写しであると伝へられたる巻物の中には、昔九郎判官義経鞍馬山で、天狗から相伝せられた兵法口舌の一項中に数ヶ条の一つ書きを連ね、その中に
「おとがひと手の脈を一度にうかがふに和合して同じやうにうつは吉、ちがひたるはいむべし是を生死両舌の気といへり」の一ヶ条がある。